この子は犯人じゃありません!

「ただいま!」
 リビングのドアにクゥちゃんが飛びかかっている音が聞こえる。
 わたしの帰宅を歓迎してくれているのがうれしい。
 ドアを開けるとしっぽをブンブンふっているクゥちゃんがいた。
 学校で不機嫌になってしまうようなことがおこっても、足下に絡みついてくるクゥちゃんを見たら、すぅっと、モヤモヤが飛んでいくようだった。
 きのうはティッシュの片付けにかかりきりで、散歩にも行ってない。
「散歩いこっか!」

 クゥちゃんはいくつかの言葉を理解していた。
 散歩も大好き。
 うれしさあまって暴れ回るもんだから、リードを装着させるのに格闘すること3分。準備が終わるころには一仕事終えた気分でへばってしまったが、おねだり上手なクゥちゃんに後押しされて家を出た。

 クゥちゃんを後ろからパシャリと一枚撮影してSNSにアップする。
『はやる気持ちをおさえられないクゥちゃん』
 立ち止まってスマホを操作するも、クゥちゃんは待ちきれない様子。
 お決まりのコースをぐんぐん歩いて一番近くの児童公園までやってきた。
 こぢんまりとした公園なんだけど、あんまり人がいなくてクゥちゃんとふたりで遊ぶのには最適なのだ。もちろん、リードはつけたままだけど。

 ――と、目の前を白いひらひらとしたものが風に乗って飛んでいった。
 動くものを追う習性にあるクゥちゃんがとっさに飛びつこうとする。
「だめだよ!」
 道路に飛び出しそうになって慌てて抱きかかえた。

 白いひらひらとしたものは1つだけじゃなかった。
 公園の出入り口の方から地面を転がるように飛んでくる。
 公園の中を見てみれば、その白いものでいっぱいだった。
 足下に飛んできた白いものを見ると、それはティッシュだった。
 公園内をティッシュが散乱していて、風に乗って吹き飛ばされ、あっちこっち遊具や垣根に絡みついている。
 まるできのうの大惨事だ。
 ボックスティッシュ一箱分はあろうかというティッシュが、風に乗って一枚一枚ひらひらしている。

「うわー、なにこれ!」
「ひどくない?」
 大声上げて現れたのはあのふたり。いや、正確には3人。琴音と紀香、その後ろにひっそりとユウナがいた。

「ちょっと、未唯、だめじゃん」
 いきなり琴音がわたしをにらみつけてくる。
「だめってなによ」
「見たよ。この犬がティッシュをイタズラしたんでしょ。ゴミをこんなところに捨てたらだめじゃん」
 とんでもないいいがかりにあわてて否定する。
「な、なんで! そんなことしてないよ」
「ほら、犬の足跡ついてるし!」
 紀香は持っていた一枚のティッシュを差し出した。
 真ん中に砂で汚れた肉球の跡がついている。

「え、……でも、ちがうし」
 もうなんだかわかんなくて泣きそうになっていると、キー!とけたたましい音がして、みんなが振り返った。
「巳晴!」
 自転車で急ブレーキをかけて登場したのは兄の巳晴だった。野球のユニフォームを着ている。
 少年野球チームに所属している巳晴は、これから練習にいくところのようだった。

「それは犬の足跡なんかじゃない」
 やけにかっこつけながらそういうと、自転車から降りてこっちに向かってきた。
 わたしが抱えているクゥちゃんの前足をガシッとつかんで足の裏を見せた。
「犬の肉球は、手のひらにあたる大きな部分と、指に相当する部分が4つしかない。でもそのティッシュには指が5つもついている。別の動物っていうより、誰かがわざとつけたようにしか見えないね」

 ああ! 本当だ。なんでそんなこと見落としていたのだろう。
 それに、クゥちゃんの足跡にしてはちょっと大きい。
「そうだよ、それに、クゥちゃんが散らかしたのはリビングだから、ティッシュに足跡がつくほどうちは汚れてないよ」
「そんなこと知らないし!」
 紀香はティッシュをギュッと握りつぶすと投げ捨てた。
 巳晴はそれには目もくれず、別の一枚を拾い上げた。

「砂で汚れてはいるけど、ティッシュの抜き取り方がやけにきれいだよね。犬がイタズラしたティッシュは口でくわえて抜き出しているから、人間がやるようにはうまくいかない。これは人間の仕業だ」
 琴音と紀香は悔しそうに歯ぎしりしている。
「ティッシュがばらまかれてから誰かが踏み荒らした様子もないし、そう遠くへ散らばってもいない。この公園でまき散らしてからそれほど時間はたってないはずだ。第一発見者は?」

 巳晴は探偵気取りでほかの3人の顔を見渡した。
 琴音も紀香も探るようにわたしを見つめ返してくる。
 わたしが一番最初に見つけた……?
 3人はどこから現れたっけ?

