面接から数週間後、美咲は大手総合商社から内定の通知を受け取った。封筒を開けた瞬間、彼女は胸につけていたウサギの絵の感触を思い出した。あの時、勇気を出して正直に話したことが、面接官の心を動かしたのかもしれない。美咲は、その感謝の気持ちを伝えるために、悠馬にメッセージを送った。
「こんにちは、美咲です。覚えていらっしゃいますか?」
「あの時の子だね、覚えているよ」
悠馬からの返信は、すぐに来た。美咲は嬉しくて、スマホを握りしめながら、面接のこと、内定をもらえたことを伝えた。そして、一番伝えたかった言葉を、震える指で打ち込んだ。
「あの時、勇気を出せたのは、悠馬さんがいてくれたからです。本当にありがとうございました」
そのメッセージを読んだ悠馬は、カフェでスケッチブックを広げながら、静かに微笑んだ。彼が美咲に渡したものは、ただのウサギの絵ではなかった。それは、見知らぬ誰かの心を動かす、彼自身の「優しさ」だった。そして、美咲が面接で得たものは、内定でも、完璧な自己評価でもなく、一歩踏み出す「勇気」だった。
二人の出会いは、たった5分間の出来事だった。しかし、その短い時間の中で、お互いの人生に、確かな変化をもたらしていた。
その日の夜、美咲は悠馬と、初めて電話で話した。電話口から聞こえる彼の声は、どこか優しく、疲れた様子が感じられた。悠馬は、美咲に、なぜあの時、ウサギの絵を描いてブラウスに貼ったのかを話してくれた。
「実は…俺も、その日、大事なプレゼンがあったんだ。でも、納得のいく絵が描けなくて、締め切りに追われていた。だから、君の焦っている姿を見て、昔の自分を見ているようだった。あのウサギは、俺自身へのエールだったのかもしれない」
美咲は、その言葉に胸が熱くなった。彼もまた、自分と同じように、何かに悩み、葛藤していた。でも、彼は、自分の気持ちを絵にすることで、乗り越えていた。
「悠馬さんの絵は、不思議な力を持っていますね。あの絵を見ると、心が温かくなります」
美咲の言葉に、悠馬は照れたように笑った。
「ありがとう。君にそう言ってもらえると、俺も嬉しいよ。今度、君の新しい門出を祝って、何か描いてあげたいな」
美咲は、その言葉に、胸が高鳴るのを感じた。それは、内定をもらった時とは違う、新しい未来への期待だった。
数日後、美咲と悠馬は、再び、あの高層ビルで待ち合わせをした。エレベーターに乗った二人は、お互いの顔を見ながら、照れくさそうに微笑んだ。
「この場所、なんだか、すごく懐かしいですね」
「うん。あの時は、君のブラウスにシミをつけてしまって、ごめんね」
「いいえ、おかげで、人生が変わりました」
美咲は、少しだけ俯きながら、正直に言った。悠馬は、その言葉に驚き、美咲の顔をじっと見つめた。
「そっか…嬉しいな。俺も、君に会えて、なんだか、新しいインスピレーションが湧いてきたんだ」
そう言うと、悠馬は、美咲に新しいスケッチブックを差し出した。
「新しい門出のお祝いに。開けてみて」
美咲は、ドキドキしながらスケッチブックを開いた。そこには、真新しいページに、一羽の大きな鳥が描かれていた。そして、その鳥の横には、小さなウサギが、空を飛ぶ鳥を、嬉しそうに見上げている。
美咲は、その絵を指でそっと撫でた。
「このウサギ…私ですか?」
「うん。これからは、君も、自由に羽ばたいてほしいと思って」
美咲は、涙がこぼれそうになるのを必死に堪え、悠馬の顔を見つめた。悠馬は、美咲の表情を見て、優しく微笑んだ。
「もし、また道に迷うことがあったら、いつでも俺に電話して。君が羽ばたけるように、いつでも描いてあげるから」
美咲は、その言葉に、胸が高鳴るのを感じた。それは、この先の未来で、どんな困難なことがあっても、この人と一緒なら乗り越えられる、という確信だった。
二人は、エレベーターを降り、都会の喧騒の中へと歩き出した。美咲のバッグの中には、悠馬がくれたスケッチブックと、電話番号が書かれた一枚の紙が入っていた。
そして、その日、二人の新しい物語が、静かに幕を開けたのだった。