「え?! プロポーズされたの?! おめでとう……って感じではないね」

 咲子を駅まで迎えに行き、私の家に連れてきた。
 泣きはらし、化粧の崩れた顔とは裏腹に、綺麗なワンピースを着て髪もまとめて着飾っていた。

 私はコーヒーを淹れながら、プロポーズされたという咲子の話に耳を傾ける。

「今日、付き合って四年記念日のデートだったんだ。凌が良いレストランを予約してくれて、楽しみにしてたんだけど、まさかプロポーズされるとは思ってなかった」
「プロポーズ、嬉しくなかったの?」
「嬉しかったよ。でも、結婚はもう少し先がいいなって言ったら、断るってことは、別れるってことなのかって。なんでそうなるのよ……」

 旅行代理店で働いている咲子は、土日関係なくシフト制の仕事をしている。
 土日が休みの凌さんとなかなか時間が合わなくて、会える時間が減っていたらしい。
 凌さんも早く一緒に暮らしたい、なんてことを言っていたのを覚えている。

 けれど、確かにまだ就職したばかりで、咲子も仕事を頑張りたいと言っていたため、すぐ結婚を決めるのは難しいだろう。

「凌さん、別れるって言ったの?」
「俺との将来を考えられないんだったら、早いうちに別れた方がいいんじゃないかって」
「今は考えられないだけで、ゆくゆくは結婚のことも考えてたんでしょ?」
「うん……でも、いろいろ考えてたら、将来、凌と結婚して本当に上手くやっていけるのかなって不安になってきて、ちゃんと話できないまま飛び出してきちゃって……」

 先のことを考えるのって不安になるよね。
 気持ちはわかる。
 でも、咲子のこんな姿を見るのは初めてで、私もなんて声をかけたらいいかわからなかった。

 クッションを抱えて俯く咲子の前に、淹れたコーヒーを置く。
 私もマグカップを持ち、そっと隣に座った。

 咲子はありがとう、とコーヒーを一口飲み、ポツリポツリと思っていることを話し始める。
 
「今はさ、休みの日にデートしたり、お互いの家に泊まったり、普通に付き合ってるって感じで、すごく楽しいよ。でも、家に来たときも行ったときも、毎回私がご飯作って、掃除とか片付けとかして。たまにだからご飯作って美味しそうに食べてくれるのが嬉しくて、尽くしたいって思えるけど、これが毎日になったら? 私も仕事して疲れてるのに、毎日ご飯作って、他の家事もしてって考えるとしんどいなって……」
「それは、凌さんには言わないの?」

 私が人のことを言えたものじゃないけど、話し合うって大事だと思う。
 でも、咲子は首を横に振った。

「プロポーズされた後、結婚したら毎日私のご飯を食べられるなんて幸せだって言ったんだよ? それで、なんかサーッと冷めていっちゃって、何も言えなかった。私が毎日ご飯を作って当たり前だと思ってるんだよ」

 なんとなく、凌さんが楽しそうに咲子のご飯を食べたいと話している様子が頭に浮かぶ。
 それは、全部咲子に負担させようとか悪気があったわけではなく、ただ純粋な思いを口にしたのだと思う。
 咲子もそれはわかっているはず。

 でも、だからこそ不安になったのだろう。
 これから先、凌さんの純粋な言葉に疲れてしまうことが。

「咲子はさ、頑張ろうとしすぎなんだよ。もうちょっと力を抜いてもいいと思うな」
「力を、抜く?」
「しんどいって思っちゃうのは、期待に応えたいと思ってるからでしょ? でも、全部言われた通りにしなくてもいいじゃん。ご飯だって家事だって、疲れてるときはできないって言えばいいよ。それを凌さんが許さないって言うなら、今後の関係を見直していけばいいんじゃないかな」
「始める前から、できないかもって言ってもいいのかな」

 咲子らしい考えだな。
 やってみないとわからないから、やれることは頑張ろうとする。
 それでも、今不安になるということは、もうすでにしんどい思いを抱えているからなんだと思う。
 仕事も頑張っているし、休みの日は凌さんと過ごしている。
 これ以上抱えきれないのなら、それは仕方のないことだ。

「いいでしょ。むしろ先に言っといた方がいいよ」
「でもやっぱり、結婚はまだ早いと思ってる」
「それもふまえて話したらいいんじゃないかな。別れたいとは思ってないんでしょ?」
「うん。凌は、単純で、思ったことすぐ口にするちょっと考えなしなところもあるけど、すごく優しくて真っ直ぐで、私のこと、真剣に考えてくれてる。これから先も一緒にいたいと思ってる」
「だったら、大丈夫だよ。咲子の思い、受け止めてくれると思う」
「そうだよね。いろいろよく考えて、また凌と話してみる」

 咲子の表情に明るさが戻ってきた。
 私には話を聞くくらいしかできないけど、少しでも力になれたのなら嬉しい。

 するとその時、私のスマホが鳴った。

「凌さんから電話だ。出てもいい?」
「うん……」

 咲子に了承を得て通話ボタンを押す。

「はい」
「あ、もしもし芽衣ちゃん、咲子どこにいるか知らないかな?」
「咲子なら、うちにいますよ」
「そうなの?! よかった、今から迎えにいく――」
「あの、今日はもう遅いですし、このまま泊まる予定なので明日来てもらってもいいですか?」
「え、でも……」
「私、咲子に話したいこととかあって、今日は、このまま一緒にいていいですか?」

 凌さんは焦っている様子だった。
 でも、お互いに少し時間を置いて話した方がいいと思う。

 渋る凌さんを説得し、明日あらためて迎えに来ることになった。

「これで良かった?」
「うん、ありがとう。ごめんね迷惑かけて」
「迷惑だなんて思ってないよ。頼ってもらえて嬉しい。いつも私が話聞いてもらってばっかりだったから」
「そういえば、芽衣もなにか話したいことあったんじゃないの?」

 咲子、気づいてたんだ。
 今は自分のことでいっぱいいっぱいなはずなのに、私のことを気にかけてくれるなんて。
 けれど、今は余計な心配をかけたくない。

「私のことは大丈夫。なんとか自分で解決できるように頑張ってみる。それでもだめだったら、話聞いてね」
「もちろん、いつでも頼ってよね」

 咲子は優しく私を抱きしめてくれた。
 さっきと立場が反対になってしまったな。

 咲子がいてくれてよかった。
 いつでもそばで支えてくれる親友がいると思うだけで、心強いと思えた。