その後は、残り数点を残した作品の解説を奈保美にしてもらい、閉館時間が過ぎ、奈保美の仕事が終わるまで、外で待っていた。
 澄んだ透明な闇が、あたりを覆っている。

 奈保美と久しぶりに話したことで、肌が(ほて)ってしまっていた。夜気に冷ます。

 ショルダーバッグから、赤いライターと青い煙草の箱をひとつ出し、そこから一本煙草を取りだして、火をつけて咥える。はじまりは、まだ何にも染まっていない紙の味とにおいがした。それだけで気分転換になる。
 美術館を覆う森が、闇に食われて黒く染まっている。

 時折吹くそよ風が、枯れ葉の群れをさわさわとゆらし、微量な音楽を奏でる。

 空の闇は青が濃く、森の闇とはまた違った黒をしていると教えてくれる。こうやって夜は、どんな感情のときにも、どんな人間関係のときにも訪れて、透明な空気に包んで、闇の頂点まで導き、また明ける。人生はそれの繰り返しなんだろう。

 鼻先にけむりがふれて、鼻息で飛ばすと、溶けてしろく夜に流れてゆく。

 首をあげて、けむりが昇ってゆく光景をたのしんでいたら、美術館の小窓から漏れていた光彩がぷつりと消えて、一層周囲の闇が濃くなった。

 残っているのは、申し訳程度に宙から降りそそいでいる、幾つかの電球だけだった。ぼんやりと輪郭を霞ませながら灯っている。穏やかなひかりに、現実感が無くなりそうになる。 

 隣からつかつかと靴音がして、けむりの薫りに、あまく枯れた香りが混じった。


「ごめん……、待たせたね」


 振り返る。
 闇を背負っても、奈保美はしずかなあかるさを放っていた。むしろ、つやを増して、透明な薄闇に馴染んでいる。

 右肩にかけた、ボルドーのちいさなショルダーバッグが、炎が灯ったように細長いからだのラインに沿っている。肩紐に左手を添え、右手をひらひらとこちらへ向けて振っていて、やわらかな笑顔を浮かべている。

 さっきの仕事の時とは、また違った雰囲気で、落ち着いていながらも無邪気さがある。俺がよく知っている、馴染んだ普段の奈保美だった。
 奈保美が来てから、外の空気は一層寒くなった。

 このまま美術館のそばで話そうかと思ったが、俺の部屋まで移動することになった。移動している間、俺たちは言葉を交わさなかった。 ただ、俺は手元の煙草を一本、奈保美に渡し、奈保美はそれを受け取ると、「つけてくれ」と目で合図して、俺にライターの着火を頼んだ。
 俺は、奈保美のくちびるに咥えられた煙草のさきに、ライターの青い火を近づける。

そっと火がふれ、煙草のさきが刹那、橙に染まり、しろいけむりが流れだす。

俺の手元から離れた奈保美は、上向いて、けむりの流れに視線を添わせていた。 まつげやまぶた、鼻すじに、けむりのしろいひかりと、淡い電灯の黄が、ちらちらと浮くように舞っている。
 何を考えているのだろうか、物憂(ものう)げなその表情は、絵にとらえたくなるようなものがあったが、今の俺は、ちいさなスケッチブックさえも、持ってきてはいなかった。
 これから、終わっていこうとしている恋についてでも、考えているのだろうか。
 ふたりで煙草を咥えながら、言葉を交わさずに歩く帰り道は、なかなか乙なものだった。

俺は、チノパンのポケットに両手を突っ込んで、背をかるく屈めて、奈保美の半歩前を歩いていた。しずかな足音だけが、森の中にかたりことりと響いている。 

 マンションのエレベーターから降りて、灰色の共用廊下を歩き、俺の部屋のドアを開ける。


「さき入れば」


「……ああ、ありがとう」


 そこで初めて、美術館以来の会話をした。 片手でノブを握って、ドアを開けっぱなしにして奈保美が入るのを待つと、後ろ手でドアを閉めた。
 かちゃりという音と共に、俺たちだけの紺色のくらやみが訪れた。

