ついに結婚相談所というものに大金をはたいて申し込む勇気を出した。
男に縁がない私は結婚というものに憧れているだけで、日々仕事が過ぎていった。
仕事柄女性しかいないという幼稚園教諭の仕事をしていて、出会いはない。
できれば、いいお付き合いをと思っても、子供の父親は既婚者の男性。
そうそう簡単に出会いなんてない。
「結婚したいのですが」
はじめての結婚相談所。声を発してみた。緊張マックスの私。落ち着け!! 目の前には端正な顔立ちのモデルのような男性がいる。正直、このような男性と話したことはないので、緊張を悟られないようにしなければ。
「ここは結婚相談所ですから、そんなことはわかっておりますが」
困った様子のイケメン男性。年齢は私と同じくらいだろうか。
ここの相談所は、婚活カウンセラーは基本異性と決まっているらしい。
女性には男性。男性には女性。そんな口コミをネットのサイトで読んで、ここに決めた。
今まで彼氏いない歴年齢の私には、こういったところが一番いいだろう。
たいていの相談所というのは一般的にお見合いおばちゃんが担当するのだが、ここは若い異性が担当するというこだわりを持ち、あえてデート練習もあるらしい。模擬デートだ。
アドバイスまでしてもらえるとは!! ありがたい。
アドバイス通りにすれば、基本、恋愛して、結婚できるらしい。なんてありがたいシステムなのだろう。
目からうろこの素晴らしいシステム。
ここでの成婚率は九十パーセント以上の高確率と書いてあった。
「あなたみたいな若い男が担当になるってわけ?」
どうしても、このような言い方しかできない自分が歯がゆい。
男性に免疫がない故の悲しい言い方。
「私の名前は本条と申します。お客様、まずはこちらのシステムを説明して納得していただいた上でご入会するかどうかを決定していただきます」
名刺を渡される。
「細かいことはいいから、入会決定でお願いします」
だって、あらゆる口コミサイトで精査したうえでここを選んだのだから、入会するに決まっているでしょ。
強い口調だったせいかイケメン本条は若干引き気味だ。
まずい、これでは結婚の道が遠のく。
「では、会費のご説明をさせていただきます」
イケメンの笑顔をこんなに近くで見たのはいつぶりだろうか。
人生初といっても過言ではないかもしれない。
ずっと女子高生活だったし、積極的な出会いの機会に参加もしなかったし。
営業とはいえ、私にこんなに優しく親切に接してくれる男性、好きになっちゃうじゃない。
顔も何かのドラマに出ていた俳優に似ているし。
「会費なんていくらでも払うから、いい男紹介してよね」
だって、事前に入念に調べて来たのだから会費のシステムは熟知しているわ。
あぁ、またしてもこんなに強い口調で言ってしまった。
嫌われてしまったのではないだろうか。
でも客だし。今の時代はカスハラなんていう言葉もあるから、気を付けないと。
「お客様、大丈夫ですか? 顔色が悪いように思いますが、別な日に説明をしてもいいですよ」
優しいまなざしがまぶしく痛い。
こんなに優しいイケメン。あなたがいいです。って思うけど、この人は社員だろうし。既婚の可能性もある。
太陽のような光が彼から発しているような気がする。
イケメン免疫のない私にはとてもまぶしく見ることもできない。
少し細目になり、睨んでしまう。
「大丈夫です。一日でも早く結婚したいので」
もしかして変な客と思われていないだろうか。
戸惑いつつも優し気なフォロー。
いい人なんだな。ってこの短時間になんで私はこの人を好きになってるの。
普通にいないような素晴らしい容姿を持ち合わせた優しい男性に声をかけられたら、免疫ゼロの私は恋に落ちてしまう。
この人以上の人を見つければ問題ないってことよね。
「では、相手へのご希望は? 年収、学歴などこちらへ明記してください」
「学歴や年収でいい男の基準が決まるわけでもないでしょ。あなた以上にいい人を紹介してください」
つい、言ってしまった。
本条さんドン引きだよね。
でも、本条は特に気にする様子もなく淡々と話を進めていた。
こんなに容姿端麗な男性だから、社員として言われなれてるんだ。モテまくっていただろうし、ちょっと何か言われたくらいじゃ何も感じないのでは。
「じゃあ実際にお写真を見て決めていただきますか?」
もしかして、私が顔で選ぶようなタイプの女だと思っているんじゃないの? この男、顔もいいし、きっと女を顔で決めるタイプだわ。
