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 冨羽さんのマンションに居候して、二日目の朝。

 仕事へ行く準備をしていた私のスマホに、会社の上司である石井さんからメッセージが届いていた。




 《秋森さん、おはよう!今、部長から秋森さんのこと聞いたよ!結婚するんだってね、おめでとう!急な用事で会社辞めちゃうって聞いて、これまで秋森さんと一緒に働いてきたから少し寂しい気持ちもあるけれど、これからも秋森さんらしく頑張ってね!また今度ご飯一緒に行こうね!》



 「結婚?なんで、そんな……!」

 今日は週始まりの月曜日。

 冨羽さんはあれから仕事で都外へ出張に行ったきり、一度も家には帰って来ていない。


 私は彼の広いマンションのひと部屋を借りていて、唯一自分の持ち物であるスーツケースの中の荷物を解いて今日も朝から出社する気でいたというのに、まさかすでに会社を辞めたことになっているとは思いもしなかった。



 これも十中八九、父が私の勤め先へ勝手に連絡したんだろう。


 「……信じられない」



 広々としたL字キッチンで朝食の用意をしていた私は、一気に食欲が失せてしまった。

 父に書斎へ呼ばれて結婚の話を聞かされたとき、確かに会社を辞めるようにと言っていたけれど、まさか私の意見を何一つ聞かずに一方的に辞めさせるだなんて本当にどうかしている。



 大学を卒業して五年。

 父の息がかからない大手企業の経理部へ就職を決めてから、自分なりに一生懸命やってきていた。

 家の中では一切の自由が効かない私にとって、同じ部署の人たちとたまにランチを一緒したり、休憩時間に他愛のlない話で盛り上がるのがとても楽しいひとときだった。



 それなのに、こんなにも呆気なく失ってしまうなんて。

 悔しさと、父に対する憎らしさでどうにかなってしまいそう。

「……っ」


 落胆のあまり俯いた先に見えた自分の手が、また無意識に強く握りしめていたことに気づいた。

 それと同時に、以前冨羽さんがこの手を優しく解いてくれたことを思い出して、そっとその手を広げる。



 例えこれから会社に行って退職を取り下げたいと打診してみても、父はどうにかして私を辞めさせるように追い込んでくるだろう。

 そうすれば会社やお世話になって人たちにも迷惑がかかってしまうことになる。


 働き口を失えば、大人しく結婚に前向きになるとでも思ったのだろうか。



 「……っ」

 私は溶きかけの卵をもう一度かき混ぜて、熱したフライパンの上に流し込んだ。

 じゅわっと一気に固まるそれを見ながら、私の決意も同じように固まっていく──。