翌日、陽菜は仕訳入力に取りかかっていた。
遠くでパソコンのスピーカーから着信音が鳴る。担当者は席を外しており、不在のデスクに容赦なく鳴り響く。
忙しいのか誰も取ろうとしない。
陽菜は席を立って移動をした。不在の時は他の者が対応する決まりになっている。
画面の端には【法務部・杉田/音声通話】と表示されていた。
「はい、経理部管理課の河村です。佐々木は只今、席を外しております」
近くに座る先輩が「ごめん~!」と手で謝ってきたので、陽菜は笑顔でアイコンタクトを送る。
「承知しました。ログを確認して、十分後にチャットで折り返します」
自席に戻り、陽菜はログを確認した。チャットで対応を終えると、決算課のエリアから蓮が立ち上がるのが見えた。
領収書を片手に陽菜に近づく。
「河村、営業部から預かってきた。経費精算を頼む」
「……はい」
蓮が領収書を差し出すので、目を合わさずに受け取った。
気まずい。
昨日、蓮の心の声を聞いた後、陽菜は休憩室から逃げ出してしまった。私物のタブレットを置いてきたことに気がついたのは、自宅に着いてからだ。
翌朝、休憩室に行き、くまなく探したがどこにも無い。蓮に尋ねたいが、昨日のことを蒸し返されそうで聞けずにいた。
頭上から催促の声が聞こえる。
「早く枚数の確認をしてくれ」
今? という言葉を飲み込み、事務的に「はい」と相槌と打つ。
またまた気まずい。
蓮からの好意を知って、どういう態度を取ればいいのか分からないでいた。
張り詰める空気の中、領収書を確認していく。途中でメモ用紙が紛れていた。几帳面な字で何か書いてある。
【退勤後、駅前南口にある赤煉瓦カフェで待つ。それまでタブレットは俺が預かる】
思わず顔を上げると、したり顔の蓮がいた。
「やっとこっちを見たな」
『河村の顔色は……大丈夫そうだな』
「昨日の態度は何だ。何も言わずに帰るなんて非常識だろ」
『急に逃げて、それほど深刻な悩みなのか? ……心配だ』
あまりに表と裏が違いすぎる。まるでオセロのように白黒と敵味方が変わる。
放心状態で見つめていると、蓮の眉間に皺が寄った。目つきが鋭くなる。
「なんだよ、人の顔をジロジロ見て」
『……好きだ』
陽菜の心臓が飛び跳ねた。突然の愛の告白に戸惑う。
「おい、急にどうした。何を驚いてるんだよ」
『そんな顔も可愛い』
「……! 待って、あの、その」
「おう」
ぶっきらぼうな声だ。だが真反対の心声が、陽菜の鼓膜を優しく揺らす。
『やっと普通に話をしてくれた』
蓮の口角が上がる。
陽菜は身の縮む思いがした。この冷たい笑顔が苦手だ。蓮は端正な顔立ちに加え、高身長だ。唇だけの微笑みには無言の圧力がある。
彼は陽菜の前だけ、こういった表情をするのだ。
『怖がらせないように、まずは笑顔だ。河村の前だと妙に緊張する……』
「あ……」
驚きで言葉が詰まる。冷たい笑顔の裏にある、秘めた思いを初めて知った。
「河村、昨日のことだけど」
『謝ろう。昨日は焦って、河村の頭を勝手に触って……怖かったよな』
「あ、朝倉くん」
「何?」
上唇と下唇を擦り合わせる。流行色のリップに勇気を重ねた。
声を振り絞る。
「昨日は急に帰ってごめん。心配してくれたんだよね。ありがとう……」
蓮は沈黙した。無表情で陽菜を見つめている。
グググッと眉間に皺が寄った。
『まじで無理。可愛すぎるって……!』
大ボリュームの告白がフロア全体に響いた。だが実際は何の音もしない。皆パソコン前で淡々と数字を打込み、業務をこなしている。
陽菜の心臓だけが猛スピードで動いていた。
「いや、俺が悪かった」
「ううん、いいよ。気にしないで」
『…… き、になる』
何が?
