あなたの家族になりたい

 数日後、市場に行こうとしたら澪に呼び止められた。


「今夜、お時間ありますか?」

「ドラマ観る」

「では、その前にお声掛けします」

「わかった」


 なんかあったっけ? 聞きたかったけど、時間がなかったから手だけ振って、家を飛び出した。

 市場の帰り、食堂で、やけに疲れた顔の花音に会った。


「なんかあった?」

「バレンタイン時期の花屋さんが忙しいのは知ってたけど……予想以上だった……!」

「あ、バレンタイン今日か。だから藤乃いねえんだ?」

「そうなの。藤乃さんとお義母さんのブーケとアレンジ、すごい人気あるから予約が多くて、朝から晩まで大忙しだよ」


 花音は唇を尖らせて飯を食っている。


「お前はなにしてんの?」

「お義父さんの手伝いと花屋の店番と、家業全体の会計管理。税理士さんはいるけど、細々としたことは自分たちでやらないとだからね。お義父さんのおねえさんたちが教えてくれるからなんとか回ってるって感じ。家でお母さんに、もうちょいちゃんと教わっておけばよかった」


 食べ終えた花音は立ち上がり、トレーを片付ける。

 ふらつきながら弁当を買って、店を出ていった。


「事故らねえように気をつけろよ……」


 俺から言えるのはそれくらいだ。

 ……もしかして、澪が今朝言ってたのはバレンタイン……? いや、まさかなあ。

 ――そのまさかだった。

 晩飯の後、片付けを終えてリビングのソファに向かう。

 台所でがさごそ聞こえたと思ったら、澪がリビングのテーブルにトレーを置いた。

 板チョコと茶色いチューブが乗っている。


「なに?」

「チョコの家です。瑞希さん、お正月にお義母さんたちが作っていたお菓子の家、食べたいって言ってらしたので用意しました」

「俺、お前のことめちゃくちゃ好きだわ」

「ふぇっ……!?」

「すまん、口が滑った。これ、作っていいの?」

「は、はい……。えっと、まず壁に扉を着けましょう」


 ソファの隣で、お袋が肩を震わせて笑っているのを無視しながら、家を組み立てる。

 ドラマが終わる前にはだいたいできた。

 すると澪が「これもどうぞ」と別の皿を出してきた。

 カラフルなチョコペンやクッキー、色んな色の飾りが乗っている。


「マジで……」


 もう、ドラマなんてまったく頭に入っていなかった。

 気づけば、作り始めてから二時間ほど経っていて、我ながら立派なお菓子の家ができあがっていた。

 お袋もいつの間にかいなくなっている。

「澪、そこ座れ」

「はい」


 スマホを取り出して写真を撮る。

 何枚か撮って満足したけど……これ、壊すのか……。


「壊しちまうの、もったいないな」

「せっかくですし食べてもらえると嬉しいです。コーヒー、お淹れしますね」

「ん、ありがと」


 煙突をむしって食べる。美味い。まあ、チョコレートだしな。

 台所から湯が沸く音がして、コーヒーの香りが漂ってきた。

 澪が戻ってきてカップを置く。


「お前も食えよ。うまいから」

 屈んだ澪の口に、屋根の欠片を突っ込む。

 澪は目を丸くしてから、もぐっと食べた。

 一瞬触れた唇が、思ったよりも柔らかくて、なんかそわっとする。


「すみません、バレンタインなのに、私も食べちゃって……」

「あ、バレンタインだったんだ? まあいいんじゃん。たくさんあるし」

「……ありがとうございます」


 澪は立ち上がって、自分の分のコーヒーも持ってきて隣に座った。

 適当に分けながら、半分くらい食べた。

 こんな時間に大量のチョコ……明日の朝、胃もたれしそうだ。

 もう若くないな……。


「これ、取っておけるかな」

「冷蔵庫に場所を空けてあります」

「そっか。じゃあ、また明日食べよう。ありがと、澪。楽しかったし美味かった」

「喜んでもらえて、嬉しいです」


 そう言ってトレーを持ち上げた澪の、口の端にチョコがついていた。


「澪、口にチョコついてる」


 指で口元を拭うと、澪の顔が一瞬で真っ赤になった。


「わ……す、すみません……」

「謝ることじゃねえだろ。あ、お返し、欲しいもんある?」

「えっと、すみません、パッと思いつかなくて……」

「思いついたら教えろよ。じゃ、おやすみ」

 澪の頭をくしゃくしゃ撫でて部屋を出る。

 ……来年も、同じやつにしてくれって言えばよかった。

 まあ、来年言えばいいか。