アルファが学園内で起こした暴行事件は大変なニュースになった。具体的に言うと、お昼の情報番組で取り上げられるくらいの規模にはなった。暴行の相手が天下のいばら財閥の御令嬢だったこともある。令和にこんな時代錯誤なことが起こってたまるかと報道され、アルファのコメンテーターが真剣な表情で社会情勢について話すシーンがニュースの常連になっていた。オメガが扇動したのではないかという憶測は流れず、世間は意外にも被害者のオメガにも同情的であった。
おかげで、家を取材陣に囲まれてしまった学は家にも帰れず、しばらく、いばら財閥が用意した家を仮住まいとすることになったのだ。お金持ちが用意した部屋はでかくてビビる。寝室は学が住んでいるワンルームの三倍くらいの大きさだし、ベッドはクイーンサイズである。毎日のようにシーツが交換されて、まるでホテルに宿泊しているような生活だ。家の周りには照の周囲にいるような黒い服のSPがつき、時間によっては、家の中を警備するスタッフもいるらしい。大学への通学は照と一緒に車で送迎を受けた。この時ばかりは黒塗りのリムジンにありがたいと思った。
騒動は友人関連にも発展し、かつて学が在籍していた二佳のバンドはでかでかとニュースで取り上げられ、二人で行った中華屋は行列ができる店になっているようだ。学が過去にバンドに所属していたことを掘り起こされ、新しいスポンサーがついた結果、学にはバンドに戻ってこないかという話が届いている。スポンサーは学の顔に目を付けたらしい。バンドにオメガがいてもいいじゃないか、それの顔が良いならなおさらだ。顔で採用されるのは不本意極まりないが、復帰に惹かれていることも確かだった。二佳は、お前の都合で戻ってこい。場所は開けてあると親指を立てながら学に言ってくれた。
ベータオメガの待遇について報道された結果、社会ではベータオメガの雇用機会の見直しを進む流れができ始めていた。抑制剤を使うとそこそこ人間並みの体力ができることもきちんと啓蒙されるようになった。国会が動いているらしく、オメガホルモン抑制剤を使った治療は保険診療にしようという話も出ているらしい。安い値段で治療ができ、それが効果のあるものならば労働人口が増えるという計算なのだろう。
学はまさか事件がこんなことになるとは思っていなかった。照によるといばら財閥がいろいろな分野に働きかけたという話で、いまさらながらいばら財閥は国に対して相当な力を持っている場所なのだと改めて思い知らされる。
学と照を襲ったアルファたちはほかにも問題を起こしていたらしく、当然のことながら退学になった。この件についてもいばら財閥がめちゃくちゃ手をまわしたようだ。照の姉曰く、どこか南の方に飛ばした、と。詳細は不明。大学はちょっと治安が良くなり、おまけに事件を受けて人間関係学科が大幅にベータやオメガの編入受け入れを積極的にするきっかけとなった。
そのため、オメガの学生のロールモデルとして、学はいろいろな編入生や下級生にちょっとした先輩としてかかわっているのだった。九郎も一緒だ。
「学、今日はどうする?」
「悪い。照と用事がある」
「じゃあ、明日にするか」
サンキューと言いながら学は九郎に手を振った。
学の去り際、九郎は他の学生に話しかけられていた。それを横目に、学は照との待ち合わせ場所に向かう。
照とは階段のある広場で待ち合わせをしていた。スケッチブックを買いに行く予定を立てたひらけた広場である。照はちょこんと座って学を待っていた。小さな肩にかかったこげ茶の長い髪が風に揺られてきれいに見える。
学はその横に座りこむ。
「待った?」
待ってない、とスケッチブックで照が返事する。相変わらず筆談で話をするが、照はたまに絞り出すように小さい声を聞かせてくれるようになった。思いのほかぶっきらぼうな話し方は見た目とのギャップがある。無理に話せとは思わないが、照が声を出そうとしてくれるのは嬉しい。
いろいろ持ってきた、と照が学に資料を見せる。ベータとオメガの雇用について、卒業後に一緒にいばら財閥で関わらないかと照が誘ってくれているのだった。社会の変化に伴って、いばら財閥はリーダーシップを持ち、ベータとオメガの待遇改善に努めるよう舵を切ったのだ。これは、世界から見てもかなり先進的な話である。
その資料に目を通しつつ、こんな風に照に頼り切って先を進めていいのか学は悩んでいた。とんとん拍子に、学の意思に反して巻き込まれているにも感じるし、何より照の立場を利用してるんじゃないかと気が気でない。頭の中で、二佳が逃がすな! とにやにや笑っているが、それを現実にしようとすると腰が引けてしまう。だいたい、照は学の今の状況をどう思っているのだろう。