実際私もあなたの顔面偏差値にやられたどうしようもない女ですけど。
「結婚のプロであるあなたが決めてよ」
結局出た言葉が、こんなぶっきらぼうな一言だなんて、私ってだめだわ。
一人で自己嫌悪に落ち入る。
「まずは、入会申込書にあなたの経歴や個人情報や趣味などをご記入くださいませ」
こんなイケメンな男性の前で、十分以上二人きりで会話するなんて、手が震えるわ。緊張を悟られないように、なんとか字を書かないと。震えないように……。
そうだ、この男、既婚者かもしれない。そうすれば、私の緊張も半減するわ。
「あなた結婚していないの?」
「あいにくしては結婚しておりませんが。こんな仕事をしているにもかかわらずなかなかご縁がなくて」
独身イケメン男性なんて、私のストライクゾーンに直球じゃない。せめて既婚者ならば、意識しないで済んだかもしれないのに。
きっと理想が高すぎて結婚できないって話でしょ。もしくは恋人はいるけど、結婚はしないでもう少し遊んでいたいとか。
「結婚してもいない人がアドバイザーになるなんて笑っちゃうわね」
私の馬鹿、ついこんなことを言ってしまったわ。緊張するから、せめてもう少し距離が欲しい。顔が赤くなるわ。
「申し訳ございません。独身の異性と話をしたり、模擬デートをすることで、練習していただくという弊社の考えでございますから」
こんなイケメンさんに謝らせてしまった。私の馬鹿馬鹿。デートしてくれるっていうありがたい話じゃない。
仕事だっていうことはわかっているけど、こんなチャンスはめったにないと思うの。
どこを見つめればいいの? 変に目をそらしたら、挙動不審とか男に慣れていないって思われそうよね。
微笑んだ本条の美しく整った澄んだ瞳をじっとみつめる。
あれ? 彼のほうが視線をそらしてしまった。まずい、見つめすぎてやばい女だと思われたのでは。
「では、来週の土曜日の午後はいかがですか? 駅前に十四時集合で」
これは、デートの約束みたいな感じね。正確に言えば模擬デートだけど。
「受けて立ちます、そのお約束。私、デートには不慣れなのでよろしくお願いします」
「そうなんですか。不慣れとは思いませんでした」
「私が様々な男性と遊んでいるような女性だと思ったんですか」
「そういうわけではないですよ。そのような美しい女性ならば男性が放っておかないだろうなって上級者コースを想定していました。では、初心者コースということでよろしいでしょうか」
今のはリップサービスってことなのかな。
お客様に対しての礼儀ってことよね。
きっと彼はどんな女性にも同じように優しく美しいと褒めているんだろう。
正直ひとめぼれだ。恋に落ちてしまった。
皮肉にも好きな人に男性を紹介されるなんて、ありえないんですけど。
「超初心者なので、よろしくお願いします」
彼から渡された名刺はお守りがわりとなっていた。
男性からの初めてのプレゼントみたい。
好きな人からのプレゼントみたい。
というか彼は仕事で何人もの人間にこの紙を渡していることはわかっているのに。
この名刺にぬくもりが残っているような気がしてならない。
帰ってからも部屋で名刺をじっと見つめる。
仕事柄名刺をもらうことはあまりなく、新鮮だった。
本条新さんかぁ。
名前もかっこいいなぁ。土曜日が楽しみで仕方がない。
どんな洋服を着ていこうか。どんなアクセサリーをつけようか。
どうせ交際相手が選び放題であろう男性相手に本気で少しでもかわいいと思われたいと考えた。
当日は早めに起きて、入念なメイクをして、髪を巻いて、かわいらしいワンピースで女性らしいコーデにした。
早く来すぎてしまった。一時間以上前だ。
本条が来たのは開始十分ほど前だった。
「約束の少し前に来ることがデートではちょうどいいとされています。今日は本番さながらで行います。よろしいですか」
本条は私服で来たのだが、とにかくかっこいい。惚れてしまうではないか。
黒いデニムがスタイルの良い彼に似合っており、ブルーのシャツはしわ一つなく清潔感があった。
既に決まっていることがある。私は彼以外の男性を紹介されてここで結婚相手を選ぶことになる。
この恋は踏み台よ。
「今日は一般的な喫茶店でお茶をしながら会話を楽しむ模擬デートを実践します」
男の瞳は大きく澄んでいた。きっとたくさんの女性と経験があるのだろう。
スーツ以外のカジュアルな姿も髪の毛もすべてがいい。
この相談所に入ってよかったなと思う。