陽菜は疑問符を浮かべた。心の声がなんだか苦しそうだ。
『河村の眼、色素が薄くて、睫毛も長くて綺麗だ……。なのに顔立ちは甘くて可愛い。華奢で綺麗で……、もっと……好 き、になる』
――なっなっ何を考えて!
陽菜は視線を外した。カッと頰が火照る。
陽菜は恋愛に免疫がない。過去、別の男性から告白されたこともあるが、ここまで直情的ではなかった。
「河村」
「なに?」
「メモを見たよな」
【退勤後、駅前南口にある赤煉瓦カフェで待つ。それまでタブレットは俺が預かる】
赤煉瓦カフェは陽菜のお気に入りの場所だ。
「……昨日みたいに逃げるの無しだからな」
冷淡な声が陽菜の頭上に落ちる。心の中で愛を囁く男とは思えない。
「必ず来いよ。返事は?」
「……。」
「タブレット」
陽菜は心で泣いた。背に腹は代えられない。タブレットで好きな喫茶店やカフェを眺めるのが、心の拠り所になっていた。
「……分かった。行く」
「河村、顔を上げろ」
緩慢と見上げる。わざと視線を迷子にさせた。
「眼はここだよ」
蓮の側頭部に人差し指が添えられる。目の付近をトントンと軽く叩いた。
綺麗な二重瞼が陽菜を見下ろしている。観念して目線を合わせた。
「よし、それでいい」
『……相当、悩んでるな。今日は……俺が素直になろう』
言葉の雨が止んで、晴れ間が広がる。
「じゃあな。経費精算よろしく」
『悩みを聞き出そう。河村の力になりたい』
蓮は颯爽と決算部へ戻っていった。
経理部の呼び出し音が鳴る。陽菜の心音とリンクするように、体内で激しく鳴り響いていた。
遠くでパソコンのスピーカーから着信音が鳴る。担当者は席を外しており、不在のデスクに容赦なく鳴り響く。
忙しいのか誰も取ろうとしない。
陽菜は席を立って移動をした。不在の時は他の者が対応する決まりになっている。
画面の端には【法務部・杉田/音声通話】と表示されていた。
「はい、経理部管理課の河村です。佐々木は只今、席を外しております」
近くに座る先輩が「ごめん~!」と手で謝ってきたので、陽菜は笑顔でアイコンタクトを送る。
「承知しました。ログを確認して、十分後にチャットで折り返します」
自席に戻り、陽菜はログを確認した。チャットで対応を終えると、決算課のエリアから蓮が立ち上がるのが見えた。
領収書を片手に陽菜に近づく。
「河村、営業部から預かってきた。経費精算を頼む」
「……はい」
蓮が領収書を差し出すので、目を合わさずに受け取った。
気まずい。
昨日、蓮の心の声を聞いた後、陽菜は休憩室から逃げ出してしまった。私物のタブレットを置いてきたことに気がついたのは、自宅に着いてからだ。
翌朝、休憩室に行き、くまなく探したがどこにも無い。蓮に尋ねたいが、昨日のことを蒸し返されそうで聞けずにいた。
頭上から催促の声が聞こえる。
「早く枚数の確認をしてくれ」
今? という言葉を飲み込み、事務的に「はい」と相槌と打つ。
またまた気まずい。
蓮からの好意を知って、どういう態度を取ればいいのか分からないでいた。
張り詰める空気の中、領収書を確認していく。途中でメモ用紙が紛れていた。几帳面な字で何か書いてある。
【退勤後、駅前南口にある赤煉瓦カフェで待つ。それまでタブレットは俺が預かる】
思わず顔を上げると、したり顔の蓮がいた。
「やっとこっちを見たな」
『河村の顔色は……大丈夫そうだな』
