「幸村さん、ここ見て。さっき送って貰ったデータなんだけど」
先輩は自分のパソコンを見ながら私に確認するように画面を指した。
画面を覗き込むと、先輩も顔を近付け間違っている箇所を訂正しながら説明してくれる。
「ここはね――」
同じ画面を覗き込みながら作業しているため、自然と距離が近づいた。
ち、近い。先輩の匂いがする。
だめだめ。仕事中なんだから集中しないと。
私はドキドキするのを必死に抑えながら説明を聞く。
「で、こうなるんだよ。わかった?」
「はい」
「うん。じゃあ、これ全部修正できたらコピーしてきてもらえる?」
「わかりました」
指摘されたところを直し、印刷ボタンを押す。
フロアの真ん中に置かれたプリンターのところへ行き、先ほどのデータを印刷し始めた。
「ねえ、幸村さん」
紙を取ろうと少しかがんだとき、名前を呼ばれ顔を上げる。
そこには私を見下ろすように日高さんが立っていた。
「日高さん……」
最近よく声をかけられる。
今度は何を言われるのだろう。
緊張しながら日高さんの言葉を待つ。
「松永くんは潔癖症だって教えたでしょ? 他人と距離が近いのは不快なのよ。もっと気を付けて接して」
さっき、訂正箇所を教えてもらっていたときのことだろうか。
よく見てるんだな。
「はい……すみません……」
先輩が他人に触れられるのが嫌いなことはわかっている。
大学時代はいつも気を遣っていた。
それでも私には触れたいと言ってくれた先輩に、気が緩んでいたのは事実だ。
「日高、僕の後輩いじめないでよ」
「松永くん……」
「僕、潔癖だからって周りに気を遣われるのは嫌なんだ。距離をとる時は自分でとるし周りには普通にしておいて欲しい」
先輩、話聞いてたんだ。
優しい口調だけど、強い意思を感じる。
普通にしておいて欲しい。
これは先輩の本音だろう。
けれど、日高さんは納得のいっていない表情をしている。
「でも……それじゃ松永くんは――」
「幸村さん、コピー終わったなら行こう」
先輩は言葉を遮り、印刷された紙を取るとデスクに戻って行く。
私も日高さんに軽く頭を下げると先輩を追いかけた。
どうして、来てくれたんだろう。
さっきのこと、どう思ったのかな。
庇ってくれたのは嬉しかったけど、少し日高さんのことが気になった。
デスクに戻ると、その後はなにも言わずパソコンに向かい淡々と仕事をした。
◇ ◇ ◇
その日の昼休み、いつも通り先輩の少し後に屋上に行った私は、そっと屋上のドアを開けタンクの陰からいつもの場所を覗き込む。
シートに座り無表情で空を見上げる先輩を少しの間じっと見つめた。
先輩、何を考えてるんだろう。
その表情からはなにもわからない。
すると先輩がふとこちらを向く。
私に気が付いた先輩は自身の横をとんとんっと叩き座るように促す。
「お待たせ、しました……」
隣に座ると、お弁当を開きながら先輩は話し始めた。
「幸村さん、前から日高に何か言われてた?」
何も言われていないと言えば嘘になる。
「えっと……はい……少し?」
私はお弁当を開きながら歯切れ悪く返事をした。
「どうして僕に言わなかったの?」
「先輩に、言うほどのことではないかと思いまして」
「最近元気なかったのはそのせい?」
「私、元気なさそうでした?」
「うん、ちょっとね。気になるくらいには」
「すみません。でも大丈夫です。会社では秘密にしたいって言ったのは私ですし、これくらい気にしません」
もし私たちが付き合っていると言えば、気を付けて接して、なんて忠告はされなくなるのだろうか。
でも、元気がないように見えたのは、日高さんに先輩とのことを言われているからというのもあるけれど、先輩との距離の取り方を悩んでいることの方が大きい。