「映画館という手もありますが、会話が続かないという方にはお勧めしています。しかしながら、今回は会話の練習としてあえて喫茶店という場所で実践いたします」
初めてのデートだ。静かな喫茶店に入った。彼の髪はサラサラで、横髪をかき上げるしぐさはいい男を三割増しさせる。
香水の匂いなのか彼からはとても甘く優しい香りがした。
「飲み物何にします?」
「ホットコーヒーで」
「じゃあ私も同じものを。このような場合は、同じものを頼んだほうが、共通の話題を生みやすかったりするのです。味を共有することは結構大事だと弊社のマニュアルでは説明されています」
彼はデートのマニュアルを知り尽くした男。つまり、恋愛上級者なのね。
私はただ見つめるだけだ。余裕がなく、他にするすべがないのだ。
「以前、会員様でレモンティーを頼んだ方がいたのですが、レモンをお見合い中にしゃぶってそのままお皿に置いたのですが、それが相手の女性の印象を悪くしたらしく、破談となってしまいました。お見合いの席では、レモン一つが命取りになるのです」
何、その実話。
「私は、レモンごときで相手を計ったりしませんけど」
少し笑ってしまった。
「もしも、本条さんがレモンを舐めても、そんなことで嫌いにはなりませんよ」
「牧野さんは優しいなぁ。私も仕事以外でデートって経験があまりなくて。マニュアル頼みなので、どこまでアドバイスできるかはわかりませんが、全力であなたを楽しませたいと思っています。まだ新人社員なので」
その顔が真剣でまるで本当にデートをしているような錯覚に陥る。
「本条さんの誠意が伝われば、それでいいと思います」
「少し緊張しています。あなたのような美人が結婚相談所を利用するなんて珍しいので、直視できなくてすみません」
「私は美人ではありませんし、お世辞を言われる筋合いはございません」
ここは、毅然とした態度を取らないと。
きっとみんなに言っているマニュアルの台詞だろう。
「マニュアルのお話ですが、相手の話を上目使いでうなずきながら聞くという行為は、男性にとって聞いてくれる女性ということで好印象を持たれることが多いです」
メモを取らなきゃ。重要事項だわ。イケメンがじっとメモ帳を見つめている。
まずい。がめつい女と思われているのかも。
「何か? 不都合があるのなら、メモはとりません」
「いえ、そのようなわけではないのですが。会員様の中でもかなり熱心な方だなと」
ドン引きされているのかしら?
「話が途切れた時は、無難な季節や天気の話、共通の趣味があるか探るのも一つです。音楽や好きな本の話題を振ってみると案外気が合うかもしれません。例えば、最近どんな本を読みましたか? 休日はどのようにお過ごしですか? というように聞くことは有効な手段です」
メモ、取らないと。ここは重要よね。
「私があなたに質問してみますね。最近、どんな本を読みましたか?」
「……私、漫画を主に読んでいまして。少年漫画のバトル話が好きなのです」
まずい、本当のことを言ってしまった。イケメンがドン引きしているわ。オタク女なんて、いらないって。
「私も少年漫画は好きです。例えばどんな漫画ですか?」
きっと気を遣ってくれているのね。こうなったら本当に私のオタクぶりを発揮させてもらうわよ。
「私は、昔連載していたどんどん強敵が出てくるたびに主人公が戦いながら強くなるお話が今でも好きで……ドラゴンカードを集めています」
やっぱり漫画オタクって嫌なのかも。恥ずかしい……。
「私も実はその漫画を全巻持っていて……カードも集めています」
え? カードも集めているの? 私もたくさんのカードを集めているわよ。
「これ、あくまでセールストークですよね。リアルじゃなくて、例えばっていう話?」
きっとそうにきまっているわ。この人プロなのだから。
「マジです」
男は斜め上を見ながら真面目な顔で、少し照れていた。
嘘だよね? 本当に?
「どのキャラクターが好きですか?」
つい、聞きたくなるのがオタクの性。
「俺は、変身した後に合体したキャラクターが好きで」
私ではなく、俺って言っている。素なのかな?
「どの技がお好きですか?」
「指一本で攻撃する技が一番推しですよね」
この人本当に好きなのかも。私も素でトークしてみようかな。
「私は親子で魂が一つになって攻撃した時が感動しました」
私は、動揺を悟られぬように冷静を装う。本当はもっともっと熱く語りたいのに!!
よくわからないけれど、盛り上がっている。趣味が合うオタク同士の会話だ。婚活レッスンってこんなものなの?