「昨日の態度は何だ。何も言わずに帰るなんて非常識だろ」
『急に逃げて、それほど深刻な悩みなのか? ……心配だ』
あまりに表と裏が違いすぎる。まるでオセロのように白黒と敵味方が変わる。
放心状態で見つめていると、蓮の眉間に皺が寄った。目つきが鋭くなる。
「なんだよ、人の顔をジロジロ見て」
『……好きだ』
陽菜の心臓が飛び跳ねた。突然の愛の告白に戸惑う。
「おい、急にどうした。何を驚いてるんだよ」
『そんな顔も可愛い』
「……! 待って、あの、その」
「おう」
ぶっきらぼうな声だ。だが真反対の心声が、陽菜の鼓膜を優しく揺らす。
『やっと普通に話をしてくれた』
蓮の口角が上がる。
陽菜は身の縮む思いがした。この冷たい笑顔が苦手だ。蓮は端正な顔立ちに加え、高身長だ。唇だけの微笑みには無言の圧力がある。
彼は陽菜の前だけ、こういった表情をするのだ。
『怖がらせないように、まずは笑顔だ。河村の前だと妙に緊張する……』
「あ……」
驚きで言葉が詰まる。冷たい笑顔の裏にある、秘めた思いを初めて知った。
「河村、昨日のことだけど」
『謝ろう。昨日は焦って、河村の頭を勝手に触って……怖かったよな』
「あ、朝倉くん」
「何?」
上唇と下唇を擦り合わせる。流行色のリップに勇気を重ねた。
声を振り絞る。
「昨日は急に帰ってごめん。心配してくれたんだよね。ありがとう……」
蓮は沈黙した。無表情で陽菜を見つめている。
グググッと眉間に皺が寄った。
『まじで無理。可愛すぎるって……!』
大ボリュームの告白がフロア全体に響いた。だが実際は何の音もしない。皆パソコン前で淡々と数字を打込み、業務をこなしている。
陽菜の心臓だけが猛スピードで動いていた。
「いや、俺が悪かった」
「ううん、いいよ。気にしないで」
『…… き、になる』
何が?
陽菜は疑問符を浮かべた。心の声がなんだか苦しそうだ。
『河村の眼、色素が薄くて、睫毛も長くて綺麗だ……。なのに顔立ちは甘くて可愛い。華奢で綺麗で……、もっと……好 き、になる』
――なっなっ何を考えて!
陽菜は視線を外した。カッと頰が火照る。
陽菜は恋愛に免疫がない。過去、別の男性から告白されたこともあるが、ここまで直情的ではなかった。
「河村」
「なに?」
「メモを見たよな」
【退勤後、駅前南口にある赤煉瓦カフェで待つ。それまでタブレットは俺が預かる】
赤煉瓦カフェは陽菜のお気に入りの場所だ。
「……昨日みたいに逃げるの無しだからな」
冷淡な声が陽菜の頭上に落ちる。心の中で愛を囁く男とは思えない。
「必ず来いよ。返事は?」
「……。」
「タブレット」
陽菜は心で泣いた。背に腹は代えられない。タブレットで好きな喫茶店やカフェを眺めるのが、心の拠り所になっていた。
「……分かった。行く」
「河村、顔を上げろ」
緩慢と見上げる。わざと視線を迷子にさせた。
「眼はここだよ」
蓮の側頭部に人差し指が添えられる。目の付近をトントンと軽く叩いた。
綺麗な二重瞼が陽菜を見下ろしている。観念して目線を合わせた。
「よし、それでいい」
『……相当、悩んでるな。今日は……俺が素直になろう』
言葉の雨が止んで、晴れ間が広がる。
「じゃあな。経費精算よろしく」
『悩みを聞き出そう。河村の力になりたい』
蓮は颯爽と決算部へ戻っていった。
経理部の呼び出し音が鳴る。陽菜の心音とリンクするように、体内で激しく鳴り響いていた。