「奈保美さん__」


 闇の(とばり)の中で、背を向けた奈保美の髪だけが浮きあがって、ともしびのように、ゆらゆらと浮いている。 何か話すことを考えていたはずなのに、無意識に片手を伸ばして、その髪をゆるりと摑んでいた。
 このまま終わっていくのか。このまま、本当に。淡々と。
 なめらかで、適度な水分をふくんでいる、痛みのない髪質。俺の手の中をするりと(すべ)って、撫でて抜けてゆこうとする。
 奈保美がこちらを振り返った。
 俺の手の中の髪が、完全に滑り落ちる。
 黄金(きん)の残像が、秋の終わりの枯葉のようにきらめいて、斜めに走った。
 瞳の端に、なみだが()まって盛りあがっていた。奈保美の顔の周りに、きらきらとしずくが散らばって降りてゆく。
 刹那、俺は目の前の泣く女を抱きしめていた。
 受け止めた奈保美は、あまりにも華奢(きゃしゃ)でかるく、何度も抱いていたというのに、こんな両腕の中に収まってしまうほどちいさかったのかと、驚いていた。

「春一郎くん……。ゆび震えてる」


 俺の首すじに、奈保美のくちびるがついていた。つめたくやわらかいものが鎖骨の少し上で動き、湿った弱い吐息が首を撫でる。


「あ、……ああ」


 言われて気づいたが、見下ろすと俺のゆびは、奈保美の背中の上で少しだけ震えていた。襟のかすかな隙間から、奈保美の肌がのぞいて、そこから、あまく枯れた香りがする。 
 ゆびの震えが止まった。俺の腹の奥の雄の本能が、下半身を血流として巡り、これから何をすべきか、また、何がしたいのかを脳に問うている。だが一ミリの理性が、それを押し留めていた。


「……春一郎くん」


 俺の胸の上で、奈保美のからだが、しずかに動く。
 やがて顔をあげる。濡れて暗くなった大きなひとみが、真っ直ぐに俺を睨んでいた。

琥珀の中に、苦しそうな顔で目の下を赤く染めている俺が映っていた。


「最後に抱いてくれ」


 力強く安定した声だった。 
何かを言い返そうとした。けれど、さきに動いたのはからだのほうだった。衝動的なものに、突き動かされる。
 奈保美の背中を抱いていた手で、顎を摑み、勢いよくあげた。

上向いた奈保美の顔は、かるく呆然としていた。うすく開いたくちびるを傾けて、くちびるを重ねた。息のすべてを塞いでしまうような、くちづけだった。

 我に帰って咄嗟に放そうとすると、真ん中から奈保美の舌が追ってきて、俺の舌先にふれる。

 それでもう止まらなくなった。

 互いの粘液を擦り付け合うように、ざらざらした舌の表面で、神経の行き届いた肉のかたまりを撫であう。奈保美の口の中は熱く、離れて空気中で撫で合うと、ひやりとした冷気の中で、舌の肉は、さらに温度を増した。やがて十分に互いの唾液と舌の感触を堪能し合うと、名残惜しそうに舌先を伸ばしあって剥がれてゆく。あいだを、粘ついた銀の橋がかかって、ふつりとほどける。 