うーん、と黙ってしまった学を見て、ベースの方がひきたい? と照が聞いてきた。高校時代に音楽活動をやっていたこと、復帰しないかと誘われていることを相談したところ、二佳のバンドのCD聞いたりしているらしい。昔、録音した音源などを渡したら、普段聞かない音楽だと言って照は喜んでくれた。
「いや、どっちがいいとかじゃなくて。強いていうならどっちもやりたいかな」
『じゃあ、どっちも。』
さくっと無責任なことをいう照りだが、バイタリティ溢れるところが照っぽいなと学は思う。
「やってみようかな」
照が一緒にいればできるかもしれない、そう思いながら学は笑顔でそういった。照はその学の顔を見上げている。隣に座ってると照はすごく小さい。抱き寄せれば胸の中に収まってしまいそうな、そんな細さだ。
あの日どうやって力を出したのか、照に聞いてみると、身体がとても丈夫なんだとスケッチブックに書き、学に見せてきた。何度も、学に身体が丈夫と話している照だったが、その意味としては、身体が小さいけれど力は常人のアルファと同じくらいある、という意味だったらしい。アンバランスな特異体質。
アルファたちに捕まっていた時は、恐怖で固まって動けなかったが、襲われる学を見て猛烈な怒りと共にパワーが出たのだと話した。
あの時、自分もヒート状態だったのにも関わらず、どうしてアルファに対して抵抗できたのかわからない。でも、照が酷い扱いを受けている、これから合うとわかると、その状況に耐えられなかったのは事実だ。照がいなければ、学は集団で犯されていたと思う。それを思い出すと、今でも背筋に冷たい汗が流れる。もう二度とあんな目には合いませんようにと願う。
照は学のことを見つめたままだ。今までと変わらない視線だが、最近はその視線にどきどきしっぱなしだった。
その理由はわかっている。あの一件で、学は照のことを特別な存在だとわからされたのだ。ただの友達じゃない。傷つけたくない、誰にも渡したくない、特別な存在だということに。
照の視線から逃げるように目をそらした。真正面から見たら、心臓がどんどん高鳴ってしまいそうだ。横目で見る。すると、照はまだこっちを見つめていた。
何か言わなければ、と学は思う。バンドに復帰することもそうだし、照の話を受けていばら財閥に就職してみる話もそうだし。それに、自分が照のことを思っていることもそうだ。財閥の御令嬢を好きになってしまうなんて身の程知らずだなと思ってはいるが、照という大事な友人にそのバカげた話を聞いてもらいたい、と思うのも本当の話だった。でもどうやって、話せばいいのだろう。そんな話をして、この関係が終わってしまったらどうしようと、学は口ごもってばかりいる。
すると、照が視線を下ろしたかと思うと、スケッチブックに何かを書き始めた。学はようやく照の方を見ることができた。
照が学に見せてきたのはびっくりする言葉だった。
『番になって。』
同じ言葉を過去にも言われたことがある。その時と同様に、学は声をひっくり返していた。
「えっ、ええっ?」
首を傾げて照が学を見る。
彼女は本当にストレートで大胆である。しかも、恋人とかをすっ飛ばして、いきなり番になってほしいと言ってくるのが、欲望に忠実だ。
今度の番になってという言葉は、前の時と同じようにドキドキと学を乱す言葉だったが、今回はただのドキドキだけじゃない。嬉しい。そして、期待感。でも、照の言葉を受け取ってもいいのかという戸惑い。複雑な感情が学の中で生まれていく。そして、それらを含んだ照が好きという気持ちが膨れ上がり、身体に満ち溢れてくるのだった。
照の言葉に高揚して、学はまったく上手に表現ができない。あーとか、えーとか、意味のない相槌を繰り返してしまう。
何か、言わなければ。照が待っているんだから。
学は照のように素直にストレートに言い表せない。自分が態度で示せるのはこれくらいしかないと意を決した。
学は首輪を外した。それから、照の方を見て頷く。
首輪を外したのは、アルファである照の前ではオメガの自分は無防備でもいいという主張である。番になってもいいと思える相手でなければ、首輪を外してそのうなじをさらけ出してもいいなんて思わない。うなじを噛まれてもいい、そう思うから首輪を外したのである。
照に首筋に近づかれたときのあの高揚感を思い出した。
学が考えている意味が伝わったのか、照の顔がぱーっと明るくなった。頬に赤みが差し、にやにやと口元が動く。