「次回、幻のレアカードをゲットしたので持ってきます」
嬉しい、思わず本音で会話してしまう。でも、ここの静かな店で大声は出せないから、小声でささやく。
「絶対持ってきてください」
この人も同じファンなのかしら? ならば、絶対見たいはずよね。
「次回絶対持ってきますね」
「期待しております」
そんなこんなで、模擬デートは終了したのだ。
イケメンとの初デート、なんだろう、このときめきは。
「模擬デートですが、回数を選ぶことができるんですが、どうしますか?」
「最大回数は?」
「五回となっております。しかし、実践としてお相手を紹介しながら補強するというイメージですね」
「五回お願いします。私今日の初のデート。とても楽しかったです。あなたが初めてでよかった」
「ありがとうございます。僕も最近、入社したばかりであまり経験がなくて」
そんなことを話していて、帰り際に具合が悪くなった。
緊張のしすぎだろうか。寝不足のせいだろうか。
「具合が悪くて」
すぐに本条が、冷たい飲み物を買ってきたり、ベンチまで案内したり甲斐甲斐しく世話をする。
彼はとても優しく、損得で動く人間ではなかった。
もうとっくに模擬デートの時間は過ぎていたが、私にずっと付き添ってくれた。
嫌な顔ひとつせずとても心配そうにしてくれた。
客だからなのだろうけど、勘違いするくらいに彼は優しい。
「持病とかお薬を飲んでいるならば、病院までお連れしますが」
「持病もありません。ただ、緊張しすぎて。少しきつめの服を着たせいか具合が悪くなってしまって。寝不足なのかもしれません」
「とりあえず、楽なTシャツを買ってきます」
「とんでもなく申し訳ないです。歩いてすぐ帰れます」
「でも、一人で返すわけにはいきません。家の前まで付き添います」
「業務外のことをさせるわけにはいきません」
私のせいで彼の貴重な時間が潰れてしまう。
「このまま放っておくことは俺の心に良くありません」
手を握られる。
男性の手に慣れていない私は顔が真っ赤になる。
純粋に心配してくれているのに、私ったら勝手に動揺してしまった。
「熱があるんでしょうかね」
彼の手のひらが額に触れる。
「ちょっと熱いかも。最近風邪も流行っているので、病院に行ったほうがいいかもしれませんね」
「土曜日は病院もやっていませんし、多分風邪ではないと思いますから。仕事の業務をこれ以上増やすわけにはいきません。追加料金が必要ですよね」
「人として心配しちゃだめですか」
「そんなことはありませんが」
本当に心配そうな彼の瞳。いい人なんだなと思う。
「俺、実は親が結婚相談所の社長なんです」
結婚相談所は大手の本条グループの氷山の一角だ。
大手がバックについているからっていう理由で決めたのもある。
だから本条だったのね。
「修行のために、結婚相談所で仕事をやっているんですけど、女性に免疫がないので全然アドバイザーとして機能してなくて。担当した女性が他の男性に興味が持てないというようなことが何度もあって退会されてばっかりで不甲斐ないです」
「それって、本条さんを好きになったから他の男性に興味が持てないだけでは?」
「そうなんでしょうか? 女性の気持ちは全然わかりません。特にあなたのような美人な女性には緊張ばっかりで。男子校育ちなので、交際経験もないくせにアドバイザーなんて笑っちゃいますよね。すみません。俺の愚痴です」
本当に困った顔をする本条。
素の本条の本音は自分を客観的に見ていない不器用で優しい男性だった。
この人、イケメンだということに気づいていないのは。顔面偏差値の高さに自覚がないから、女性が他の男性に興味がなくなってしまう理由がわからないんだ。でも、私を美人ってどういった経緯でそう思ったのだろうか。
確かに、ミスコンに出てくれと言われたり、知らない男性に告白されたり、芸能プロだという人にスカウトされたことはあるけど、きっと詐欺かからかいだと思っていた。少しばかり背が高くて太りにくい体質なだけの私に照れてるなんて。
「恋愛経験がないというのは本当なんですか?」
「出会いの場にいくのも億劫で。趣味がオタクですし、話の合う女性はいないと思っていたので、あなたが少年漫画好きだと聞いて不謹慎にもときめいてしまいました」
「ときめいたんですか?」
驚いてしまい、声が裏返ってしまった。
「すみません。何かするつもりはないので、安心してください。ただ、心臓がドキドキしてしまって、今日会えるのが楽しみで。アドバイザー失格ですよね。本当にすみません」
焦った様子の本条はただ平謝りだ。
私だって勝手にときめいていた。それを言うべきなのか迷ってしまった。
こんなにカッコいい御曹司が私にときめくなんて百億パーセントありえないと思ってしまう。
芸能プロダクションを名乗る人たちも嘘をついているんだと思っていたし、いつも確認はせず疑うことばかりの私だった。