 互いの吐く荒い息が重なって、紺色の部屋の中を漂って、消えてからだの皮膚を湿らせた。


「キス、しちゃったね」


「はは……、なに今さら、初めてした中学生みたいなこと言ってんだ」


「はは、ほんと馬鹿みたいだ。私たち」


 奈保美は俺の肩に両手を乗せて、うつむくとからからとわらった。膝を曲げて、体重を預けてくる。


「このまま()んず(ほぐ)れつ、ベッドへ行って抱き合ってもいいかなって思ったんだけど」


「まあ、俺はそれでも全然いいけど」


 真顔で言う俺に、奈保美は顔をあげてわらった。さっきよりも血色が良くなり、ほんのり全体的に紅く染まっている。


「最後だからさ。シャワー浴びさせてくれ」
 


 風呂場は、玄関から、リビングに続く廊下の左に位置していた。奈保美をそこに案内して、さきにシャワーを浴びさせる。 電気もつけず、暗い寝室に行った。俺はベッドに腰をかけながら、うつむいて背を屈め、手を組んで小雨のようなシャワーの音を聞いていた。右手の親指で左手の親指の周囲をくるくると(まわ)り、爪のさきが、ゆびの腹で止まった時、耐えきれなくなり、立ちあがり、風呂場へ向かった。
 曇り硝子のドア越しに、淡い電球のひかりに照らされた奈保美の真っ直ぐな裸体が、ぼやけている。髪をかきあげているのか、顔の周りに橙が盛りあがって、背中がむき出しになってこちらを向いている。
 俺は凪いだ気持ちを保ち、ドアをからりと開けた。
 白で統一された、清潔感のある風呂場の中心に奈保美がいた。

「ひゃっ、春一郎くん?」
 

 奈保美の全身がびくりと上へ跳ね、驚いて背後を振り返る。胸もふるりと震え、よりやわらかさを主張していた。海から陸へあがったばかりの人魚のように、しとしとと水滴を纏って立っていた。淡いひかりのいろをともして。

これから(けが)らわしい俺が、ふれていいのかという迷いすら感じさせるほど、きらきらと濡れてかがやく女がいた。



「やっぱり二十代の頃とは、肌が変わってしまったね。『水を(はじ)く』なんて、もうしなくなっちゃた」


奈保美が微笑んでうつむくと、まるいまぶたを半分伏せて、両手をかるく広げ、己の肌を見渡した。


「そんなことねえよ。それでもあんたは、綺麗だ」


 嘘ではなく、本心でそう思っていた。奈保美の肌は未だきめ細やかで、水をしっとりと吸い込み、さらにつやを増していた。良い(とし)の重ね方をしていることがわかる肌だった。

見ているだけで、その肌の味を思い出し、俺は無意識に舌先で上唇を舐めていた。


「服を着ているあんたも、それはそれで綺麗だが、やっぱりあんたは、裸の時が一番綺麗だと、俺は思う」


「ありがとう……。うれしいよ」


 奈保美は泣きわらいのような表情(かお)をして、かすかに首を横に倒す。

髪にまとわりついたしずくがほどけて、ひらりとひとつ舞い降りて、鎖骨を滑った。 
足を踏み出し、奈保美の肩を摑むと、そのまま、また深くくちづけた。くちびるの表面についたしずくを、くちびるで覆ってすべて吸い取ってしまう。くちびるを剥がし、しばし奈保美のくちびるを、親指の腹で撫でて眺める。
 コーラルオレンジの口紅が落ちて、むき出しの自然の紅があらわになっている。血が通っている証拠が、ゆびの下に流れている。ゆっくりと撫でていると、奈保美の口が徐々に広くひらいていった。

「……お湯の味がする」


「当たり前じゃないか」


 奈保美がわらい、鼻息が爪にかかる。穏やかに湿っていた。 ゆびの腹を、奈保美の下唇の中へ食い込ませ、歯茎が見えるほどに広げると、顔を屈めてそこに俺の舌を落としてくぼみを埋めていった。
 歯茎とくちびるのはざまに、あまい唾液が溜まり、あふれて奈保美のくちびるの一点からすらりとひとすじ、なみだのようにこぼれ落ちたのを合図に、また俺のくちびるで、大きく塞いだ。
 奈保美の肩はやわらかく、ゆびが食い込む。彼女が痛みを感じるのではないかというほど、強い力を込めていた。彼女のからだが震えてきたのを感じて、肩に乗せた手を背中に回す。シャワーが未だに放出し続けていたことに気付く。
 骨の形がくっきりと浮いた肩甲骨を通り過ぎて、背すじとやわらかな尻に、手を()わせた。
 シャワーが、小雨のように燦々(さんさん)と降り注ぎ、俺の手から腕、髪を濡らしてゆく。貪るように、溶けるように角度を変えてくちづけを交わし、奈保美を風呂場の白い壁に押し付けた。
 服のまま、あたたかい湯の雨に濡れながら、奈保美の胸や腹、腕、尻を無茶苦茶に撫で回した。胸を手のひらで転がすように撫で、乳首を摘んだ時に、奈保美が俺から口を離して呻き声をあげた。
 俺はまぶたを閉じて眉を歪ませた奈保美の顔を左手で固定し、こちらを向かせると、右手で彼女の脚を大きくひらかせて、左膝をかるく曲げてあいだに入れた。膝の上に、茂みが乗って扇情的な景色がうまれる。

