西地区警備署事件録2024

 令和日本に似た箱庭世界、幻想怪異発生特別区――通称「特区」。数ある不思議なお店の一つ、「直し屋」には毎日不思議な仕事が舞い降りる――!

「ここ、本当にいいスポットだよね~」

 お店の屋上に大きな望遠鏡を出して、直し屋の主人――陣の目は機嫌が良さそうに笑った。今夜はふたご座流星群が活発になる夜だ。澄んだ夜空に輝く小さな星たち。脇にはかわいい奥さんの野梨子。手には甘いホットチョコレートを持ち、天体観測の準備は万端だった。

「ホットチョコレートも用意してくれるなんて、野梨子も楽しみにしてくれたんだ~、嬉しい~」

「……別に」

 野梨子の返事はいつものようにそっけなかったが、照れ臭いのだろう。わざわざ、陣の目の大きな行動補助カプセルが動きやすいように屋上を片づけてくれたり、物置に眠っていた天体望遠鏡まで取り出してきて、おまけにホットチョコレートまで準備をしてくれたのだから、楽しみにしていたに違いない。

「あ、光った」

 陣の目から目をそらし、夜空を見上げた野梨子が星を指さした。きら、きら……といくつかの星が二人を横切っていく。さすが流星群が極大になる夜だ。あっというまに、数えきれないくらいの星が目の前を流れていった。

「いいわね、たまには」

 野梨子は特区西地区警備署に勤務している署員である。普段であれば夜は早めに寝るか当直で夜は起きていることが少ないのだが、今日は久しぶりの非番の夜。ふたご座流星群が活発になるという事で、陣の目は野梨子を天体観測に誘ったのだった。

 なかなか、気を抜くことができない毎日。こういうゆったりとした時間の中で、リラックスしてもらって……と陣の目が思った、その時だった。

「陣の目、伏せてっ」

 野梨子の抑揚のない声が多少、荒ぶる。さっきまで穏やかに星を見上げていた垂れ目がキッと空を向き、いつの間にか〝ベテラン署員〟の目になっていた。

「え、何? っうわあ!」

 野梨子が陣の目を突き飛ばしたことで、屋上に用意した全ての物が四方八方に散らばる。ガシャーン。効果音が見えそうなくらいの大きな音を立てて、陣の目もカプセルごとひっくり返っていた。

 直し屋の上を巨大な流れ星が通過していったのである。

 複数の突起で空をジャギジャギと裂くように飛んでいく流れ星。夜空を真っ二つにしたかと思うと、あれ~と悲鳴を上げながら、どこかにふたたび飛んで行ってしまった。

 残されたのは痛ましくも裂けてしまった夜空。

 裂け目からはオーロラのような光が漏れ、その向こう側には深淵が広がっている。

 これはかなり困ったことになった。

「……警備署、行ってくる」

 責任感の強い警備署員だ。止めても聞かないだろう。野梨子がその場を去ったあと、陣の目は一人、散らかった寒い屋上の上に取り残されてしまった。

 さて、空が裂けたあとの街の中は案の定、パニックに陥っていた。

 流れ星が墜落しなかったので、建物倒壊や怪我人の被害はないが、代わりに空から溢れてきた漆黒のヘドロが街を覆っていたのである。

 鉄バクテリアのように虹色の皮膜を被った謎の粘性のある液体は、特に街の人間を害しているわけではなかったが、クリスマス一色に煌めいていた街を真っ黒に汚している。

「溶かされたり、飲み込まれたというような通報は?」

「ないです! とにかく、もう、汚くなっちゃって!」

 夜空の裂けた場所からはゴボリゴボリと黒い液体が湧いている。このままでは、クリスマスムード漂う明るい街が、黒い岩ノリに塗れた町に変わってしまうだろう。

「あの裂け目をどうにかするしかないか……」

 何かいい案は……と、額を寄せ集める警備署員たちに声をあげた者がいた。

「野梨子ったら水臭いなあ。こういう時こそ、『直し屋』の出番じゃない?」

 いつの間に街に出てきたのか。移動補助カプセルに乗った老人が野梨子を呼び止めた。

「陣の目……」

 果たして、『直し屋』はこの事態をどう収めようというのだろう。

「……さて、作業を始めよう。綺麗に縫いたいから、警備署の皆はしっかり布を抑えていてくれたまえ」

 直し屋が用意したのは細かいガラスフレークの入ったキラキラの布、それから夜色の刺繍糸だった。

「いやー、この前、ハンドメイド系を補充した甲斐があったよ。この藍色の布なんてキラキラして可愛いでしょ? 今日の夜にぴったり……」

「早くして」

 おしゃべりな『直し屋』の老人をせかす野梨子。警備署の仲間が、これがいばら署員の旦那さんか~と興味津々になっているのが恥ずかしいらしい。

「君がお望みのままに。……よし」

 警備署員たちが空に布を掲げた。裂けてしまった空を覆うように。

 それを空に合わせるようにして、陣の目が刺繍糸で縁を縫っていく。不思議なことに、この直し屋にかかれば、宙に掲げられただけの布は空に縫い留められていくのである。

 小一時間して、空には大きな布で当て布をされていた。裂けた場所は補修され、ヘドロが落ちてくる様子はない。

「しばらくしたら、空の自浄作用で馴染んでくると思うよ。一週間くらいは、あの部分だけ、夜空のままだけどね」

 直し屋がにっこり笑った。

 翌朝、確かに、陣の目が縫い繕った場所だけが夜だった。しかし、その縁は雲に隠されて、縫い目は見えなくなっている。このまま、時間が過ぎれば夜空の布は昼に溶けるに違いない。

 その空を見上げながら、野梨子は陣の目への埋め合わせの品を選んでいる。非番であるにも関わらず、屋上を飛び出してしまったのだから。

 選んだのは星形のバスボムだった。

「わあ、流れ星型だ~! これって、なんでも願いが叶うってこと?」

「えっ……」

 ニコニコと笑う好々爺の魔の手からどうやって逃れようか、普段使わない頭をフル回転させている。