「もしまた何か言われたら言って。いくら秘密にしてるからって幸村さんが嫌な思いをするのはだめだよ」
先輩の気遣いが嬉しくも、切なくもあった。
「ありがとうございます。あの、先輩が潔癖症だということは会社の人たちはみなさん知っているんですか?」
「別に公言してるわけじゃないけど、見てたらわかる人もいるんじゃない? 日高にも『僕は潔癖症だ』て言ったわけじゃないしね」
「そうなんですね……」
確かに大学時代も、先輩が自ら潔癖症なんだと言うことはなかった。
それが周知の事実となっていて、みんなわかって先輩と接していた気がする。
凌さんのように気にせず仲良くしている人もいれば、必要最低限しか関わらない人も。
それから、お弁当を食べている間はお互い何も話さず黙々と食べた。
先輩はお弁当を食べ終えると一瞬こちらを見てから空を見上げる。
「幸村さん、この前なにか返したいって言ってくれてたよね。次の休み一緒に出かけない?」
「んっ、そ、それは、デートですか?」
不意のお誘いに、喉を詰まらせそうになりながら先輩の方を向いて聞き返す。
「付き合ってるんだからそうだよね」
私の方は見ないままフッと笑った先輩に胸が熱くなる。
付き合いはじめてちゃんとしたデートのお誘いは初めてだ。
以前マンションの屋上で星を見ただけで、お出かけはまだしたことがない。
「行きますっ」
先輩の顔を見上げながら目一杯の笑顔で返事をした。
そんな私を見て先輩も安心したように口元を緩める。
「まぁ出かけるって言ってもどこに行くかとか全然決めてないんだけど。どこか行きたい所ある?」
「えっと……じゃあ、映画館はどうですか? ちょうど観たい映画があるんです」
「映画館か…………わかった、いいよ。映画、観に行こうか」
少し迷った様子だったけれど、楽しみだね、と優しく微笑んでくれた。
先輩との初めてのデート、私も楽しみだ。
先輩は自分のパソコンを見ながら私に確認するように画面を指した。
画面を覗き込むと、先輩も顔を近付け間違っている箇所を訂正しながら説明してくれる。
「ここはね――」
同じ画面を覗き込みながら作業しているため、自然と距離が近づいた。
ち、近い。先輩の匂いがする。
だめだめ。仕事中なんだから集中しないと。
私はドキドキするのを必死に抑えながら説明を聞く。
「で、こうなるんだよ。わかった?」
「はい」
「うん。じゃあ、これ全部修正できたらコピーしてきてもらえる?」
「わかりました」
指摘されたところを直し、印刷ボタンを押す。
フロアの真ん中に置かれたプリンターのところへ行き、先ほどのデータを印刷し始めた。
「ねえ、幸村さん」
紙を取ろうと少しかがんだとき、名前を呼ばれ顔を上げる。
そこには私を見下ろすように日高さんが立っていた。
「日高さん……」
最近よく声をかけられる。
今度は何を言われるのだろう。
緊張しながら日高さんの言葉を待つ。
「松永くんは潔癖症だって教えたでしょ? 他人と距離が近いのは不快なのよ。もっと気を付けて接して」
さっき、訂正箇所を教えてもらっていたときのことだろうか。
よく見てるんだな。
「はい……すみません……」
先輩が他人に触れられるのが嫌いなことはわかっている。
大学時代はいつも気を遣っていた。
それでも私には触れたいと言ってくれた先輩に、気が緩んでいたのは事実だ。
「日高、僕の後輩いじめないでよ」
「松永くん……」
「僕、潔癖だからって周りに気を遣われるのは嫌なんだ。距離をとる時は自分でとるし周りには普通にしておいて欲しい」
先輩、話聞いてたんだ。
優しい口調だけど、強い意思を感じる。
普通にしておいて欲しい。
これは先輩の本音だろう。
けれど、日高さんは納得のいっていない表情をしている。
