週末の挙式を無事に見届けた翌日の月曜日。
美蘭は葉山にあるアトリエ件自宅アパートの寝室で、いつもより遅い時間に目を覚ました。

アトリエといっても普通のアパートの一室を借りているだけで、看板も出していないから、ここがドレス工房だとは誰も思わないだろう。

着替えて洗顔を済ませると、ベランダの窓を開ける。

「んー、今日もキラキラの海。気持ちいい」

小高い丘の上にあるアパートの3階からは海が見え、徒歩5分ほどで海岸に着く。
ベランダの手すりに両腕を載せて輝く水平線を眺めていると、「おはよう、美蘭」と声がして振り返った。

「おはよう、未散(みちる)ちゃん」

ソルシエールのドレスを作っているもう一人のデザイナー、未散は、ファッション専門学校からの親友だ。
都内からここまで通いで来てくれているが、作業が立て込んでくると泊まっていくこともしばしばだった。

「昨日の挙式、どうだった? おととい美蘭、なんか大慌てで『プラージュ横浜』に向かったじゃない? 大丈夫だったの?」
「ああ、うん。予定してたドレスが入らなくなっちゃったから、手直ししたの」

そう言って美蘭は、スマートフォンで写真を見せる。

「へえ、編み上げ可愛いじゃん。このビスチェドレス、スリムじゃないと身体にフィットしないし、ファスナーだと太って見えちゃうもんね。上手くカバー出来てる」
「花嫁様も喜んでくれたよ」
「そりゃ喜ぶよ。だって挙式前日に、太って入らなくなりましたって言って、ドレスを手直ししてくれるブランドなんてある? それも追加料金も取らずにさ。美蘭、商売っ気なさすぎ」

事あるごとにそう言う未散の口癖に、美蘭が苦笑いでごまかすのがいつもの流れだった。

「ね、未散ちゃん。今日は暇だしさ。ホットサンド作って海に行かない?」
「お、いいねー。 早速作る!」
「ありがと。未散ちゃんの作るホットサンド、美味しいもんね」
「今日はなにサンドにしようかなー」

未散がキッチンに向かうと、美蘭は昨日の花嫁と一緒に撮った写真をプリントアウトして、壁のコルクボードに貼った。
コルクボードは、これまで作って来たドレスと花嫁との記念写真で埋め尽くされている。

その中の一番古い写真に美蘭は目を留めた。

(あれから7年か……)

それは始まりの1枚。
ファッション専門学校の2年生の時、高校時代の同級生から「赤ちゃんが出来たから結婚することになったんだ。でもマタニティドレスで気に入ったものがなくて。美蘭、作ってくれない?」と言われて、初めて誰かの為に実際のウェディングドレスを作った時の写真だった。

美蘭は当時のことを懐かしく思い出す。

「式を挙げる頃には妊娠6か月に入ってるの。なるべくお腹を締めつけずに、しかも目立たないようにしたくて。そうするとウエストを絞ったデザインは無理でしょ? でもスタイルは良く見せたいんだ。ごめんね、わがままで」

友人のリクエストを聞き、美蘭は何度もデザイン画を描き直した。
縫製に入っても、友人と確認しながら慎重に進める。

完成したドレスは、最高級のミカドシルクをふんだんに使ったAラインのドレス。
胸元に凝った模様の刺繍を施してスワロフスキーで飾り、胸の少し下の位置で切り替えてスッとAの字にスカートが広がる。
彼女の体型に合わせた為、絶妙な位置で絞ってあり、もちろんお腹は締めつけない。

挙式中はゲストに背中を向けていることが多いので、後ろ姿にもこだわった。
式場はガーデンも併設した大聖堂らしく、バージンロードは20メートルあるという。
それならトレーンとベールも映えるものでなければ。
だが妊娠中の身体に負担はかけられない。
なるべく軽い素材で、かつ美しく。

試行錯誤を重ねる美蘭に、未散が「知り合いがイタリアに住んでるから、相談してみる」と言って、現地のレースやシルクの生地を調達してくれた。
おかげで最高級の生地がかなり安価で手に入った。
背中には流れるようにゴージャスなシルクタフタのリボンを着け、披露宴ではオーガンジーのリボンに付け替えられるようにした。

当日、美蘭の作ったドレスに身を包んだ友人は、涙をぽろぽろこぼしながら美蘭に感謝した。

「ありがとう、美蘭。私、本当は不安だったの。まだ二十歳なのに妊娠して、これからやっていけるのかなって。小さい頃から夢見てたウェディングドレスも、マタニティドレスじゃなく普通に選びたかったって。だけどこのドレスを着たら、まるで幸せに包まれたみたいな気分になった。温かくて優しくて、最高に綺麗なドレス。美蘭、本当にありがとね」

その言葉に美蘭の目にも涙が溢れる。

こんなにも誰かを幸せに出来るなんて――

それが自分の進むべき道だと、その時美蘭ははっきり悟ったのだった。