雨の日には傘を差し出し、
夜遅くまで残る彼女に温かい紅茶を差し入れる。
最初は警戒していた彼女も、
いつしか心を許していく。
エーリヒを思わせる穏やかな声音と、
優しい眼差し。
――けれど、それが彼女を狙うための仮面であることを、
エリザベートはまだ知らなかった。

夜、学園の寮の窓辺に立つヴァルタザールは、
薄く笑った。
鏡に映る自分の姿に手を伸ばしながら、呟く。
「……どうだい、母上。僕はあなたの仇を討つ。あの王妃の娘を、愛と信頼の名のもとに――堕とすんだ。」
月光が、彼の冷たい瞳を照らしていた。


春を迎えたハイドランジアの空は、
どこまでも澄み渡っていた。
白い藤の花が街路を飾り、
港には各国からの船が絶えず出入りする。
その活気の中で、
王女エリザベートはようやく
笑顔を取り戻しつつあった。

講義の合間、図書館のテラスで本を読む彼女のもとに、
ヴァルタザールが現れる。
「リズ、今日はこのあと講堂で音楽会があるんだ。行ってみないか?」
「講義が終わったら、少しだけなら……」
エリザベートは柔らかく微笑んだ。
その笑みを見たヴァルタザールは、
ほんのわずかに表情を歪める。
――その微笑みを、奪う日が来る。
胸の奥にひそむ冷たい炎を、彼女は知る由もない。