あなたの家族になりたい

 結果から言うと、約束の日に澪と出かけることはできなかった。

 約束の日の昼過ぎ。

 昼飯の後に両親を見送って、俺は畑へ。澪は家で家事と少し仕事があると言っていた。

 二時間もしねえうちに家に戻ったら、玄関の扉が少し開いてた。


「澪……?」


 扉を開けたら、痩せ細ったおばさんが振り返った。

 澪の、母親だ。


「あら、瑞希さん。お久しぶりね」

「……ご無沙汰しています」


 顔が引きつりそうになるのを堪える。

 おばさんの向こうを見たら、玄関で澪が真っ青な顔をして、両手をお腹の前で握りしめていた。

 最近あかぎれが消えたばかりの小さな手に、白い骨が浮いている。


「澪」

「は、はい……」


 消え入りそうな声が返ってくる。

 でも、顔をこちらに向けることなくうつむいている。


「澪、返事くらいまともにしたらどうなの? あなた、本当にどうしようもないわね」

「も、申し訳ありません……」


 シンデレラの継母みてえだな、とふと思った。

 まあ似たようなもんだろ。知らねえけど。

 おばさんを避けて澪の前に立つ。

 頭一つ分以上俺のほうがデカいし、幅も全然違うから、おばさんが少しひるんだ。


「申し訳ありませんが、本日いらっしゃるとは存じませんでした。父か母にご連絡いただいておりましたか?」

「い、いえ……」


 言いよどんだ声が澪そっくりだなんて、どうでもいいことに気づく。


「……いつもは止める基がいなかったから、お邪魔させてもらったの。母親が娘に会いに来ただけですから」

「少なくとも我が家にご連絡はいただきたかったですね。不在の可能性もありますし」

「娘に外出なんて不要よ。まともに仕事も家事もできないのに遊びにだけ行くなんて」


 まあ、予想はしてたけどな。

 そりゃこいつもこうなるわな。

 遊びじゃなくても、澪は母親と農協や役所に行くこともあるし、買い物にも行く。

 ……そういうことを、一つも考えないから、こんな無神経なんだろうけど。


「澪さんには我が家の仕事も、家のことも十二分にやってもらってます」

「お世辞はけっこうです。先ほどから何を聞いてもその子はだんまりで、まともに声も出しやしないじゃない」


 おばさんは俺の向こうの澪を睨んだ。

 肩越しに見た澪は、初めて会ったときと同じくらい薄くて、日に透けそうだった。

 今朝はあんなに嬉しそうだったし、昼飯のあと「二時間くらいで戻る」って言ったときも笑顔で「お待ちしてます」なんて言ってたのに、今は見る影もねえ。


「……ともかく、今日はお帰りいただいてもよろしいですか? 両親が不在ですので」

「私は娘と話しにきたのよ。由紀さんたちに用事はありません」

「少々、お待ちください。……澪」


 振り返って澪の顔を覗き込む。

 俺は玄関のたたきに立っているから、いつもより顔が近い。


「……っ」

「澪、俺の顔を見ろ」


 ゆっくりと澪の顔が上がる。

 焦点の合わない、ぼんやりした目で俺を見ていた。

 頬を包むように手を添え、真っ黒な瞳を覗き込む。


「澪」

「……は、はい」

「今日、約束してたの覚えてるか?」

「え……っ? えっと、夕方から、出かけるって」

「うん。デザートビュッフェ行こうって約束してたろ。お前はイチゴが好きだけど、時期が外れてるから、それは今度。今日はメロンとかサクランボとかがあるらしい」


 澪が目を見開いた。


「……私、イチゴ好きって言いましたっけ……?」

「見てりゃわかる」


 何度か瞬きをしたと思ったら、ぼろぼろ涙がこぼれてきた。

 ……やっと泣いた。


「で、だ。お前の母親は、お前と話をしたいらしいけど、澪はどうなんだ? 話したいこと、ある?」


 澪はゆっくりと首を横に振る。


「ない……、ないです……」

「そう」


 手を離して、首だけ後ろに向けると、おばさんが険しい顔で俺の向こうの澪を睨んでいる。


「澪、あなた……!」

「お引き取りください。また、きちんと父と母に連絡の上でお越しください」

「……っ、わかりました。そこの役立たずを引き取っていただけて、感謝します」


 びしゃっと扉が閉められる。


「一昨日来やがれ」