学がそう考えている間に、少女と言っても過言ではない華奢な身体は本棚の上の方に大きな本を戻そうとしていた。本棚の脇に車輪のついた丸椅子を移動させ、それによじ登り始める。椅子がぐらぐらと動き危ないが、誰もそれを咎めるものはいない。

「あ、待て、危ない」

 今にもひっくり返りそうな椅子と少女を見て、学は慌てて近づいた。せめて椅子を支えてやるか、何なら、周囲にいる人間は手を貸して本を戻してあげてもいいのに、と思いながら。

 しかし、学が少女に速足で近づくものの時すでに遅し。不安定な椅子の上で背伸びをしている身体のバランスに耐え切れず、椅子の座面がぐるりと回った。その上に立っている小さな身体はもちろんバランスを崩す。

 あ、と学が声を出した時には、少女は椅子の上から転覆して落ち始めていた。

「危ないっ」

 学の声が静かな図書館に響き渡った。しかし、気にしていられない。小さな身体が椅子の上から転げ落ちるのを助けるのが先である。

 走りだした学だったが、絨毯の床が靴に引っかかり、学自身もバランスを崩す。走ると少女の落下に間に合わない。学はとっさに床の上をスライディングしていた。抱き留められなくても、クッションくらいにはなるはずだ。

 転がるようにして本棚の足元に滑り込むと、学の胸と腹に衝撃があった。それなりに重たい質量が身体を襲い、学もうっと鈍く声を出す。同時に、大きな本が床落ちる、ドサッという重たい音がした。

 間一髪、床に衝突しそうになっていた小さな身体はマナブに受け止められていた。少女はマナブの上に落ちて無事だ。

「……っ!」
「大丈夫か!?」

 学の腕の中で身を固くして丸まっている少女は小さくて軽い。学の半分ほどしかない華奢な身体についた小さな頭は、目をぎゅっとつむっていた。学は緊張で縮こまっている少女を床に下ろし立たせてやる。そのまま、学は跪いて、女の子の顔を覗き込んで聞いた。

「怪我、ない?」

 少女がおずおずと瞼を開いた。目をぱちぱちと何回か瞬かせるが、黙ったままで呆然としている。身体は無事だか、びっくりして声が出ないのかもしれない。

「だ、大丈夫か……?」

 小さな女の子みたいな顔にある、くりくりとした赤い瞳が学を見返した。ピンクがかった宝石のような赤い瞳は強いアルファの血筋だということを表し、青色の瞳を持つオメガの学とは正反対の目の色である。

 学と少女はしばらくその場でお互いを見つめ合っていた。

 そして、少女は苺のような目でマナブをじっと見た後、──確かに、お姫様と言われても不思議はない、愛らしく華奢な少女である──ぷいとそっぽを向いて踵を返し、マナブの前から逃げて行ってしまったのであった。