西地区警備署事件録2024

 秋が逃げたと夏がやって来た。

 依頼人には姿がない。ただ、事務所の中に熱気と湿度を運んできた。署内がむっとした重たい空気に包まれ、冷房の風とない交ぜになり、生温かくなる。公園の噴水の前にいるような中途半端な不快感。身体がすぐにクーラーの風の冷たさを求めた。

 秋が逃げた。だから、夏を延長せざるを得ない。失われた秋を探してほしい。夏はそう言って、早めに……、と付け足す。

 厄介な依頼であった。

「受理しますが、姿形が見えない以上お時間はいただくかもしれません」

「それは困ります。ただでさえ、毎年、夏の稼働時間が増えているのですから」

 それに、困るのは人間や街の住人の方も同じでしょう。そう、夏が続ける。

 街は猛暑日が続く。熱中症による急患や蒸発による人体喪失現象、脳が茹った人間を狙う食材誘拐事件まで起こっているのだ。この暑さが続けば事件事故がさらに増えるのは目に見えている。

 職員は閉口する。それを、要求が通ったと見たのか、夏はとにかく早めにお願いしますよ、と念を押してさっさと出て行ってしまった。

 後には、湿度だけが残る。それも、しばらくするとクーラーの風に乗って署の外に押しやられていく。

 困った依頼を受けてしまったものだ。

 住人からの依頼は受けざるを得ない。それでも、依頼を選ぶ権利くらいあってもいいのに……、そう考える遺失物課の職員であった。

 ***

 秋はなかなか見つからない。全て夏に覆われてしまったかのように。職員は朝から晩まで、秋の兆候が見られないか、家から署への道を隈なく探す。しかし、ほとんどが夏の熱さに浸食されてしまっているのだ。

 その夏だって暑さでどうにかなってしまっている。夏の初めの紫陽花は満開になる前に縁が枯れかけていた。蓮の満開の時期は短く気が付けば既にほとんどがレンコンの実に変わっている。梅雨はなかった。代わりに強いにわか雨が街を襲い、人々をびしょ濡れにしていく始末。今日の朝は、ひまわりの花びらが落ちているのを発見した。

「この暑さの中、秋を探すだなんて無茶も程度がありますよ!」

 比較的、涼しい午前中に秋を見つける! そう意気揚々とパトロールに出て行った若い職員が頭皮から汗を噴出させて署に戻った。

 芳しい成果は得られなかったらしい。滝のような汗を何度も拭う。昼前でも相当な暑さだったのだろう、別の職員が冷たい水が入った水筒を赤い頬に当ててやっている。

 事態は困難を極めていた。最初の依頼以降、夏は警備署に来ることはなかったが、秋になる時期を過ぎても秋を見つけることができなければ、苦情が入るに違いない。……といっても、こちらとしてはカスハラに近い苦情ではあるが。

 ある者は諦めた顔で、ある者は憤慨したような表情で、秋はどこに行ったのだろう、と思案する文月最後の日であった。

 葉月。長めの休暇を取っていた警備署長が出勤してカレンダーを捲る。

「珍しいね。皆が暦を破っていないだなんて」

 警備署にとって日付は重要である。遺失物の受理をした時や事件が起こった日時などを記録する際には必ずカレンダーを確認するのだ。

「ああ、すっかり秋に気を取られてしまって、」

 職員の一人がため息交じりに答えた。普段ならば月終わりか月初めに必ず行っている行事を忘れるほどに、夏の依頼は職員の関心を他の事から奪っていたのだった。

「そうだねえ、八月に入って葉月。でも旧暦だと秋あたりだからね。この暑さ……、早く秋になって欲しいと気持ちが逸るよ」

 夏の依頼など知る由もない署長が屈託なく笑う。

 その言葉を職員一同、聞き逃すことはなかった。

「旧暦で秋と言いました?」

「今の時期は前は何月だったんですか⁉」

「葉月って、何か秋に関係あることありますか!」

「もしかして、落ち葉とか関係あります!!?」

 前のめりになった部下たちの勢いに署長はのけぞって壁にぶつかった。

「みんな、そんなに秋が待ち遠しいのかな……?」

 職員、事情をかく語る。

 ***

 署長が葉月――葉落ち月に関して語る中、他の職員は歳時記のページをめくる。

「旧暦では秋は実は七月からのようです」

「少し早いですが、秋になったと言い張って、お月見をするのはいかがですか? 中秋の名月という事で」

 なるほど、秋を先取りしてしまえば、夏は退散せざるを得ないだろう。

「これで行きましょう。夏が署にやってきたら、旧暦の上ではもう秋だと突っぱねましょう!」

 果たして、夏は納得するだろうか。

 すでに秋になった気持ちを持つ。程なく暑さが過ぎ去るかもしれないという希望。もう一日、もう一日と頑張れそうな気合が湧くような、湧かないような……。

 夏に遺失物発見の報告をするまで、夏はまだ続く。