「……無理なものは、無理だって!」

 コルはそう言い、ため息をついて腰に手をあてた。

 「だいたい、卓が足りない。椅子もない。床に座ってもらえってのか」
 「……た、立ち飲み、とか……?」
 「あ、いいよ俺たちそれでも。すんませんねご店主。大勢で」

 リッキンは機嫌よくそう言い、手に持っている瓶を呷った。船から持ち出したものだ。ウィスタはそれを見て、目を剥いた。

 「ちょっと、持ち込み、だめ! ただでさえこの店、売り上げ厳しいのに。潰れちゃうでしょ! 明日にでも!」
 「……や、そんなに、すぐには……」
 「申し訳ない。我々は、ほんとうに外でも、床でもいい。この店……いや、この港に来られただけで満足だ」

 リッキンの後ろでオリアスが声を出した。コルの店の戸口である。店内を物珍しそうに見回している。
 その背後には、数十名の船乗りたち。シア航国《こうこく》第七艦隊、オリアスの船の乗員たちだ。
 オリアスがいうまでもなく、すでに店の構えのまえにめいめい座り、酒盛りを始めている。酒肴まで齧っているものがある。それも船から持ち出したものだろう。
 ウィスタはその様子をみて、はあと息をついた。
 オリアスと目を見合わせ、肩をすくめて、笑う。

 あの日。
 神殿に戻り、イディ三世は拘禁された。抵抗はなかった。主教の地位は剥奪され、現在は空位となっている。
 リリアは教政院《きょうせいいいん》議長を勤めながら、一時的に神殿に戻った。巫女の長として、あるじを失って混乱する巫女たちをよく束ねた。
 オリアスはウィスタを伴い、シア航国《こうこく》の母艦に戻って、重鎮たちに経緯を説明し、外洋へ帰した。航帝《こうてい》ゼルヘムは会話が可能な程度まで回復していたが、イディ三世との共謀について問われると、沈黙した。
 第七艦隊、オリアスの船のみが聖ルオ国へ戻った。
 オリアスはリリアの要請により、教政院と神殿のものたちへ、海上国家連合の立場をあらためて説明した。みな、はじめは懐疑的だったが、やがて納得した。
 
 聖ルオ国の、すべての港が開放された。
 神殿の巫女たちはそれぞれ分担を決め、各地へ向かった。
 シアから連絡を受けた各国の船は、すでに港に列をなしていた。

 この国は、数百年にわたる鎖国の歴史を、終えた。
 ひとりの、船護《ふなも》りの巫女の手によって。
 
 一連の出来事からしばらくたち、ようやく落ち着いた頃、オリアスがふいに言い出したのだ。
 あの港に、行ってみよう。ウィスタとはじめて出会った、あの港に。
 ときおり、暮らした場所を懐かしむウィスタを慮ったようだった。ウィスタは、それならみんなで、と提案した。
 
 第七艦隊がその港の沖合に到着したのは宵のくちであり、船員すべてが上陸したのはすでに夕食の時間もずいぶんすぎた頃だった。
 唐突に店に現れたウィスタの顔をみて、店主コルは驚愕した。その後ろにずらりと並んだ船員たちの数は、彼の顎をさらに地に落ちそうなほどに開かせたのだ。

 「……久しいな」

 すでにめいめい、勝手に酒盛りをはじめてしばらく経った頃。
 ウィスタとオリアスは店のカウンタに座って惣菜をつまんでいたが、戸口から聞こえた声に振り返った。

 「あ、リリアさま。よく店の場所、わかりましたね」

 教政院議長にして巫女の長であるリリアが、長い白銀の髪を揺らして店に入ってきた。オリアスたちの船に同乗したが、用事があるとのことで、いっとき別れて神殿の出先のほうに向かったのだ。
 ウィスタの隣、リリアのために空けておいた高椅子に腰掛ける。

 「遅くなった。おお、いい匂いだな」
 「あ、とりわけますね……でも、久しいなって。この店、来たことあるんですか?」

 ウィスタが小首を傾げてそういうと、リリアはコルが出したグラスをひといきに空け、ふうと息を吐いて、笑った。

 「ああ。コルは、この港での協力者だからな。おまえがこの店に世話になっていると聞いて連絡をとった。おまえの様子を常に伝えてもらってた」

 ウィスタは目をまるくした。カウンタのなかに振り返る。コルはしかめつらをした。

 「ちょっと、議長さん。それ言わない約束だったじゃないですか」
 「はは、すまん。だが、もういいだろう。おかげでオリアス殿の身柄を主教より先に抑えられた。でなければ他の密使と同じように消されてたぞ」
 「……は」

 ウィスタとオリアスは顔を見合わせ、かくんと、肩を落とした。

 「……ぜんぶ、最初っから、リリアさまの手のひらの上だったわけかあ……」

 ウィスタがそう呟くと、リリアは皿の上の肉詰めをつつきながら首を振った。

 「ここまでは、な。これからは、おまえたちにかかっている。ウィスタと、オリアス殿。シア航帝の六人の皇嗣たちからの返答がない。世界の各地で兄弟たがいに、覇権を争っているものたちだ。航帝のちからが弱まった今、好機とみてこの国に干渉してくる可能性がある」
 「……おっしゃるとおりです」

 オリアスが頷いた。

 「でも、止めてみせます。俺と……ウィスタで」

 そういい、ウィスタと目を合わせる。
 ウィスタは不思議なものを見るような表情でオリアスを見つめている。
 目を閉じた。顔は上向きだ。頬が上気し、唇が濡れている。
 オリアスは、えっ、という表情で左右を見回し、しばらくためらってから、ゆっくりと顔を近づける。
 ウィスタはその頬を、ぺちんと叩いた。

 「あはは、オリアスさま、ひっかかった!」
 「……っ!」

 オリアスは頬を抑えて声にならない声を出した。
 リリアはこぶしをくちにあて、ぷふっと吹き出した。

 「はは、とんでもない聖女さまを捕まえたな、第七皇嗣どのは」
 「あ、聖女って、まだ言ってる……違いますよお、わたしは」

 ウィスタは酒と惣菜のおかわりを求める手をあげながら、嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 「わたしは、船護りの巫女。この港町で唯一の、船護りのウィスタ!」


 <第一章 完>