幸運をプラス、不運をマイナスと考える。

 人生の最期、誰もが己の軌跡を振り返ればプラスマイナスゼロになる、と何かの本に書いてあった。
 つまり、それは、幸も不幸も皆平等に分け与えられている、ということだ。

 ここで、僕の15年の人生をふりかってみるとしよう。

 書道の師範、という肩書きを持つ両親の元に生まれた僕は、まず、役所の人間に名前をトチられた。
 しかも、両親は「面白い」という非人道的な理由で改名もしてくれない。

 そして、そんな僕は、15歳という年齢に達するまで、30回くらい走馬灯を見てきた。
 君の走馬灯はどうだろうか。僕の走馬灯のストーリーは、いつだって、悲劇。

 川で溺れ、海で溺れ、山で遭難し、デパートでは迷子になった挙句誘拐され、銀行では強盗の人質になったこともある。
 あ、プール……銭湯でも溺れたなあ。

 まだまだある。

 階段で背中を押されて転げ落ちることはしょっちゅうだし、しょっちゅうといえば、交通事故だってそうだ。車、バイク、自転車、極めつけは三輪車。

 そのたびに走馬灯という名の悲劇を見させられ、そのストーリーが一つ増える。

 今では、近くの救急病院は第二の我が家と言ったとして過言はないだろう。

 私生活だって負けてない。ひとたび道を歩けば、上から何かが必ず落ちてくる。
 一番怖かったのは、通りかかった家の夫婦喧嘩に巻き込まれて、窓から包丁が飛んできたことだ。

 公園に入って休憩しようとすれば落とし穴。立ち止まれば、チンピラにカツアゲをくらう。

 中学校に入ったあたりから僕の不運はさらに加速し、犬は、僕を見れば必ず吠えるし、猫はその爪で僕を狙う。

 僕の注意力が足りない? こんな人生を送ってきたんだ。こと注意力と観察眼にたいしては、誰にも負けない自信はある。

 それでも、僕はついてない。

 あのプラスマイナスゼロ説に換算すると、僕の今の点数はマイナス100超えの大台にのっているはずだ。
 
 明日からの高校生活、きっと明るい……はずなのだ。

 ……第三希望まで全て落ち、定員割れの高校に滑り込みで入った高校生活は。