月夜に吠える、君の名を

枝が折れる音と同時に、鹿の悲鳴が森に響いた。
健の銀色の体が月明かりを裂き、獲物に覆いかぶさる。
爪が肉を裂く音、牙が骨を噛み砕く音……全部が耳に刺さった。

あんたは足を止めたまま、目を逸らせなかった。
ただの野生の獣やない。
そこにいるのは、さっきまで人間の言葉で自分の名を呼んでくれた……健さん。

「……やめて……」
か細い声が漏れた。

その瞬間、健の肩がびくりと揺れた。
黄金の瞳がこちらを振り向く。
その口元は、赤黒い血で濡れていた。

「あ……」
言葉を探そうとしたけど、喉が詰まった。
けど、逃げようという気持ちはなぜか湧かなかった。

健はしばらくあんたを見つめていたが、やがてゆっくり獲物から離れた。
月明かりに照らされるその背中は、巨大で、そして……どこか寂しそうやった。

『……見せたくなかった。』
低く押し殺した声が、獣の喉から漏れた。
それは謝罪のようで、自分を責める呟きのようでもあった。

風が血の匂いを運び、夜の森をさらに冷たくする。
あんたは一歩近づき、健の腕にそっと触れた。
「……それでも、私は離れない」

その言葉に、健は何も答えず、ただ月を見上げていた。