『心の声が聞こえる』クールな同僚の瞳が、私に愛をささやく

 夕暮れの神社には神秘的な美しさがあった。緑が生い茂り、澄んだ空気が流れている。
 お参りをして境内を歩いていた。凛とした静けさが二人を包む。

 陽菜は感動していた。都会の喧噪を忘れ、由緒ある建物や自然に触れるのは、目新しくて楽しい。

 迫力ある注連縄(しめなわ)や、夕陽に照らされた玉砂利(たまじゃり)の道は、黄金色に染まっていた。光の赤みがこんなに美しいとは思わなかった。
 風にそよぐツツジの花が、羽衣のように輝いては揺れる。
 心がときめく。

「朝倉くん、ありがとう」
「何が?」
「神社に誘ってくれて。綺麗なものを見ると、心が晴れていくね」

 空が広く感じる。
 深い青に橙色の帯が滲む。青のグラデーションに(あかり)をともしていた。

「すごく綺麗な空だね……」
「心が洗われるだろ」
「うん」

 久し振りに空を眺めたような気がする。
 授与所(じゅよしょ)前を通りかかると、御守りや絵馬が並んでいた。人は不在で、透明なカバーが掛けられている。

「見るか?」
「ううん、いい」

 だが目は正直に追ってしまう。可愛い小物に見とれていた。

「河村。売り上げに貢献してくれ……じゃないな。御守りをぜひ授かって欲しい」
「……授かる?」
「神様の世界だから買うとは言わないんだ」
「そうなんだ。じゃあ……お供えする」
「いいよ。好きなだけ見てくれ」
「やった、ありがとう」

 蓮がカバーを取ってくれた。色とりどりの刺繍が鮮やかに光る。ここの朝倉神社は縁結びの神様が祀られているためか、恋の御守りが多い。形も特殊だ。
 花の形や蝶々結びの形。存在感あるフォルムが陽菜の目を愉しませる。ひとつ手に取った。桜色の紐が光のラメを編み込み、神秘的で可愛い。