照が学の後ろに回り背中側からマナブを抱きしめた。細い腕が前にある学の腕を探し、学はその手を握った。
そして、照は学の首筋の匂いをすんすん嗅いだ後、学のうなじに小さくかぷっと噛みついたのだった。
おかげで、家を取材陣に囲まれてしまった学は家にも帰れず、しばらく、いばら財閥が用意した家を仮住まいとすることになったのだ。お金持ちが用意した部屋はでかくてビビる。寝室は学が住んでいるワンルームの三倍くらいの大きさだし、ベッドはクイーンサイズである。毎日のようにシーツが交換されて、まるでホテルに宿泊しているような生活だ。家の周りには照の周囲にいるような黒い服のSPがつき、時間によっては、家の中を警備するスタッフもいるらしい。大学への通学は照と一緒に車で送迎を受けた。この時ばかりは黒塗りのリムジンにありがたいと思った。
騒動は友人関連にも発展し、かつて学が在籍していた二佳のバンドはでかでかとニュースで取り上げられ、二人で行った中華屋は行列ができる店になっているようだ。学が過去にバンドに所属していたことを掘り起こされ、新しいスポンサーがついた結果、学にはバンドに戻ってこないかという話が届いている。スポンサーは学の顔に目を付けたらしい。バンドにオメガがいてもいいじゃないか、それの顔が良いならなおさらだ。顔で採用されるのは不本意極まりないが、復帰に惹かれていることも確かだった。二佳は、お前の都合で戻ってこい。場所は開けてあると親指を立てながら学に言ってくれた。
ベータオメガの待遇について報道された結果、社会ではベータオメガの雇用機会の見直しを進む流れができ始めていた。抑制剤を使うとそこそこ人間並みの体力ができることもきちんと啓蒙されるようになった。国会が動いているらしく、オメガホルモン抑制剤を使った治療は保険診療にしようという話も出ているらしい。安い値段で治療ができ、それが効果のあるものならば労働人口が増えるという計算なのだろう。
学はまさか事件がこんなことになるとは思っていなかった。照によるといばら財閥がいろいろな分野に働きかけたという話で、いまさらながらいばら財閥は国に対して相当な力を持っている場所なのだと改めて思い知らされる。
学と照を襲ったアルファたちはほかにも問題を起こしていたらしく、当然のことながら退学になった。この件についてもいばら財閥がめちゃくちゃ手をまわしたようだ。照の姉曰く、どこか南の方に飛ばした、と。詳細は不明。大学はちょっと治安が良くなり、おまけに事件を受けて人間関係学科が大幅にベータやオメガの編入受け入れを積極的にするきっかけとなった。
そのため、オメガの学生のロールモデルとして、学はいろいろな編入生や下級生にちょっとした先輩としてかかわっているのだった。九郎も一緒だ。
「学、今日はどうする?」
「悪い。照と用事がある」
「じゃあ、明日にするか」
サンキューと言いながら学は九郎に手を振った。
学の去り際、九郎は他の学生に話しかけられていた。それを横目に、学は照との待ち合わせ場所に向かう。
照とは階段のある広場で待ち合わせをしていた。スケッチブックを買いに行く予定を立てたひらけた広場である。照はちょこんと座って学を待っていた。小さな肩にかかったこげ茶の長い髪が風に揺られてきれいに見える。
学はその横に座りこむ。
「待った?」
待ってない、とスケッチブックで照が返事する。相変わらず筆談で話をするが、照はたまに絞り出すように小さい声を聞かせてくれるようになった。思いのほかぶっきらぼうな話し方は見た目とのギャップがある。無理に話せとは思わないが、照が声を出そうとしてくれるのは嬉しい。
いろいろ持ってきた、と照が学に資料を見せる。ベータとオメガの雇用について、卒業後に一緒にいばら財閥で関わらないかと照が誘ってくれているのだった。社会の変化に伴って、いばら財閥はリーダーシップを持ち、ベータとオメガの待遇改善に努めるよう舵を切ったのだ。これは、世界から見てもかなり先進的な話である。
その資料に目を通しつつ、こんな風に照に頼り切って先を進めていいのか学は悩んでいた。とんとん拍子に、学の意思に反して巻き込まれているにも感じるし、何より照の立場を利用してるんじゃないかと気が気でない。頭の中で、二佳が逃がすな! とにやにや笑っているが、それを現実にしようとすると腰が引けてしまう。だいたい、照は学の今の状況をどう思っているのだろう。