知らない男性が告白してきたときも、きっと罰ゲームかもしれないと思って適当にあしらった。
でも、もし本当に好きだと思ってくれたならば、その相手を傷つけてしまったかもしれない。
良心が初めて傷んだ。本当にときめいてくれたのかどうかはちゃんと話してみて確認したい。
だって、一人の人が気になって、その人から適当にあしらわれたらきっと辛いと思えたから。
今ならわかる。
「私も昨日、あなたに会えるのがうれしくて緊張して眠れなかったんです。今、具合が悪いのは寝不足のせいです。そして、あなたの近くにいると自然と体温が上がってしまって微熱がある状態になってしまうんです。客失格ですよね」
不器用な美男美女が向かい合う。
「俺、全然だめだめですけど。アドバイザーとしてあなたが結婚できるように導きたいと思います」
予想外の答えだ。
ここは付き合いましょうとか両思いですねとかそういう答えだと思っていた。
「社員がお客様とどうこうっていうのはだめとなっていて。ここで、気持ちを押し通すわけにはいかないんです。お会いするだけで、勝手に意識してしまいますが、きっと一時の期の迷いです」
両思いからの失恋。
きっとこの人は素敵な人を紹介してくれるんだ。
運命の人はこれから紹介される人なのかもしれない。
「そうですね。私もあなたの顔立ちに少し惹かれただけなんだと思います。本来のマッチング相手を紹介していただければ、きっと一時の期の迷いはふっきれますよね」
つい微笑んでみる。
「俺、言われるほど顔がいいわけじゃないと思いますが」
「今まで絶対に学校の女子百人程度に告白されてますよね。街を歩けば芸能事務所からのスカウトとか、モデルにならないかとか言われてませんか?」
「たしかに、ありますが。それは誰しもがある経験だと思いますし。詐欺の一種かなと思ってました」
「私も同じような経験をしています。周囲は顔だけはいいけど、恋愛にもっと積極的にと言われており、私の中身を見てもらえる方を希望します。とはいっても、皆さんお世辞で顔だけはいいと言ってくれてるだけだと思うんですけど」
「俺も顔だけはいいと言われ、全然知らない人から好意を寄せられることも多かったんですけど、この程度の顔はそこら辺にいると思うので、お世辞だと思うんですけどね」
二人は目立っていた。芸能人がデートでもしているのではないかというふうに撮影なのかと周囲を見ている者もいた。
背が高く、足が長い。顔は小さく体全体が華奢な二人はとてもよく似合っていた。
当の本人たちは自覚が全くないので、自分たちが美形であるということにすら気づいていない。
「俺、一人前のアドバイザーになるべくちゃんとしたお相手をご紹介します」
「模擬デートは五回コースもあると書いてあるので、なるべく多くしていただけると助かります。こんな私でも恋愛ができるのか。好いてもらえるのかとても不安です」
「あなたなら、絶対に好きだという男性が現れます。すでに、申し込みが殺到しているのは事実です」
「写真だけで申し込みが殺到ですか。私は、普通程度の年収ですし、皆さん訳ありなのかもしれませんね」
「俺が会員なら絶対に申し込みますが。って余計なことを言ってしまいました」
咳払いをしながらも取り繕う本条。
「正直に申し上げます。あなたは容姿が美しい。容姿だけで申し込んでくる人間は多いと思います。本当に相手がいい人なのかを見き極めるのは本人次第です。俺は応援するしかできません。恋愛経験は豊富じゃないですから」
真面目に語る本条。
「少し良くなりましたか? 一応自宅の近くまで送ります」
「少しでも長く一緒にいられるのは嬉しいですね」
本音を言ってしまった。
すると、本条は本当に赤面して、「俺も嬉しいです」と言った。
「素敵な男性を紹介してください」
そう言われ、本条は困った顔をする。
素敵という言葉は非常にあいまいで、人によって基準が違う。
素敵な人を紹介したら、彼女はすぐに結婚してしまうかもしれない。
これは仕事だ。煩悩を捨てるんだ。
本条は戸惑っていた。
「後日、ピックアップしますので相談所へお越しいただけますか?」
「はい。いつでもメールしてください」
メアドは最初の日に書いてもらった。
あれは仕事としての連絡用。
でも、あれで少しだけでも会話できたらいいなとは思う。
『今日はありがとうございました』
たったこれだけの文章を送るのも業務を増やしてしまうのではないかと私は考えながらなかなか送信ボタンを押せなかった。
業務用のアドレスだし、仕事以外の時間は見ていないだろう。
迷惑にはならないはずだ。
でも、本条さんはああ見えて気を使いそうな性格だし、迷惑になるかな。
相談所のホームページのスタッフ一覧の彼の写真を眺める。
やっぱりカッコいい。
容姿だけで好きっていうのは邪道だよね。
結婚は中身が重要だし、ちゃんと会員さんと成婚しないと。
つい、送信ボタンを押してしまった。
まぁ、見てないだろう。