「ここで……、()れるの」


「ああ、(おつ)なもんだろ」


 ズボンのチャックを下ろし、パンツの隙間をずらすと、少し前からふくれあがっていたものが、尖って主張する。


「いいか」


「……ああ」


 何度か奈保美の股の上で滑らせると、奈保美は喉の奥から、枯れた吐息を出してうつむいた。
 奈保美の反応を確認し、そのまま垂直に彼女の中へ己を進ませる。シャワーで濡れて、彼女の体液でも濡れていたそこは、すでに(うるお)っており、肉と肉が溶け合うのに時間はかからなかった。

片手で持った脚をより高くあげ、弱く押し付けたり、強く押しつけたり、角度を変えてゆっくりと出し入れを繰り返すと、奈保美は吐くような喘ぎ声をあげた。シャワーの音に溶け合って、しっとりと濡れたその声は、俺のからだを熱くさせ、さらに動きを速めさせた。 途切れとぎれに高くあまい声を出しながら、奈保美は俺の背中に手を回し、皮膚を押すようにゆびを広げてそわせてくる。
 背筋に、ぞくぞくとした快感が走った。
 思わず首をそらすと、奈保美は喉仏(のどぼとけ)に舌を伸ばし、くちびるで覆う。
 俺はそのまま硬直し、奈保美の中に己を放出した。本当は外に出すつもりでいたのに、快楽に負けて、むき出しの肉の欲望に従ってしまった。

頭に理性が走ったが、からだがそれをやめてくれない。最後の一滴がなくなるまで、奈保美の中で硬直し続け、やがて果てた。 片手を落とし、奈保美の脚もすとんと地に着く。
 落ち着いてから、己の蛇を彼女から抜いた。

「……ごめん」


 快楽が終わり、真っ白な靄が頭から晴れてやってきたのは、強い罪悪感だった。


「……大丈夫。今日は大丈夫な日だから。最後だから、やりたいこと全部やろうよ。お互いのからだにしてみたいことを全部さ。一応、アフターピルは飲むから」


 奈保美に、アフターピルを飲むと言わせてしまったことで、さらに罪悪感が増した。 シャワーの出力を強くして、奈保美の足元に屈むと、下から白い性液を流す彼女の性器に向かってお湯をかける。

「わわっ、ちょっと__」


 膝をつき、背筋を伸ばすと、右手の二本指を立てて、奈保美の中から性液を()き出した。 

やめてよ、とむず(がゆ)そうにわらっていた奈保美は、やがて快楽を感じるようになったのか、脚をこまやかに震えさせた。

シャワーに伝うように、白い液がタイルに流れ落ちてゆく。

シャワーを止めて、ゆびを性器の中から出して、タイルに手を着く。

充分に落ちたのは確認したが、くちびるで性器を舐めて綺麗にした。

まぶたを閉じて、そこを舐めたり口で覆ったりすることに夢中になっていると、奈保美の脚の震えが大きくなり、ついに腰を抜かして背を逸らして痙攣した。

膝からタイルへ崩れ落ちそうになった奈保美を、両腕に抱える。
  奈保美は、俺の胸に頬を寄せて荒く息をついていた。頬やまぶたが濡れているが、肌の色は赤く火照って染まっていた。