「この御守りにするね」

 何故か横から厄除けの御守りが出てきた。(いか)つい龍の刺繍が施されている。

「わっ、すごい迫力だね」
「気に入ったか? お勧めだ」
「うーん。格好良いけど、縁結びにするよ」

 特に好きな人はいないが、持つのなら可愛い方がいい。
 だが蓮のプレゼンテーションは続く。

「この龍の御守りも可愛いぞ」
「可愛いっていうより、格好いいじゃない?」
「いや違う。ほら、このギョロっとした目と鋭い爪。ギザギザの鱗が可愛い」

 可愛いとは。
 陽菜は思わず笑顔になる。

「でも強そうな身体だね」

 龍の刺繍が光る。力強い曲線を指先でなぞった。

「持っている内に好きになるかも」

 御守りを買おうとしたが、蓮が片付けてしまった。

「……龍の御守りは、やめておくか」
「なんで?」
「何となく」
「そう? じゃあ縁結びにする」
 
 蓮の動きが一瞬だけ止まる。

「悪いけど、縁結びの御守りは駄目だ」
「え? どうして?」
「……これはサンプル品だ」
「サンプル?! 神様の世界なのに、そんなのがあるんだ」

 驚いて顔を上げてしまった。
 二人の視線が結ばれていく。

『好きな人がいるのか? 俺以外の縁結びは駄目だ』

 陽菜の頰に朱が走った。だが続く蓮の言葉で我に返る。

「ほら、河村には(ふくろう)がよく似合ってる」
「に? 似合ってる?」
「大きな目が、驚いた顔にそっくりだ」
「ええっ!? それって褒めてる?」
「もちろん」

 ぐいっぐいっと梟の御守りを押しつけてくる。クールに見えて意外と強引だ。

「わかっ、分かった。梟の御守りにするよ」
「そうか。それなら、もう一つサービスする。好きなのを選んでくれ」

『ごめんな。縁結びにも、龍の御守りにも、くだらない嫉妬をした……』

 優しい声だ。
 その声を聞く度に、陽菜の心に影が広がる。

 他人の心を聞いてしまう心苦しさ。
 どうして私なんかを好きになったんだろう、という気持ちが入り混じる。

『河村、悲しそうな顔してる。余程、縁結びが欲しかったのか……?』

 咄嗟に陽菜は口角を上げた。
 蓮と少しずつ打ち解けてきたのに、気を使わせるのは申し訳ない。
 タブレットを預かっているのは形だけだと分かってきた。今日は問い詰めることはせずに、親切にしてくれている。

「ん~、じゃあ仕事運向上の御守りにする」
「他にも色々あるぞ」

 陽菜は「うん」と軽く笑い、そうして目を伏せていった。睫毛に憂いをのせる。

「……仕事の御守りにするよ。もう少し、頑張んなきゃいけないって思ってたから」

 二人の影が並んでいる。蓮の方が長く伸びていた。

「充分、頑張ってるだろ」
「ううん、全然」

 気にしてない表情で、一番こだわっていることが唇から滑り落ちた。

「朝倉くんは、すごいよね。仕事も早いし、田中くんの領収証のことも上手く立ち回ってくれて……。同じ時期に入社したのに、ちょっと自分が情けなくなるんだ」

 蓮は無言でいた。
 リアクションに困る話をしてしまったことに気がつき、陽菜はすぐに笑顔を作った。

「ごめん、変なこと言っちゃったね。忘れて」
「河村」
「ん?」
「俺は河村の方がすごいと思うよ」
「私……?」

 風が吹いた。木々が揺れて、心地よい音が広がる。

「常に笑顔でいる。始業時間は俺より先に必ず席に着いてる。データ管理のファイリングも、誰がいつ見ても分かるように分別されてる。決算課でも助かってるよ」
「そんなの当たり前だよ。それぐらいしかできないし」
「それぐらいか……」

 真っ直ぐに陽菜だけを見つめてくる。

『勇気を出そう。心を全て、河村に伝えたい』

 見えない心を、眼で、唇で、言葉で。蓮は伝えようとしている。
 大切なことは見えない。だからこそ勇気を出して向き合い、見せようとしてくれている。

「河村は、常に相手の気持ちに立って仕事をしてる。どうすれば他人と良い空間を作れるか、経理部の他課と上手く連携できるか。経理業務は小さなミスが大きなトラブルに繋がる。日々の作業を大切にしてるのは、すごいことだと思うよ」

 心の声が聞こえない。
 全部、本音だ。

「あ……ありがとう……」

 続く言葉が出ない。それでも勇気をもって蓮が伝えてくれたのなら、陽菜も心を返したい。
 湧き上がる涙を押し込めて笑顔を作った。

「たくさん褒められると、照れちゃうね」
「本当のことだ」
「……照れるけど、でも嬉しいよ。教えてくれてありがとう」

 空に星が灯り始める。遥か遠くからの光を送り続ける。
 星の光が地球に届くまで何光年もかかるのに、輝くことをやめない。
 仕事と同じだ。その光がすぐには届かなくても、暗闇を剥ぐだけの力はなくても、輝くことをやめない。自分に出来ることをする。

 地道なことでも平凡な仕事でも、誰かに届いていたことが、こんなにも嬉しい。

「朝倉くん、本当は優しいんだね。私の様子がおかしいって……気がついてくれたもんね」
「俺が気づいたんじゃないよ。河村が気づかせてくれた」

 蓮が唇だけで微笑む。表情は硬いが、もう怖くはなかった。

「いつも笑って、相手の気持ちになって、仕事をしてる河村だから異変に気がついた。いい加減な奴だったら気づいていない。普段の河村の行動があってこそだ」

 自然と蓮の眼を見つめていた。

「だから心の声みたいに、河村が苦しんでるのが聞こえてきた」