駅前南口付近に差し掛かると蓮がいた。遠目からでも長身の彼はすぐに分かる。春らしいライトグレーのコートがよく似合っていた。
陽菜は歩みを止める。
蓮は心配してくれている。それなのに彼の心の声をこれ以上、聞いてもいいのだろうか。
風が強く吹いて、桜が散っていった。
花びらが落ちて陽菜の影が斑模様になる。
「河村」
蓮が遠くで手を挙げている。
心の声を聞いてしまうのも、これ以上、蓮を待たせるのも申し訳ない。小走りで駆け寄った。
「待たせてごめんね」
男と眼が合う。蓮の眉間に皺がグググッと寄った。
「俺も今来た。待ってない」
『退勤後のデート……幸せ……』
デ……?!
言葉に詰まる。慌てて陽菜は視線を逸らした。職場外で蓮と会うのは初めてで、余計に男性を意識した。それでなくても蓮の容姿は整っている。
並んで歩き、目的地のカフェに着いたが店内は暗い。ガラス張りの向こうには人影もなかった。自動ドアには【臨時休業】と張り紙がある。
「休みなんて珍しいね」
陽菜のお気に入りのカフェだが、今までこんなことは初めてだった。
蓮が無表情で見下ろす。
「河村。ここから少し歩いた所に、神社があるのを知ってるか?」
「うん」
急な話の舵切りに、相槌を打つ。
「神社の敷地内にカフェがあるんだ。その店だったら確実に空いてる」
「もしかして朝倉神社……? でもあそこのカフェ、もう閉まってるよ」
「詳しいな」
「SNSで人気があるんだ。いつか入りたいなって、ずっと思ってたから」
営利目的ではないのだろう。決まった平日のみの営業だ。
外観、内装の画像、メニューがインスタで流れてくる。いいねを押しながら、いつか行きたいと思っていた。陽菜は純喫茶やアンティークなカフェが好きだ。落ち着いた空間で非日常を味わいながら、友達と話して、ゆっくりとお茶を飲むのが楽しい。
「じゃあ決まりだ。神社のカフェに行こう」
『実家に連絡して、店を開けておいてもらおう』
実家?
朝倉くん、と言いかけてやめた。
朝倉神社って……まさか。
「あの……朝倉くんって、朝倉神社と何か関係があるの?」
「俺の実家」
「そうなんだ! でもいいの? もう閉まってるのに」
「大丈夫だ。他に客もいないから話し合うのに丁度良い」
自然と笑顔が生まれた。
心が読めるようになった今では、どこにも行けないでいた。それが突然、念願のカフェに入れる。大きなご褒美をもらえたようだった。
「嬉しい! ずっと行きたいって思ってたんだ!」
陽菜の声が一オクターブ上がった。
一人はしゃぐ陽菜に蓮は無言でいる。全身がカッと熱くなった。
「ごめん。一人で盛り上がっちゃった」
社会人になったのにいつまでも子供っぽい自分がいる。蓮のようにクールになれない。
「別に。行こう」
歩きながら陽菜は気まずさでいっぱいだった。
だが蓮は淡々と話しかけてくる。
「河村ってカフェが好きだよな。帰り道、赤煉瓦カフェでよく見かけた」
光を取り入れるため、路面側の一部はガラス張りになっていた。
新人の時は、別部署の子とよく寄っていた。
「うん。静かで雰囲気も良くて、パンケーキが美味しいんだ。カットした断面図が分厚くて幸せになるよ」
「そうか」
語尾に微笑む気配があった。
真っ白な五線譜に突然刻まれた音符。楽しそうに笑う声に引かれて陽菜は顔を上げた。
見えない糸で繋がれたように、視線が重なり合う。
『さっきの笑顔、可愛かったな。河村はいつも笑顔で、見てると癒やされる』
心なしか蓮の表情が柔らかい。涼しげな目許は、精巧な二重のラインが引かれている。
眦に優しさが重なる。蓮は小さく微笑んだ。まるで恋をする男のような――。
身体中の水分が、ぶわっと一気に沸騰した。その後、何を話したのか覚えていない。
ただ張り詰めていた心が柔らかく溶けていくようだった。
陽菜は歩みを止める。
蓮は心配してくれている。それなのに彼の心の声をこれ以上、聞いてもいいのだろうか。
風が強く吹いて、桜が散っていった。
花びらが落ちて陽菜の影が斑模様になる。
「河村」
蓮が遠くで手を挙げている。
心の声を聞いてしまうのも、これ以上、蓮を待たせるのも申し訳ない。小走りで駆け寄った。
「待たせてごめんね」
男と眼が合う。蓮の眉間に皺がグググッと寄った。
「俺も今来た。待ってない」
『退勤後のデート……幸せ……』
デ……?!
