旧校舎の、一番奥の階段。
私は床いっぱいに、ワックスを塗り広げていた。
もちろん、ただのワックスじゃない。
夜一くんが教務室で見つけたものを、できるだけ同じ状態で再現したものだ。
「レオくん、準備はいい?」
私はタブレットを構えながら言う。
「ここから階段の下まで――一歩も滑らずに、優雅にティーカップを運びなさい」
床は、まるで氷みたいにツルツルだ。
レオくんが一歩踏み出した瞬間、身体がぐらりと傾いた。
「わっ……!?」
慌てて手すりにつかまる。
「お嬢様、これは少し……度が過ぎないかな?」
「甘いわね」
私は即答する。
「想定以上の滑りやすさで練習しないと、本番で成功するわけないでしょう?」
「でも――」
「それとも」
私は腕を組んで言った。
「大勢の前で足を滑らせて、無様に転ぶレオくんを見せたいのかしら?」
レオくんの眉がぴくりと動く。
「床で足を滑らせて転ぶなんて、あなたの美学に反するでしょう? ……滑稽な姿で終わるか、伝説を残すか。どちらがいい?」
私はタブレットを片手に、わざとらしく彼を挑発する。
美学にこだわるレオくんにとって、これはかなりの刺激になるはず。
「……ふふ。僕が滑ったり、転んだりするわけないでしょ?」
レオくんは金髪をかき上げる。
「フィギュアスケーターより優雅に、このステージを支配してみせるよ」
うんうん。その自信と単純さ、嫌いじゃないわ。
「今の重心! 右に0.5ミリズレてるわ! ……嵐くん、レオくんに風を送って!風さえも味方にするのよ!」
「おう! ……くらえ、この微風!」
嵐くんがレオくんの後ろに回り込み、ふっと風を送る。
強すぎず、弱すぎない。
その絶妙な風を受けて、レオくんの体がふわりと流れた。
次の瞬間――くるり。
まるでフィギュアスケーターみたいな優雅なターンで、きれいに着地する。
「……ふふ、なるほど」
レオくんが髪をかき上げて笑う。
「お嬢様の計算通り、風さえも味方につけるってわけだ」
「そうよ!」
私はすぐ次の指示を出す。
「朔、次はマダム役。レオくんが歩いてるときに、耳元で毒舌をささやいて。集中力を乱すのよ!」
朔がレオくんの横に並ぶ。
「レオ。今日のネクタイ、ちょっとセンス古くない?」
淡々とした声。
でも、確実に心に刺さる嫌味だ。
すると、さっきまで優雅に歩いていたレオくんの足元が、一瞬だけぐらりと揺れた。
「……そ、そうかな? これは僕が一番気に入ってるシルクの――」
「ストップ!」
私はすぐに声を上げる。
「今のは否定。データ的に見て、最悪の返しよ。そして動揺しちゃってる」
レオくんは滑る床の上で必死にバランスを取りながら、悔しそうに眉を寄せた。
「……だって、お嬢様。センスを否定されるのは、僕の美学が許さないんだ。つい言い返したくなって……」
「そこが罠なのよ」
私はタブレットを操作する。
「毒舌マダムの狙いは、あなたのプライドを刺激して歩きを乱すこと。正面から反論しちゃダメ」
レオくんを見る。
「相手の言葉を全部受け止めて――それ以上の輝きで返すのよ」
私はタブレットの画面を見せた。
そこには、マダムの口癖や好みの分析データが並んでいる。
「この人はね、自分を立ててくれる相手に弱いの。だから否定されたら、逆に言うの」
私は指で画面を指す。
「あなたを思ってこれを選びましたって」
「……なるほど」
「特別感を演出するのよ。さあ、リトライ!」
レオくんは深く息を吐いた。
そして瞳の奥に、きらりとプロの光が宿る。
「……もう一回頼むよ、朔」
「りょーかい」
朔が同じ嫌味を投げる。
「レオ、そのネクタイ古臭くて見てられないんだけど」
でも――今度のレオくんは、まったく動じなかった。
滑る床の上で、完璧な微笑みを浮かべる。
「ご指摘ありがとうございます。確かにこれは伝統的な柄です。でも――」
優雅に一歩前に踏み出し、流し目で一礼する。
「今日、誰よりも鋭い審美眼を持つあなたとお会いするからこそ。敬意をこめて、このクラシックを選んだんですよ」
一瞬、毒舌役の朔まで、言葉を詰まらせた。
――完璧!
物理的な転倒リスクと、精神的なノイズ。
両方を同時に処理している。
「いいわ、レオくん! その調子!」
私は声を上げる。
「本番ではマダムだけじゃないわ。会場の令嬢みんなをメロメロにしてしまいなさい!」
「……了解だよ、お嬢様」
レオくんが優雅に振り返る。
「僕のパフォーマンス、最高の完成度で披露してあげる」
最後にキメのポーズ。
その瞬間、床のワックスが光を反射して――まるでレオくんのためのレッドカーペットみたいに輝いた。
よし。椿さんの罠は、これで完全に私たちのデータに組み込まれたわ!
