「でも、ルークが侯爵家の跡取りになるのではないですか?」

私は驚きのあまり、侯爵夫人に尋ねた。

「ルークもアカデミーには通うと思うわ。でも、私もお父様も爵位はエレノアが継いでもルークが継いでも良いと思っているの。同年代の男の子と比べてもあなた程、優秀で聡明な子はいないわ。しかも、ルークはパン屋さんになりたいと言っていたしね。何だかエレノアが私たちの娘になってくれた時のことを思い出して微笑ましくなったわ。エレノアもお嫁に行くかも知れないし、ルークも婿入りするかも知れない。2人とも常にたくさんの選択肢を持っていて欲しいのよ」

侯爵夫人の言葉に胸が熱くなった。
私の実親は私を皇帝の女にすることしか考えていなかった。
それなのに血の繋がりのない彼女は私に多くの選択肢を与えてくれる。

「パン屋になりたいというのは、私の影響かも知れません。ルークに今度、パン屋は朝も早いし世界で10本の指に入る大変な仕事だということを伝えておきますね」

5歳までは私もパンが好きだというだけで、パン屋になりたいと思っていた。
しかしルークはもう7歳だ、そろそろ現実を見るようにしつけなければ。

私は、弟のルークが大好きだ。
侯爵夫妻が彼が生まれても私を区別することなく愛してくれてくれたこともあるが、いつもヒヨコのように私の後をついてくるルークは愛おしくて仕方がない。

彼は男の子で私の魅了の力をかけてしまったら危ないほど純粋だが、私は彼に何も望まない。
相手に対して願いや期待する感情があると魅了の力がかかるスイッチになってしまう。
ただひたすらに私は彼に対して無性の愛を注げる自信があるから、彼と接するのを怖いと思ったことは一度もなかった。

「エレノア、これだけは忘れないで。あなたは私たち夫婦にとってかけがいのない娘で、あなたの幸せより大切なことはないってことよ」

侯爵夫人の優しい言葉に胸がいっぱいになって、泣きそうになる。
涙を見せるのは、恥ずかしいので私は軽く会釈をすると自分の部屋に戻った。

その夜、私は夢を見た。
私の恩人であるエレナ・アーデンと私が出会った時の夢だ。

私は4歳の時、運命の出会いをした。
カルマン公爵家の紫色の瞳の女は、裏では皇族専属の娼婦だと揶揄された。
4歳の子に言って良い呼び名ではなく、私は娼婦の意味を知るなり自分の運命に失望した。

幼い私に将来皇帝を誑かし、彼の子を産むことばかりを伝えてくる父親に絶望した。

私は自分の醜悪な運命から逃れるためはカルマン公爵家の女として魅了の力を使えるということをバレないようにしていた。
魅了の力が使えなければ、皇帝を操ることなどできない。
私は将来の皇帝を操る立場として教育を受けていたが、実際操れる能力が使えないと思われると虐げられはじめた。