「なあ青葉。髪を編み込むのって、どうすればいいんだ?」
「なに、突然?」

 ある日の放課後の帰り道。同じ中学に通う同級生の涼介から、突然こんなことを聞かれた。涼介とは十年来の長い付き合いという、いわゆる幼馴染みってやつだけど、私の知る限り、彼がそういう方面のオシャレに興味がある、なんて話は、今まで聞いたことがなかった。

「この前、咲ちゃんの誕生日にヘアピンを贈っただろ。それ以来ヘアアレンジに凝っていて、編み込みをやってたんだけど後ろの方がやりにくいみたいなんだ。それで、俺にできるかって聞かれた」
「なるほどね。お兄ちゃんとしては、いいとこ見せたいわけだ」
「からかうなよ。けどまあ、こんなことでもせっかく頼ってくれたんだから、何かしてやれたらっては思ってる。最近じゃ、前より打ち解けてきたような気かするし……」

 咲ちゃんというのは、小学生六年生になる、涼介の妹。って言っても、割と最近、両親の再婚によって兄妹になった子だ。

 全くの他人だった子が家族になるって、どんな気持ちなんだろう。新しくできたお義父さんもそうだけど、それ以上に咲ちゃんのは涼介にとってどう接したらいいかわからずに、悩むこともあった。
 だけど話を聞いていると、最近はそんな二人の距離も、前と比べてしだいに縮まってきているみたいだ。
 度々相談を受けていた私としても、なんだか嬉しくなってくる。

 だけど、ヘアアレンジか。確かにこれは、一度もやったことのない男子にとっては、どうすればいいのかわからないかもしれない。

「やり方自体は、ネットで調べることができるけど、見ただけでできるものでも無さそうだからな」

 やるならちゃんと可愛く仕上げてやりたい。なんて言って悩む涼介。そこで私はふと、あることを思いついた。

「だったらさ、私で試してみない?」
「えっ?」
「まず私で練習して、上手くなったら咲ちゃんにやってみるってのはどう?」

 この提案に、涼介は一瞬考え込んで、それからおずおずと聞いてくる。

「いいのか? 髪、色々触ったりいじったりするんだぞ」
「いいから言ってるの。って言うか、編み込みってそういうものでしょ」

 むしろ、髪を触らずに編む方法があれば見てみたい。

「その……ありがとな」
「ふふーん。感謝しなさいよ」

 ふざけた調子で感謝を求めるけど、本当はそんなのいらない。なぜなら私自身、それをけっこう楽しみにしている部分があるからだ。

 男の子に、髪を梳かしてもらう。あるいは、編んでもらう。たまにマンガや小説でそんなシチュエーションを見かけるけど、それは私にとって、かなりのエモさを感じるシーンでもあった。ついこの間も、ネット小説でそんな場面を見つけて、私にもそんなことが起きたらな、なんて一人で妄想をしていたのだ。
 ちなみに、妄想の中で私の髪を弄っていた相手というのも涼介だ。こんなこと、本人には絶対言えないけどね。







 そんな私の秘めた思いなんて知る由もなく、そのまま涼介は我が家へと、私の部屋へとやってきた。こうして気軽にお互いの家や部屋へとやってこれるのは、気心知れた幼馴染みの特権かもしれない。
 それはさておき、いよいよ編み込みの練習開始だ。

「やり方はもう調べているだけど、これでいいか?」

 涼介はそう言うと、スマホに表示された編み込みの動画を見せてくる。私も確認したけど、特におかしなところもなくて、これなら後は、実戦あるのみだ。

「問題なし。それじゃ、早速はじめようか。いつでもいいよ」
「あ……ああ」

 私がイスに腰掛けると、涼介はその後ろに立ち、そっと髪に向かって手を伸ばしてくる。

「じゃあ、やるぞ。気をつけるけど、変に引っ張ったりするかもしれないから、痛かったらすぐに言ってくれ」

 涼介はそう言うと、まずは貸していた櫛で軽く何度か髪を梳いていく。それから一束掴んで、掬い上げるようにゆっくりと持ち上げた。
 その拍子に、涼介の指先が私の首筋をなぞる。

