ローエンシュタイン帝国ーー


 今から五ヶ月余り前ーー
 突然エヴェリーナが失踪したせいで、ジュリアスとの結婚は先延ばしになり、二ヶ月待たされた挙句皇太子からはセレーナ宮殿を出禁にされた。
 宮殿から追い出すつもりではあったが、失踪するのは予想外だった。

 皇太子にジュリアスとの結婚話はどうなったかと聞けば、そんな話は知らないと一蹴された。
 しかもあれからジュリアスは学院に来なくなってしまって、接触する事すら出来ない状態だ。

 折角婚姻書にサインまでさせたのに、このままでは全て水の泡になってしまう。



 メリンダ・フォールは、ローエンシュタイン帝国の隣国である小国エナンの生まれだ。
 何故ローエンシュタイン帝国ではなく、隣国に生まれてしまったのかとメリンダはいつも嘆いていた。
 小さな国の田舎貴族の男爵家の娘。
 華やかな社交界とは無縁の中で育った。
 到底屋敷とは呼べない古い家に住み、使用人は年老いた夫婦の二人だけ。
 貴族の娘なのに、持っているドレスは死んだ母が若い頃に着ていた古い物が数着。宝石なんて手にすらした事もない。

 幼い頃、母から城で開かれた舞踏会の話を聞いた事がある。
 想像出来ないくらい大きな城には豪華なシャンデリアが輝き、大理石の上には高級なカーペットが敷かれている。
 優雅な演奏の中、踊る人々は煌びやかなドレスや宝石を纏う。
 その話を聞いた時、胸の高鳴りが止まらなかった。いつか、自分も綺麗なドレスを着てお城でダンスを踊りたい! そう願い憧れた。
 
 だが現実は甘くはない。
 ただ願うだけで、気付けば十五歳になっていた。
 婚約者もおらず、このままではどこぞの平民と結婚するしかなくなる。毎日、希望の見えない未来に絶望し焦燥感に駆られていた。そんな時だった。第二皇子の使者やって来たのは……。

 今から一年程前、ローエンシュタイン帝国の第二皇子であるマクシミリアンの使者がフォール家を訪れた。
 詳しい事は分からないが、ローエンシュタイン帝国の第七皇子と結婚し現第七皇子妃を宮殿から追い出して欲しいと言われた。
 成功した暁には、メリンダは皇子妃となり更に第二皇子からは資金援助を惜しまないと言われ、メリンダも父の男爵も一世一代の絶好の機会だと二つ返事で快諾をした。
 
(後、少しだったのにっ……)

 追い出す事には成功したが、第二皇子から提示された条件は満たせていない。
 それに、そもそもメリンダ自身の目的は皇子妃になる事だ。
 このままでは、何も手にはいらない。
 折角、あの頭の弱いジュリアスを言いくるめて結婚まで漕ぎつけたというのに無駄になる。

「メリンダ、ジュリアス殿下とは会えたのか?」

「皇太子殿下に立ち入り禁止にされているから、何度行っても全く取り合って貰えないわ。ジュリアス様も最近学院にも来ないし、本当最悪よ」

 第二皇子からあてがわられた屋敷に戻ると、父が焦りを滲ませながら声を掛けてきた。
 もしこのままジュリアスと結婚出来なければ、この立派な屋敷からも追い出されてしまうだろう。
 故郷の家も売ってしまったし、老夫妻には暇を出した。もう帰る場所もない。父も必死だ。

(冗談じゃないわ。こんな機会、もう二度とないのにっ)
 
 第七皇子妃になれば、あの帝国随一である煌びやかなセレーナ宮殿で暮らせる。
 沢山の使用人に傅かれ、毎日豪華な食事を食べ、優雅にお茶会をする。綺麗なドレスに高価な宝石を身に纏い憧れの舞踏会で踊れる。

 衣装部屋は最低三部屋必要だ。
 ドレスと宝石は毎日違う物を身に付ける。同じ物は二度は使わない。それくらい当然だ。
 なにしろ帝国の皇子の妃なのだ。
 メリンダの生まれた国のようにちんけな小国なんかじゃない。
 憧れていた西大陸の頂点に君臨するローエンシュタイン帝国なのだ。
 
(そうよ、私はローエンシュタイン帝国の皇子妃になるの。手段は選ばないわ)

 このまま大人しく引き下がってやるものか。
 絶対に皇子妃になってやる。
 そもそもエヴェリーナは、いなくなったのだから自分が妃になれない理由がない。こっちには、ジュリアスが署名した婚姻書があるのだ。
 だがマクシミリアンの配下によれば、ジュリアスとエヴェリーナの離縁は成立されていないという。そうなると、幾らメリンダが婚姻書があると主張した所で相手にはされないだろう。
 既成事実でもあれば別だろうが、皇子であるジュリアスと学院以外で二人きりになるのは難しいだろう。
 だがジュリアスが学院に復帰するのを悠長に待ってなどいられない。もしも、エヴェリーナが戻ってくるような事があればお仕舞いだ。
 早急に手を打たなくてはならない。
 
(とにかく今は、どうにかしてジュリアス様に会わないといけないわね)

 メリンダは頭をしぼり、次の策を考え始めた。