すると、すぐに返信が来た。
『数ある中の会社の中から弊社を選んでいただき大変光栄に思っています。またお会いできる日を楽しみにしております』
これは定型文なんだろうな。やたらレスが早いし。
本条の本気の速度で打ったメールだとは気づくことはないだろう。
一週間後にマッチング相手があまりにも多いということで、本条は困った顔でアイパットで一覧表を見せてくれた。
学歴は一流大学から高卒まで様々だった。
では、牧野さんは大卒なので、大卒以外を削除します。
すると、少しばかり減ったが、意外に大卒は多い。
知らない名前の大学も結構ある。
「県内でよろしいでしょうか? それともどの地域まで限定しますか? 転勤族もいますのでそれも考慮しないといけませんが」
「私、できれば県内の方で転勤をしない方を希望しています。今の仕事を続けたいのと親のこともありますし」
「あと、親と同居希望という方はどうしますか? あまり同居を希望しない女性は多いのは事実です」
「同居は希望しません」
それでも、かなりの数の男性がいる。
「年齢でいくと二十代から三十代くらいでしょうか? 年齢はどうしますか?」
「私と同じくらいの年齢から上は十歳上くらいならいいかな」
「だいぶ絞れましたね。あとは年収ですよね」
「正直そんなに高くなくていいんです。大学名もこだわりません。高卒でもいいのですが、親が大卒を希望していて」
「あとは、居住地域や大学名と会社名と写真が一覧となっています。この中で気に入った方を何人か選んでください」
「こんなにいると悩みますね」
「会ってみないとわからない部分もあり、婚活は戦です」
「たしかに、会ってみないとわかりませんね。じゃあおすすめを教えてください」
「本日のおすすめはというような勧め方はできませんが、個人的にはこういった好青年な印象の男性は結婚してから幸せになりそうだと思っています」
好青年が何人かピックアップされる。
年収もそこそこ悪くない人たち。
「ここで選んで、私の恋愛ははじまるのでしょうか。結婚って恋愛からはじまるものですよね。自信がないんです」
「何を言ってるんですか。あなたは超人気者、選び放題なんです。気に入らなければ次に行けばいい」
「そんな生産的な話なんでしょうか」
「正直、俺も結婚したことないですし、予定もないので何とも言えませんが。チャンスが多いのはいいことだと思います」
「優しそうな男性ですね。この方にお会いしてみようかな。でも、その前にもう一度模擬デートしていただけませんか。できればこれから時間とれませんか」
「それは構いませんが」
「もっとあなたの話を聞いてみたくて」
「会社の社長さんの息子さんってきっと苦労が多いと思うんです。社会勉強というか聞かせてください」
「あなたは珍しい人だ。苦労が多いだなんて。周囲からは社長の息子は苦労がないって言われます。就職もコネでしょって。実際親のおかげでここで働いているので、弁解の余地はありません」
「私、あなたのお話を聞いてみたいんです。趣味のオタク話でもいいんです」
純粋に言ったけど、迷惑だったかな。一瞬本条さんが固まったように感じた。
でも、お金も払うわけだしいいよね。
「牧野さん。あなたの仕事の話も聞かせてください。私には幼稚園教諭の仕事は無縁な話ですから」
「あれ? 今日は俺ではないんですね」
「すみません。前回、ついプライベートのような感じがして俺なんて言ってしまい大変失礼しました」
「いいんですよ。俺で。これからも」
「申し訳ないです」
「私がそのほうが嬉しいので」
そう言うと本条は急いで直帰の準備をしてそのまま模擬デートをすることとなった。
「仕事帰りの模擬デートですが、夕食を食べながらのよくあるデートという設定にしましょう」
設定かぁ。マニュアル本を読み込んでいるんだろう。
本当の本条さんはどんな性格なんだろう。
「今日はマニュアルではなく本条さんならこんなデートをしたいというプランでお願いします」
「お恥ずかしながらデートと言うものにはご縁がなく、マニュアル通りにしかできないと思われます」
このルックスにもかかわらず、だいぶ自信がないようだ。
「じゃあ、どこかレストランに行きましょうか」
「本当は予約が一番いいのですが、急な場合はとりあえず行ってみますか。俺の行きつけでよければ」
そこは高層ビルでも、夜景が見えるでもない個人経営の知る人ぞ知るという隠れ家的なレストランだった。
「昔からの友達が経営してるんです。さっきラインで確認したら空いてるっていうんで一応予約しました」
家庭的な雰囲気なレストラン。広くないけど、洋食で値段も普通だ。
「いらしゃいませ。本日のスペシャルディナーを用意しております」
これまたかわいらしい感じのお兄さんが接客してくれる。
「店長の穂積です。まさかこいつが彼女を連れてくるとはねぇ。俺、本条の同級生なんだよね」