「ん──っ」
「あっ、ごめん。強く引っ張りすぎたか?」
「別に、そんなんじゃないから」

 痛くなんてない。ただ、ほんの少しのくすぐったさを、そして、緊張を感じただけだ。

 なんと言うか……近いんだ、涼介との距離が。
 後ろにいるからその表情を見ることはできないけれど、今や彼の顔は、息使いさえも聞こえてくるくらい近くにせまっていた。そしてその手は、ついさっき持ち上げた私の髪を、たどたどしい様子で少しずつ編み込んでいく。その距離が、行為が、なんとも言えない気恥ずかしさを生み出しているんだ。

 もちろん、最初にやるって決めた時から、こういうことをするもんだっていうのはわかっていた。女子同士でヘアアレンジをする時だって、基本的にはそんな感じだ。
 だけどその相手が男子となると、いや涼介となると、やってることは同じはずなのに、思わずドキッとしてしまう。なのにそれでいて、決して嫌とは思えなかった。

 涼介はどうなんだろう。この距離、この体勢に、少しは緊張したり、ドキッとしたりしているのかな?
 できることなら、少しでいいから、私と同じ気持ちを感じてくれていると嬉しいな。
 もしも全く、これっぽっちも緊張もドキドキもしていないなら……うーん、ちょっぴり腹が立つかも。

 そうして、どのくらい時間が経っただろう。長らく私の髪をいじっていた涼介の手が、ついに止まった。
 終わったかなと思ったその時、少し焦ったように言う

「えっと、できたことはできたけど、上手くいかなかったから、最初からやり直していいか?」
「えーっ、今さらそれ? せめて、どんな風になってるのかだけでも見せてよ」

 果たしてどんな出来映えか。確認しようと思えば、作業中にも鏡を使って見ることはできた。だけどそつしなかったのは、完成した時の楽しみにとっておいたからだ。なのにここまできてお預けなんてあり得ない。
 鞄から鏡を取り出し、そこに映った自分の姿を、編み込まれた髪を見る。

 そして次の瞬間、思わず吹き出していた。

「ちょっと、なにこれ? いくらなんでも酷すぎ!」

 鏡に映った私の髪は、一応は編み込みの形になっていた。だけどユルい部分ときつく結ばれた部分が不規則に混在していて、編み損ねた毛が所々にピョンピョンと飛び出ている。ハッキリ言ってかなりのブチャイクだ。

「笑うなよ。初めてなんだから仕方ないだろ」
「ごめんごめん。でもこれ、私で練習しといてよかったよ。こんなの咲ちゃんにやったら、一気に嫌われちゃうからね」

 涼介自身、失敗したのはわかっているんだろう。笑う私をジトッとした目で見てはくるけど、それ以上の反論が出てこない。

「まあまあ、これから上手くなっていけばいいじゃない。もう一度、やってみる?」
「…………やる」

 というわけで、すぐさま髪をほどいて開始された、涼介の編み込み練習第二回。
 再び私の髪を梳きながら、涼介は耳元でボソリと呟く。

「言っとくけど、俺は特別不器用ってわけじゃないからな」
「はいはい。初めてだから、勝手がわからなかっただけなんだよね。じゃあ今度は、もう少し上手くやろうか」

 直前に大いに笑っていたたせいか、既に一回目のような緊張感はなく、自然とこんな軽口だって出てくる。
 あのドキドキや緊張感は楽しくはあったけど、二度目となるとさすがにしんどいから、思いきり笑っておいてよかったよ。

 だけど私の言葉を聞いた涼介は、更に小声で、拗ねたようにブツブツと何か言っていた。

 それは多分、私に聞かせるつもりのない言葉だったんだろう。だけどあまりに距離が近いから、聞こえちゃった。

「しょうがないだろ。青葉の髪を触るって思うと、ドキッとして、全然集中できなかったんだから」







「……いや、涼介。あんた絶対不器用でしょ!」
「いや、初めてでなれていないだけだって」

 その後も続く、涼介の編み込み練習。だけどことごとく失敗し続け、私は幾度となく、珍妙な髪型へとされ続けている。
 その数なんと21回。初めてって言い訳ができるのは、最初の1回2回くらいまでだよ。ここまでくると、髪をいじられるドキドキ感もとっくに枯れ果てていた。

「頼む。もう1回だけ、チャレンジさせてくれ」
「はぁ……いいよ」

 って言うか、これだけ付き合ってやってる私、えらいよね。
 かくして涼介は、21回目のチャレンジに乗り出すわけだけど、それが上手くいったかどうかは、また別の話だ。