私は床いっぱいに、ワックスを塗り広げていた。
もちろん、ただのワックスじゃない。
夜一くんが教務室で見つけたものを、できるだけ同じ状態で再現したものだ。
「レオくん、準備はいい?」
私はタブレットを構えながら言う。
「ここから階段の下まで――一歩も滑らずに、優雅にティーカップを運びなさい」
床は、まるで氷みたいにツルツルだ。
レオくんが一歩踏み出した瞬間、身体がぐらりと傾いた。
「わっ……!?」
慌てて手すりにつかまる。
「お嬢様、これは少し……度が過ぎないかな?」
「甘いわね」
私は即答する。
「想定以上の滑りやすさで練習しないと、本番で成功するわけないでしょう?」
「でも――」
「それとも」
私は腕を組んで言った。
「大勢の前で足を滑らせて、無様に転ぶレオくんを見せたいのかしら?」
レオくんの眉がぴくりと動く。
「床で足を滑らせて転ぶなんて、あなたの美学に反するでしょう? ……滑稽な姿で終わるか、伝説を残すか。どちらがいい?」
私はタブレットを片手に、わざとらしく彼を挑発する。
美学にこだわるレオくんにとって、これはかなりの刺激になるはず。
「……ふふ。僕が滑ったり、転んだりするわけないでしょ?」
レオくんは金髪をかき上げる。
「フィギュアスケーターより優雅に、このステージを支配してみせるよ」
うんうん。その自信と単純さ、嫌いじゃないわ。
「今の重心! 右に0.5ミリズレてるわ! ……嵐くん、レオくんに風を送って!風さえも味方にするのよ!」
「おう! ……くらえ、この微風!」
嵐くんがレオくんの後ろに回り込み、ふっと風を送る。
強すぎず、弱すぎない。
その絶妙な風を受けて、レオくんの体がふわりと流れた。
次の瞬間――くるり。
まるでフィギュアスケーターみたいな優雅なターンで、きれいに着地する。
「……ふふ、なるほど」
レオくんが髪をかき上げて笑う。
「お嬢様の計算通り、風さえも味方につけるってわけだ」
「そうよ!」
私はすぐ次の指示を出す。
「朔、次はマダム役。レオくんが歩いてるときに、耳元で毒舌をささやいて。集中力を乱すのよ!」
朔がレオくんの横に並ぶ。
「レオ。今日のネクタイ、ちょっとセンス古くない?」
淡々とした声。
でも、確実に心に刺さる嫌味だ。
すると、さっきまで優雅に歩いていたレオくんの足元が、一瞬だけぐらりと揺れた。
「……そ、そうかな? これは僕が一番気に入ってるシルクの――」
「ストップ!」
私はすぐに声を上げる。
「今のは否定。データ的に見て、最悪の返しよ。そして動揺しちゃってる」
レオくんは滑る床の上で必死にバランスを取りながら、悔しそうに眉を寄せた。
「……だって、お嬢様。センスを否定されるのは、僕の美学が許さないんだ。つい言い返したくなって……」
「そこが罠なのよ」
私はタブレットを操作する。
「毒舌マダムの狙いは、あなたのプライドを刺激して歩きを乱すこと。正面から反論しちゃダメ」
レオくんを見る。
「相手の言葉を全部受け止めて――それ以上の輝きで返すのよ」
私はタブレットの画面を見せた。
そこには、マダムの口癖や好みの分析データが並んでいる。
「この人はね、自分を立ててくれる相手に弱いの。だから否定されたら、逆に言うの」
私は指で画面を指す。
「あなたを思ってこれを選びましたって」
「……なるほど」
「特別感を演出するのよ。さあ、リトライ!」
レオくんは深く息を吐いた。
そして瞳の奥に、きらりとプロの光が宿る。
「……もう一回頼むよ、朔」
「りょーかい」
朔が同じ嫌味を投げる。
「レオ、そのネクタイ古臭くて見てられないんだけど」
でも――今度のレオくんは、まったく動じなかった。
滑る床の上で、完璧な微笑みを浮かべる。
「ご指摘ありがとうございます。確かにこれは伝統的な柄です。でも――」
優雅に一歩前に踏み出し、流し目で一礼する。
「今日、誰よりも鋭い審美眼を持つあなたとお会いするからこそ。敬意をこめて、このクラシックを選んだんですよ」
一瞬、毒舌役の朔まで、言葉を詰まらせた。
――完璧!
物理的な転倒リスクと、精神的なノイズ。
両方を同時に処理している。
「いいわ、レオくん! その調子!」
私は声を上げる。
「本番ではマダムだけじゃないわ。会場の令嬢みんなをメロメロにしてしまいなさい!」
「……了解だよ、お嬢様」
レオくんが優雅に振り返る。
「僕のパフォーマンス、最高の完成度で披露してあげる」
最後にキメのポーズ。
その瞬間、床のワックスが光を反射して――まるでレオくんのためのレッドカーペットみたいに輝いた。
よし。椿さんの罠は、これで完全に私たちのデータに組み込まれたわ!