「でも……それじゃ松永くんは――」
「幸村さん、コピー終わったなら行こう」
先輩は言葉を遮り、印刷された紙を取るとデスクに戻って行く。
私も日高さんに軽く頭を下げると先輩を追いかけた。
どうして、来てくれたんだろう。
さっきのこと、どう思ったのかな。
庇ってくれたのは嬉しかったけど、少し日高さんのことが気になった。
デスクに戻ると、その後はなにも言わずパソコンに向かい淡々と仕事をした。
◇ ◇ ◇
その日の昼休み、いつも通り先輩の少し後に屋上に行った私は、そっと屋上のドアを開けタンクの陰からいつもの場所を覗き込む。
シートに座り無表情で空を見上げる先輩を少しの間じっと見つめた。
先輩、何を考えてるんだろう。
その表情からはなにもわからない。
すると先輩がふとこちらを向く。
私に気が付いた先輩は自身の横をとんとんっと叩き座るように促す。
「お待たせ、しました……」
隣に座ると、お弁当を開きながら先輩は話し始めた。
「幸村さん、前から日高に何か言われてた?」
何も言われていないと言えば嘘になる。
「えっと……はい……少し?」
私はお弁当を開きながら歯切れ悪く返事をした。
「どうして僕に言わなかったの?」
「先輩に、言うほどのことではないかと思いまして」
「最近元気なかったのはそのせい?」
「私、元気なさそうでした?」
「うん、ちょっとね。気になるくらいには」
「すみません。でも大丈夫です。会社では秘密にしたいって言ったのは私ですし、これくらい気にしません」
もし私たちが付き合っていると言えば、気を付けて接して、なんて忠告はされなくなるのだろうか。
でも、元気がないように見えたのは、日高さんに先輩とのことを言われているからというのもあるけれど、先輩との距離の取り方を悩んでいることの方が大きい。
「もしまた何か言われたら言って。いくら秘密にしてるからって幸村さんが嫌な思いをするのはだめだよ」
先輩の気遣いが嬉しくも、切なくもあった。
「ありがとうございます。あの、先輩が潔癖症だということは会社の人たちはみなさん知っているんですか?」
「別に公言してるわけじゃないけど、見てたらわかる人もいるんじゃない? 日高にも『僕は潔癖症だ』て言ったわけじゃないしね」
「そうなんですね……」
確かに大学時代も、先輩が自ら潔癖症なんだと言うことはなかった。
それが周知の事実となっていて、みんなわかって先輩と接していた気がする。
凌さんのように気にせず仲良くしている人もいれば、必要最低限しか関わらない人も。
それから、お弁当を食べている間はお互い何も話さず黙々と食べた。
先輩はお弁当を食べ終えると一瞬こちらを見てから空を見上げる。
「幸村さん、この前なにか返したいって言ってくれてたよね。次の休み一緒に出かけない?」
「んっ、そ、それは、デートですか?」
不意のお誘いに、喉を詰まらせそうになりながら先輩の方を向いて聞き返す。
「付き合ってるんだからそうだよね」
私の方は見ないままフッと笑った先輩に胸が熱くなる。
付き合いはじめてちゃんとしたデートのお誘いは初めてだ。
以前マンションの屋上で星を見ただけで、お出かけはまだしたことがない。
「行きますっ」
先輩の顔を見上げながら目一杯の笑顔で返事をした。
そんな私を見て先輩も安心したように口元を緩める。
「まぁ出かけるって言ってもどこに行くかとか全然決めてないんだけど。どこか行きたい所ある?」
「えっと……じゃあ、映画館はどうですか? ちょうど観たい映画があるんです」
「映画館か…………わかった、いいよ。映画、観に行こうか」
少し迷った様子だったけれど、楽しみだね、と優しく微笑んでくれた。
先輩との初めてのデート、私も楽しみだ。



