翌朝。
 いつもと変わらぬオフィスのはずなのに、胸の奥がざわついて仕方がなかった。
 昨夜、雨の中で再会した彼――藤堂蓮。
 まさか、今日この場でまた顔を合わせることになるなんて。

 「それでは、本日のプロジェクト会議を始めます」
 部屋に入ってきた瞬間、空気が一変した。
 黒のスーツに身を包み、冷静な表情を崩さない蓮。
 十年前の彼よりも大人びて、どこか近寄りがたい威圧感すら漂わせていた。



 「……っ」
 心臓が跳ね、思わず視線を落とす。
 気づかれたくないのに、どうしても意識してしまう。

 「この案件の進行は、私が直接確認する」
 低い声が響き、社員たちは一斉に頷いた。
 その口調は冷ややかで、情を一切交えない。
 それでも、私は知っている。
 かつて同じように名前を呼んでくれたあの声だということを。



 「……西園寺さん」
 不意に名を呼ばれ、背筋が凍る。

 「は、はいっ」
 慌てて顔を上げると、冷たい瞳がまっすぐ私を射抜いていた。

 「この資料、確認不足だ。数字が一箇所合っていない」
 机に置かれた資料の端を、彼の指先が静かに叩く。
 その何気ない仕草にさえ、胸が痛んだ。

 「す、すみません……」
 必死に謝罪の言葉を口にする。
 彼はそれ以上責めることなく、ただ視線を逸らした。



 会議が終わり、資料を片付けていると、同僚がひそひそと囁いた。
 「ねえ、部長と西園寺さんって……知り合いなの?」
 「昨日も一緒に帰ってたでしょ?」

 心臓が跳ね、思わず否定しようとした。
 けれど蓮は何も言わず、黙ったまま会議室を出て行った。

 その背中を見送りながら、喉の奥に言葉がつかえていく。
 ――違う。ただの上司と部下。
 そう思い込もうとしても、心はどうしようもなく彼に縛られていた。



 「十年前の傷」が癒えぬまま、今度は「仕事」という形で再び彼と関わることになった。
 冷徹な上司の顔と、初恋の人の面影。
 その狭間で揺れる心に、私は静かに唇を噛んだ。

 ――もう二度と、関わらない方がいい。
 そう思うほどに、視線は彼を追ってしまうのだった。