怜司が屋敷を出ていった後、邸宅は静けさに沈んだ。
重たい扉の閉まる音が遠く響き、その余韻が紗良の胸を締めつける。

(また……ひとり)

リビングに座っていても、空間の広さが孤独を際立たせるだけだった。
侍女がそっと温かい紅茶を差し出したが、口をつける気になれず、カップの湯気だけが淡く揺れている。



「怜司さん……本当に、私を愛してくれていたの?」

小さく零した声は、自分でも驚くほど弱々しかった。
胸の奥には、玲奈の冷たい宣告が突き刺さったまま抜けない。
“怜司さまと別れてください”――その言葉を思い出すたび、息が詰まる。

目を閉じれば、喫茶店で見た光景が蘇る。
玲奈に向けていた、柔らかな微笑。
自分にはもう向けられない顔。

「……もう、戻れないのかしら」



窓の外には庭の薔薇が咲き残っていた。
冬の冷たい風に揺れながらも鮮やかに咲くその姿に、ふと涙が滲む。
「私も……あの頃は、怜司さんの隣で誇らしく咲けていたのに」

指先が震え、思わず膝の上で握りしめる。
愛しているのに信じられない。
信じたいのに、裏切りの影に怯えてしまう。



やがて、邸宅の静寂に耐えられなくなり、紗良は自室へと戻った。
カーテンを閉め切り、ベッドに沈み込む。
暗闇に包まれた部屋の中で、ただ一人すすり泣く声が響いていた。

「……怜司さん」

その名を呼ぶたびに胸が軋み、涙が頬を濡らした。
彼女はまだ知らない――その頃、怜司が西園寺家で父と対峙し、必死に自分を守ろうとしていることを。