「違う、この人はお客様で、模擬デートなんだって」
「お似合いだし、付き合えばいいだろ」
本条よりも少し砕けていて、接客業に慣れている感じだ。
「こいつ、こう見えてずっと彼女がいないんで、仲良くしてやってください」
本当にずっといないんだろうか。
もしかして口裏合わせているのかもしれない。
でも、目の前の本条はぎこちない様子で、メニュー表を差し出す。
「正解なのかわかりませんが、とりあえず俺なりに考えたデートプランなんで」
「大変嬉しいです。ありがとうございます。私の仕事って子供が好きなら務まるって思われているんですけど、そうでもないんですよ。保護者対応も大変だし、事務作業もあるし、へとへとです」
「でも、続けたいんですか?」
「そのために大学の教育学部の保育科卒業したので」
「俺は、男子校育ちの工学部の情報専攻だったんで、基本野郎の中で育ちました。もしかしたら、失礼があるかもしれませんが、ご了承ください」
「私も女子高育ちの教育学部の保育科卒業ですので、女の園で育ちました。もしかしたら、男性のことわかってないなと思われると思いますがご了承ください」
「もしかして、ですが。株式会社マキノの社長さんのお嬢様では?」
「バレましたか。本条さんの会社よりずっと小さな会社なので、お嬢様ではありませんよ」
「なんとなく、清廉女子幼稚園から大学となると経営者のお嬢様が多いと思いまして。これは推論です。すみません」
「親の会社を継ぐ予定はないんです。だから、保育の仕事をしています」
「俺は、継ぐ予定なんで、こちらでアドバイザーをやってみました。しかしながら、本当に様々なお客様の対応があって。特に男女の縁を創出する仕事ですから、とても重要な仕事なのに恋愛に疎くて早くも苦戦中です」
苦笑いの御曹司。
「ここで、成果を出さなくてもあなたはクビにはならないと思いますが」
「そうかもしれません。でも、ちゃんと皆様の期待に応えられる仕事をしたいんです。情報分析とかしてみたんですけど、実際お客様の好みはAIでわかるものではありませんし、会ってみないとどうなるかもわからない仕事なんですよね」
「応援しています」
「二人、いい感じじゃない? 二人には本日の特別メニュープラス特別サービスのデザートもつけちゃうんで食べてってください」
穂積はニヤけながら接してくる。
「穂積は既婚者だからな」
「若いのに奥様がいるんですか」
「この店で一緒に働いてるよ」
穂積さんはチャラそうな感じの女性ウケする顔立ちだ。
「嫁が俺に一目惚れしたって告白されて、付き合って、結婚して、子供が生まれる予定」
「ものすごく順調な人生ですね」
「穂積は顔がいいし、口もうまいから女性にはたくさん告白されてたよな」
「本条のほうが告白された数は多いだろ。断っていただけで」
「初めて会った人に好きって言われてもさ。たしかに一目惚れっていうのはあるのかもしれないけど」
ちらりと本条さんが私を見たような。私、顔で本条さんを気に入っている女性の一人だと思われているのかも。
たしかに、お顔立ちは素敵だけど、模擬デートの時のオタク話が面白かったっていうのが大きいかな。
「本条はぶっちゃけオタクだし。趣味合う女性じゃないと厳しいと思うけど」
「私は、本条さんと趣味がドストライクに合うんですよね」
「マジか。こりゃ運命だ。付き合っちゃえよ」
軽いノリで言われたけど、本条さんは修行中で、仕事として食事をしている。私はそういう立場じゃないのはわかっている。
「今度の日曜日に会員様を紹介する予定だったんですが、急遽変わりと言っちゃなんですが、俺と会っていただけないでしょうか?」
「無理しなくても、他の会員様でもいいですよ」
「俺が会いたいんです。一目惚れって信じてなかったんですけど、牧野さんを他の男性に紹介したくなくなっちゃって。俺のわがままですが、社員である自分を紹介してもいいですか?」
「でも、ずっと模擬デートでは結婚できないと思うんですけど」
「そこは、正式にお付き合いして、漫画の話とかもっとしたいなって思っていて」
「それってまずくないですか?」
「これは、社長の息子の特権を使います。ちゃんと説明してあなたと正式に付き合いたいと思っていて。独りよがりですみません。あなたの意見をきいていないのに」
「私は結婚したいのですが。お付き合いの先に結婚は考えていますか?」
「俺がもう少し一人前になったら、なるべく早く結婚してください」
「私でよければ、よろしくお願いします」
奥に戻ったと思った穂積が出てきて、奥さんと一緒に笑顔で祝福してくれる。
「今日は特別サービスでワインもつけちゃおう。おめでとう。俺はずっと独り身で奥手の本条がマジで心配だったんだからな」
「おめでとうございます。結婚式には呼んでください」
奥様のお腹は膨らんでいて、幸せがこぼれていた。
「俺、フラれるの覚悟で勢いで告白してしまいました。本当にありがとうございます」
