「彼に相応しいのは私だけ」――あの日告げられた言葉は、まるで呪いのように胸に残っていた。
 オフィスで、街角で、ふとした瞬間に思い出しては心を締めつける。

 そんな折、彼女は再び私の前に姿を現した。
 昼休みのカフェ。
 私がひとりで席に座っていると、迷いのない足取りで近づいてきた。



 「随分と頑張ってるみたいね、西園寺さん」
 艶やかな笑みとともに、テーブルの向かいに腰を下ろす。
 「でも、結局のところ――蓮さんはあなたを選ばないわ」

 「……どうして、そんなことを」
 声が震える。

 彼女はためらいもなく囁いた。
 「十年前、彼が誰のために私と婚約したのか知ってる? 会社のため。家のため。……そしてあなたを守るためよ」

 衝撃に言葉を失った。
 「彼は愛しているからこそ、手放したの。あなたに耐えられる?」



 胸の奥が揺らぐ。
 ――愛しているからこそ手放す。
 そんな矛盾を、私は受け入れられるのだろうか。

 「やめろ」
 低い声が割り込んだ。
 振り返ると、蓮が立っていた。

 「お前に彼女の心を乱す権利はない」
 彼の瞳には怒りが燃えていた。
 けれど、その怒りは私を守るためなのか、それとも自分の過去を覆い隠すためなのか――わからなかった。



 「蓮さん……相変わらず優しいわね」
 彼女は挑発するように笑い、立ち去っていった。
 残された空気は重く、私は息を詰めるしかなかった。

 「……大丈夫か」
 蓮が私に視線を向ける。
 でも、私はうなずけなかった。
 彼の怒りに守られたのに、それすらも影の一部に思えてしまったから。



 その夜。
 佐伯からメッセージが届いた。
 《疲れてない? 夕飯でもどう?》

 迷いながらも会うと、彼は何も聞かず、ただ「無理しなくていい」と笑ってくれた。
 「人は過去に縛られるけど……未来を選ぶのは、自分の意思だよ」
 その言葉に、涙が込み上げた。

 ――どうして、彼はこんなに優しいの。
 どうして、私は蓮ばかりを追ってしまうの。



 元婚約者という影。
 過去に囚われ続ける蓮。
 そして、寄り添ってくれる佐伯。

 心を揺さぶる影は、これからさらに大きくなっていく気がした。