 すると、琴音が「そうだ」とユウナを振り返った。
「ユウナ、ここで待ってたんだよね」
 紀香も「そうそう!」と続けた。
「ユウナのうちに行こうってなったんだけど、ちょっと遠いから、わたしと琴音はいったん家に帰ってランドセルを置いてきたんだよね。すぐそこに家があるから。それでユウナは公園で待ってるって」
「ユウナって犬好きだから未唯のSNSも見てるじゃん。この時間に来ることわかってて、未唯のせいにしようとしたんじゃないの?」
「え――」

 みんなの視線がユウナにそそがれた。
 琴音ににじり寄られ、おびえたように固まっている。
 まさか、ユウナがやったのだろうか。

「ふーん」と巳晴はあごをしゃくった。
「きみが犯人だとすると……きみは学校帰りで家にはまだ帰ってないんだから、家からティッシュを持ってきて、ずっと持ち歩いていたことになるね」

「そんなの無理だよ!」
 わたしは巳晴にくってかかった。
「ランドセルの中に入らないよ。ノートも教科書もペンケースも入れてたらさ、ボックスティッシュなんて入らない。それに、一箱でも150枚くらいあるんだよ? これだけあったら、もっとかもしれないし、そんなのまき散らすなんてけっこう時間かかるよ。紀香ちゃんのうちはここからすぐ近くだし、わたしも散歩してるってSNSにアップしてからすぐに来たし、そんなことしている時間なんてない!」

 息巻いて言うと、巳晴は落ち着けよとなだめた。
「人間なんだからさ。ティッシュなら一瞬でまき散らせる」
「どういうこと?」
「あらかじめ箱から一枚一枚ティッシュを抜いておいて、袋にでも詰めておけばいい。袋をひっくり返してばらまけば一瞬じゃないか」
「袋……?」

 あ――。
 よく見れば、ユウナのランドセルに今朝はあった巾着がなかった。学校においてきたのかな。
 琴音もそれに気がついたようだった。
「ユウナ、タワシバの巾着はどうした? さっきまでランドセルにぶら下げてたと思うけど」

 そうなんだ。帰るときまでは見てなかったけど、あったんだ――。

 ユウナは反論もせずにうつむき、小さくつぶやいた。
「ごめんなさい……」
 わたしは息をのんだが、琴音と紀香はすぐに口をついてでた。
「なにそれ」
「最低だね」
 琴音と紀香はそれだけいうと、なんの弁明も待たずにあっさりと帰って行った。
 巳晴の推理を信用したってこと?
「ちょっと!」
 わたしの呼びかけも完全に無視していく。

「ねぇ、本当に、ユウナちゃんなの?」
 わたしの問いには答えずに、ランドセルからしぼんだ巾着を取り出した。
 今朝はパンパンだったのに、なにも入っていない。
 ユウナは砂埃のついたティッシュを拾うと巾着の中へ入れていく。

 その様子を見ていた巳晴はユウナに駆け寄ると巾着を奪った。
「これって……」
「なによ、巳晴ってタワシバが好きだったっけ?」
 巳晴はまじまじとタワシバを見ている。
「違うよ。肉球だよ。ほらこれ、正確じゃん」
 新作だという刺繍ワッペンをよく見た。
 後ろ足で砂をかけているタワシバの肉球は丸見えで、正確な数だった。

「そうだよ。ユウナちゃんは犬好きだもん。クゥちゃんの動画だって見てるし、ほら、お手してるのに招き猫にしか見えない動画も、肉球見えてるし」
「だったら、少なくとも肉球をティッシュにつけたのは別人だな。共犯がいるんだろ。誰がやった?」
 ユウナは申し訳なさそうにしながら、なにも答えなかった。
 でもわたしにはなんとなくわかっていた。
 自分の嘘は隠し通せなくても、誰かをかばうことができるのが人間だもの。
 ふたりにいわれてやったのだ。でも、ユウナが加担してしまったのは事実だろうし。

「もういいじゃない!」
 わたしは巳晴にきっぱりといった。
「なんだよ、はっきりさせないと気持ち悪いだろ」
「いいって言ってるでしょ。早く野球に行きなよ。ちゃんと練習しな。万年補欠なんだから」
 わたしは巾着を取り戻すとユウナに返した。
 不服そうにしている巳晴の背中を押して追い払う。
 ユウナはただうつむくばかりだ。

 わたしは散乱しているティッシュを拾い集めた。
 手伝ってるのか邪魔しているのか、クゥちゃんもティッシュを追いかけては口にくわえ、ぶんぶんと振り回していた。

「見てよ、ユウナちゃん。懲りてない子がいるよ」
 ユウナはクゥちゃんを目で追うと笑みを浮かべた。
「実はわたしも懲りてないんだ。またSNSにアップするよ。クゥちゃんの動画、また見てくれるよね?」
「……うん」
 力強い返事ではなかったけど、ユウナはわたしのことをまっすぐ見据えていた。