髪がしなだれて、俺の肩にこぼれている。

そこから流れる水滴が、ぽたぽたと背中をさらに濡らした。


「ごめん……、そこまでしてくれると思わなくて」


「餌与えられた犬みたいになっちまったな」


「……気持ちよかった」


「素直に言うもんだ」


「シャツ着たまんま、入ってくるんだもん。服びしょびしょになっちゃったじゃない」


「ああ、俺は馬鹿だからな。欲望に忠実なんだ」


「はは」


 奈保美はひとしきりわらうと、肩に預けていた顔を起こし、俺の顔の正面にまっすぐに寄せた。

熱い鼻息が、人中(じんちゅう)にかかり、気付けばくちづけを交わしていた。 横に倒れたシャワーヘッドから、途切れなく温かな雨が流れ続けている。
 その音を聴きながら、梅雨の湿った時期に、外であいしあったらこんな感じなのかな、と鈍く霞んだ頭の中で考えていた。

 その後、ベッドに移動して激しく互いをぶつけ合った。性器はつながり合っているのに、時計の分針(ふんしん)長針(ちょうしん)のように、からだは別々の角度にあった。そういう体位が、何度か続いた。あいしあっているというのに、少年漫画で最終回に闘いあう、ライバル同士のようなセックスだった。風呂で濡れた身体も拭わず、濡れたまま、互いの汗と汗が混じり合って、互いの一番大事な部分を貫いて包みあう。 
奈保美は俺の上に乗って、腰と胸を振りながら、喉をそらして時折激しく鳴いた。
 俺は喉を潰された犬のような呻き声をあげながら、下からも上からも奈保美を刺し続けた。その度に激しい快楽がからだを流れて脳天を抜けてゆき、何も考えられなくさせた。

女と繋がっているという、からだの感覚以外の、すべてがなくなる。 
風呂場で丁寧に性液を掻きだしたというのに、仰向けにした奈保美の(くぼ)んだ腹からへそへかけてのなめらかな坂や、細長いゆびが、頭の下に敷いた枕やシーツを乱れて摑んでいる(さま)や、火照った顔でほとんど伏せられたまぶたの下の琥珀の瞳が濡れて、扇情的に俺を見上げているのを見た時、耐えきれなくなって、強く腰を押し付けて、己の精を、奈保美の中へ吐き出した。
 すべてを放出しているあいだ、互いの馬鹿みたいに開いた口と、うすく開いたひとみが、五センチメートルの距離をあけて、重なり合っていた。
 琥珀の中央、深いふかい茶の瞳孔の中に、髪も肌も濡れて、命が(ほとばし)っている俺がいた。 

霞のような淡い息が、途切れとぎれに奈保美の口からこぼれて、俺はそれを吸い込んだ。濃密な女の味がした。 ひたりと合わさった胸は、しっとりと湿ってくっついていて、俺の顎から伝った汗が落ちて、浮いた彼女の汗のしずくと混じり、奈保美の胸の谷間のくらやみに流れて消えていった。
 俺が最後の白いひとしずくを彼女の中に流し込んだとき、赤く染まって眉を寄せ、歪めていた奈保美の顔が、仏のようにひらけ、口角がわずかにあがった気がした。
 俺は意識を手放して、彼女の首すじに顔を埋めると、全身の力を抜いて、奈保美に肌という肌のすべてを重ねた。奈保美の皮膚の中へ、沈んでゆく。視界が青く染まり、徐々に暗さを増してゆく。
 溶けて消えてしまうのではないかというほど、意識が闇の中へ遠のく刹那、やわらかなてのひらで、背中をとんとんと叩かれた。肩甲骨の上、どこかの美術館で見た、誰かが描いた西洋画の中に描かれた天使の羽が、ぼんやりと思い出された。
 これからの人生を、鼓舞されているような感触だった。