うーん、と黙ってしまった学を見て、ベースの方がひきたい? と照が聞いてきた。高校時代に音楽活動をやっていたこと、復帰しないかと誘われていることを相談したところ、二佳のバンドのCD聞いたりしているらしい。昔、録音した音源などを渡したら、普段聞かない音楽だと言って照は喜んでくれた。
「いや、どっちがいいとかじゃなくて。強いていうならどっちもやりたいかな」
『じゃあ、どっちも。』
さくっと無責任なことをいう照りだが、バイタリティ溢れるところが照っぽいなと学は思う。
「やってみようかな」
照が一緒にいればできるかもしれない、そう思いながら学は笑顔でそういった。照はその学の顔を見上げている。隣に座ってると照はすごく小さい。抱き寄せれば胸の中に収まってしまいそうな、そんな細さだ。
あの日どうやって力を出したのか、照に聞いてみると、身体がとても丈夫なんだとスケッチブックに書き、学に見せてきた。何度も、学に身体が丈夫と話している照だったが、その意味としては、身体が小さいけれど力は常人のアルファと同じくらいある、という意味だったらしい。アンバランスな特異体質。
アルファたちに捕まっていた時は、恐怖で固まって動けなかったが、襲われる学を見て猛烈な怒りと共にパワーが出たのだと話した。
あの時、自分もヒート状態だったのにも関わらず、どうしてアルファに対して抵抗できたのかわからない。でも、照が酷い扱いを受けている、これから合うとわかると、その状況に耐えられなかったのは事実だ。照がいなければ、学は集団で犯されていたと思う。それを思い出すと、今でも背筋に冷たい汗が流れる。もう二度とあんな目には合いませんようにと願う。
照は学のことを見つめたままだ。今までと変わらない視線だが、最近はその視線にどきどきしっぱなしだった。
その理由はわかっている。あの一件で、学は照のことを特別な存在だとわからされたのだ。ただの友達じゃない。傷つけたくない、誰にも渡したくない、特別な存在だということに。
照の視線から逃げるように目をそらした。真正面から見たら、心臓がどんどん高鳴ってしまいそうだ。横目で見る。すると、照はまだこっちを見つめていた。
何か言わなければ、と学は思う。バンドに復帰することもそうだし、照の話を受けていばら財閥に就職してみる話もそうだし。それに、自分が照のことを思っていることもそうだ。財閥の御令嬢を好きになってしまうなんて身の程知らずだなと思ってはいるが、照という大事な友人にそのバカげた話を聞いてもらいたい、と思うのも本当の話だった。でもどうやって、話せばいいのだろう。そんな話をして、この関係が終わってしまったらどうしようと、学は口ごもってばかりいる。
すると、照が視線を下ろしたかと思うと、スケッチブックに何かを書き始めた。学はようやく照の方を見ることができた。
照が学に見せてきたのはびっくりする言葉だった。
『番になって。』
同じ言葉を過去にも言われたことがある。その時と同様に、学は声をひっくり返していた。
「えっ、ええっ?」
首を傾げて照が学を見る。
彼女は本当にストレートで大胆である。しかも、恋人とかをすっ飛ばして、いきなり番になってほしいと言ってくるのが、欲望に忠実だ。
今度の番になってという言葉は、前の時と同じようにドキドキと学を乱す言葉だったが、今回はただのドキドキだけじゃない。嬉しい。そして、期待感。でも、照の言葉を受け取ってもいいのかという戸惑い。複雑な感情が学の中で生まれていく。そして、それらを含んだ照が好きという気持ちが膨れ上がり、身体に満ち溢れてくるのだった。
照の言葉に高揚して、学はまったく上手に表現ができない。あーとか、えーとか、意味のない相槌を繰り返してしまう。
何か、言わなければ。照が待っているんだから。
学は照のように素直にストレートに言い表せない。自分が態度で示せるのはこれくらいしかないと意を決した。
学は首輪を外した。それから、照の方を見て頷く。
首輪を外したのは、アルファである照の前ではオメガの自分は無防備でもいいという主張である。番になってもいいと思える相手でなければ、首輪を外してそのうなじをさらけ出してもいいなんて思わない。うなじを噛まれてもいい、そう思うから首輪を外したのである。
照に首筋に近づかれたときのあの高揚感を思い出した。
学が考えている意味が伝わったのか、照の顔がぱーっと明るくなった。頬に赤みが差し、にやにやと口元が動く。
照が学の後ろに回り背中側からマナブを抱きしめた。細い腕が前にある学の腕を探し、学はその手を握った。
そして、照は学の首筋の匂いをすんすん嗅いだ後、学のうなじに小さくかぷっと噛みついたのだった。


