「まだ休んでた方がいいよ、柊さん」

 「…………えっと」

 何で私の名前を……それは保健委員の人なら知ってるものなのかな?

 「あ、さっきの百メートル走で話題になってたからね。柊さんは一躍、時の人だよ。校内新記録どころか、日本新記録に迫る速さだったらしいし。多分、陸上部のスカウトが来て、これから忙しくなるんじゃないかな」

 「えー……」

 想像するだけでげんなりした私は、もそもそとベッドの中へと戻った。

 「あはは……でも、十二秒は本当に凄いね。僕の兄さんも陸上の選手だったから、その意味が分かるんだ」

 「そうなんだ」

 私は顔を上半分だけ外に出す。

 「じゃあ、僕はそろそろ行くから。十分に休んでいってね」

 「あ」

 「……何?」

 「えっと……」

 そうだ、こんな時は、お姉ちゃんが教えてくれたアレを思いだせ。

 初対面の人と接するにはどうすればいいかって? エイハちゃんと同じ台詞を言えばいいのだ。何だ簡単な事じゃないか。

 「私、中学の時は一緒じゃなかったし、同じクラスでもなかった柊紅奈です」

 「え?……それは……そうだね」

 彼はちょっと首を傾げた。

 「一緒のクラスではないけど、これからよろしくね」

 あとは……笑顔……。あれ……あの時、どんな感じで笑ってたっけ?

 私はニタ……と、多分、不気味に笑って手を彼に差し出したの。

 「え?……うん、もちろん」

 彼は私の手を掴んでくれた。

 その瞬間……何だろうか……心臓がドキっと……。

 「僕は二年Aクラスの長谷部礼司」

 「ありがとう」

 そこでどうしてお礼の言葉が出たのか分からず、私はまたヤドカリのようにベッドの奥に戻っていったの。

 それから数日……それはもう大変だった。

 「ねえ、本当に陸上部に入らないの?」

 エイハちゃんがしつこく誘ってくる。一時は顧問の先生まで来て大変だった。

 それはそれとして別の問題が……。

 「あ痛たたた……」

 全身が筋肉痛。歩く度に足が笑ってて(ほんとに笑ってるわけじゃないよ、フルフルって震えてる感じ)学校から帰る途中も、しょっちゅう、どっこらしょっと言って休憩しながら帰る感じ。

 いつか私も歳をとったら、こんな感じになるのかもしれないなーって郷愁に耽る。

 =なあに? その格好……。とてもうら若き十六歳の乙女には見えないんだけど=

 =お姉ちゃんのせいじゃないの?=

 他人のせいにしてるようだけど、もちろん本気じゃない。

 あんな苦しい状況でも走り続けたお姉ちゃんには、何と言っていいか分からないけど、

 私もいつか……あんなふうに乗り越えていけるんだろうか……。

 自信ないなあ。

 =それよりもさ……フフ……=

 「…………」

 お姉ちゃんが笑ってる。こんな時は何か含みのある事を言う前触れなのだ。なんか怖いよ。

 =保健委員の彼……長谷部君。かなり紅奈は気に入ったみたいじゃない?=

 =まあ……普通ぐらいには=

 =そんな事ないでしょ。ねえねえ=

 =もう……=

 私の頭の中のお姉ちゃんには、もちろん隠し事なんかできるはずもなく、全てが筒抜けなわけで。

 とりあえず正直に話す事にする。