――六月下旬、夕立が全てを奪っていった。
 土砂降りの雨が容赦なく顔や肩を叩きつける中、私は靴を踏みしめ、必死に家へ駆け抜けた。
 
 濡れた制服が肌に貼りつき、息が上がる。
 自宅にたどり着く。
 靴をひっくり返したままベランダへ直行した。

「はぁっ……はぁっ……。ない……、ない、ないっ!!」

 エアコンの室外機の上に置いていたものが、どこにも見当たらない。
 今朝は晴れていたから油断していた。
 まさか、暴風雨に見舞われるなんて。

「もしかして、風で飛ばされちゃったのかな……」

 再び靴を履き、傘を開いてから外へ。
 だが、強い風に煽られて骨が折れ曲がり、あっという間に使い物にならなかった。
 
 気を立て直し、家の周りを何度も行き来した。
 隣家にも声をかけ、泥だらけの手で植木や草をかきわけながら必死に探した。
 
 夕暮れが迫る空の下で、日照時間が長い季節。
 空はもう暗くなっていた。

 夢中で探していたからだ。
 すると、後方から近づいてきた車が接近したと同時に、バシャッとしぶきが上がる。

「きゃっ!」

 跳ね返りの水がかかり、目頭がじんわり熱くなる。
 見逃してる場所があるかもしれない。
 放射状の雨に包まれながら来た道を戻った。

「こんなお別れ、やだよ……」

 天の神様に訴えかけるかのように呟いた。
 無意味だとわかっていても。

 すると、公園の植木にベージュ色のものが見えた。
 口角が軽く上がり、手を突っ込む。
 でも、掴み取ったものはコンビニのレジ袋。
 
 手の甲にポタポタと雫を描いている雨が、私の心をより冷やしていく。

 遠くからゆっくり近づいてきた足音。 
 目の前で止まったと同時に雨が止み、黒い影が視界を覆った。

 声の方に振り返る。
 同年代と思われる青年が、傘をさしたまま唇を震わせていた。
 まるで、昔から知っている人を見つるような眼差しで、私を見つめている。

 目が合った瞬間、サッと視線をそらした。

「みっ……、あっ、大丈夫? 全身濡れてるけど」

 見知らぬ顔だった。
 でも、どこかで見たような……。
 唇をきゅっと結ぶ。

「あなたには関係ありません」
「でも、そのままじゃ風邪を引いちゃうよ」
「ホントに大丈夫ですから。……酷い言い方かもしれないですけど」

 小さなため息をつき、唇をかみしめたまま俯く。
 彼は私の手を引いて、そっと傘の柄を握らせた。

「じゃあ、これ使って」

 傘を受け取った瞬間、胸がトクンと鳴った。
 見上げると、優しい瞳が私を見ている。

「でも、傘を使ったらあなたの方が……」
「平気だよ。君の方が、必要なんじゃないかなと思って」
「そんな……、見知らぬ人からは受け取れません」

 傘を前に押し付けると、彼はじっと見つめたまま薄く微笑んで、呟いた。
 
「じゃあ、昔から知ってる……って言ったら?」

 私はハッと目を向けた。
 記憶を巡らせても、知らない顔。
 それなのに、少し自信があるかのように、目線を外さない。

「……それ、どういう意味ですか?」

 瞳を揺らせたまま彼を見つめた。
 何度見ても、見覚えがない。
 でも、瞳の奥は真っ直ぐで、澄んでいて、私の心を見透かしているかのよう。
 
 胸をドキドキさせ、黒目を左右させていると、彼はニコっと笑った。
 
「あはは。冗談だよ」

 私が困っている時に、どうしてそんな冗談を……。
 ため息をつき、黙っていると、彼は目線を上げる。
 
「ごめん。もうちょっと話していたいけど、呼ばれて行かなきゃいけないところがあるから」
「えっ、ちょっ、ちょっと!」
「……また、明日ね」
  
 ザアザアと雨音が耳を包む中、彼の背中は遠ざかっていく。
 雨音に背中を押され、追いかけようと思った。
 でも、足が動かず、その背中をただ見送るしかなかった。
 
 ――これが、彼と最初の出会いだった。
 いや、本当は最初ではない。私も彼もよく知っている。
 瞳の奥の輝きに、気づかなければならなかった。
 
 でも、こんなに長い時間がかかってしまうなんて。