言葉に詰まる。慌てて陽菜は視線を逸らした。職場外で蓮と会うのは初めてで、余計に男性を意識した。それでなくても蓮の容姿は整っている。
並んで歩き、目的地のカフェに着いたが店内は暗い。ガラス張りの向こうには人影もなかった。自動ドアには【臨時休業】と張り紙がある。
「休みなんて珍しいね」
陽菜のお気に入りのカフェだが、今までこんなことは初めてだった。
蓮が無表情で見下ろす。
「河村。ここから少し歩いた所に、神社があるのを知ってるか?」
「うん」
急な話の舵切りに、相槌を打つ。
「神社の敷地内にカフェがあるんだ。その店だったら確実に空いてる」
「もしかして朝倉神社……? でもあそこのカフェ、もう閉まってるよ」
「詳しいな」
「SNSで人気があるんだ。いつか入りたいなって、ずっと思ってたから」
営利目的ではないのだろう。決まった平日のみの営業だ。
外観、内装の画像、メニューがインスタで流れてくる。いいねを押しながら、いつか行きたいと思っていた。陽菜は純喫茶やアンティークなカフェが好きだ。落ち着いた空間で非日常を味わいながら、友達と話して、ゆっくりとお茶を飲むのが楽しい。
「じゃあ決まりだ。神社のカフェに行こう」
『実家に連絡して、店を開けておいてもらおう』
実家?
朝倉くん、と言いかけてやめた。
朝倉神社って……まさか。
「あの……朝倉くんって、朝倉神社と何か関係があるの?」
「俺の実家」
「そうなんだ! でもいいの? もう閉まってるのに」
「大丈夫だ。他に客もいないから話し合うのに丁度良い」
自然と笑顔が生まれた。
心が読めるようになった今では、どこにも行けないでいた。それが突然、念願のカフェに入れる。大きなご褒美をもらえたようだった。
「嬉しい! ずっと行きたいって思ってたんだ!」
陽菜の声が一オクターブ上がった。
一人はしゃぐ陽菜に蓮は無言でいる。全身がカッと熱くなった。
「ごめん。一人で盛り上がっちゃった」
社会人になったのにいつまでも子供っぽい自分がいる。蓮のようにクールになれない。
「別に。行こう」
歩きながら陽菜は気まずさでいっぱいだった。
だが蓮は淡々と話しかけてくる。
「河村ってカフェが好きだよな。帰り道、赤煉瓦カフェでよく見かけた」
光を取り入れるため、路面側の一部はガラス張りになっていた。
新人の時は、別部署の子とよく寄っていた。
「うん。静かで雰囲気も良くて、パンケーキが美味しいんだ。カットした断面図が分厚くて幸せになるよ」
「そうか」
語尾に微笑む気配があった。
真っ白な五線譜に突然刻まれた音符。楽しそうに笑う声に引かれて陽菜は顔を上げた。
見えない糸で繋がれたように、視線が重なり合う。
『さっきの笑顔、可愛かったな。河村はいつも笑顔で、見てると癒やされる』
心なしか蓮の表情が柔らかい。涼しげな目許は、精巧な二重のラインが引かれている。
眦に優しさが重なる。蓮は小さく微笑んだ。まるで恋をする男のような――。
身体中の水分が、ぶわっと一気に沸騰した。その後、何を話したのか覚えていない。
ただ張り詰めていた心が柔らかく溶けていくようだった。