「私も、相手にされていないと思っていたので。嬉しいです」
「美男美女が何謙遜してんだよ」
穂積はコルクを開けてワインを注いでくれた。
初彼となった本条さんは本当に優しくて不器用で一生懸命で。
その後、すぐに私の両親に挨拶に来た。ただ付き合うだけなのに、大切なお嬢さんを預かるんだからと礼儀正しいことこの上ない。
一見オタクには見えない隠れオタクな私たち。
オタク趣味も合うので、一緒にいて居心地がいい。
結婚したいのですが、と飛び込んだ結婚相談所。
彼が担当になったから、縁が結ばれた。
その気持ちがあったから、隣に彼がいる。
人にはご縁があるのかもしれない。見えない糸で結ばれているんだ。
男に縁がない私は結婚というものに憧れているだけで、日々仕事が過ぎていった。
仕事柄女性しかいないという幼稚園教諭の仕事をしていて、出会いはない。
できれば、いいお付き合いをと思っても、子供の父親は既婚者の男性。
そうそう簡単に出会いなんてない。
「結婚したいのですが」
はじめての結婚相談所。声を発してみた。緊張マックスの私。落ち着け!! 目の前には端正な顔立ちのモデルのような男性がいる。正直、このような男性と話したことはないので、緊張を悟られないようにしなければ。
「ここは結婚相談所ですから、そんなことはわかっておりますが」
困った様子のイケメン男性。年齢は私と同じくらいだろうか。
ここの相談所は、婚活カウンセラーは基本異性と決まっているらしい。
女性には男性。男性には女性。そんな口コミをネットのサイトで読んで、ここに決めた。
今まで彼氏いない歴年齢の私には、こういったところが一番いいだろう。
たいていの相談所というのは一般的にお見合いおばちゃんが担当するのだが、ここは若い異性が担当するというこだわりを持ち、あえてデート練習もあるらしい。模擬デートだ。
アドバイスまでしてもらえるとは!! ありがたい。
アドバイス通りにすれば、基本、恋愛して、結婚できるらしい。なんてありがたいシステムなのだろう。
目からうろこの素晴らしいシステム。
ここでの成婚率は九十パーセント以上の高確率と書いてあった。
「あなたみたいな若い男が担当になるってわけ?」
どうしても、このような言い方しかできない自分が歯がゆい。
男性に免疫がない故の悲しい言い方。
「私の名前は本条と申します。お客様、まずはこちらのシステムを説明して納得していただいた上でご入会するかどうかを決定していただきます」
名刺を渡される。
「細かいことはいいから、入会決定でお願いします」
だって、あらゆる口コミサイトで精査したうえでここを選んだのだから、入会するに決まっているでしょ。
強い口調だったせいかイケメン本条は若干引き気味だ。
まずい、これでは結婚の道が遠のく。
「では、会費のご説明をさせていただきます」
イケメンの笑顔をこんなに近くで見たのはいつぶりだろうか。
人生初といっても過言ではないかもしれない。
ずっと女子高生活だったし、積極的な出会いの機会に参加もしなかったし。
営業とはいえ、私にこんなに優しく親切に接してくれる男性、好きになっちゃうじゃない。
顔も何かのドラマに出ていた俳優に似ているし。
「会費なんていくらでも払うから、いい男紹介してよね」
だって、事前に入念に調べて来たのだから会費のシステムは熟知しているわ。
あぁ、またしてもこんなに強い口調で言ってしまった。
嫌われてしまったのではないだろうか。
でも客だし。今の時代はカスハラなんていう言葉もあるから、気を付けないと。
「お客様、大丈夫ですか? 顔色が悪いように思いますが、別な日に説明をしてもいいですよ」
優しいまなざしがまぶしく痛い。
こんなに優しいイケメン。あなたがいいです。って思うけど、この人は社員だろうし。既婚の可能性もある。
太陽のような光が彼から発しているような気がする。
イケメン免疫のない私にはとてもまぶしく見ることもできない。
少し細目になり、睨んでしまう。
「大丈夫です。一日でも早く結婚したいので」
もしかして変な客と思われていないだろうか。
戸惑いつつも優し気なフォロー。
いい人なんだな。ってこの短時間になんで私はこの人を好きになってるの。
普通にいないような素晴らしい容姿を持ち合わせた優しい男性に声をかけられたら、免疫ゼロの私は恋に落ちてしまう。
この人以上の人を見つければ問題ないってことよね。
「では、相手へのご希望は? 年収、学歴などこちらへ明記してください」
「学歴や年収でいい男の基準が決まるわけでもないでしょ。あなた以上にいい人を紹介してください」
つい、言ってしまった。
本条さんドン引きだよね。
でも、本条は特に気にする様子もなく淡々と話を進めていた。
こんなに容姿端麗な男性だから、社員として言われなれてるんだ。モテまくっていただろうし、ちょっと何か言われたくらいじゃ何も感じないのでは。
「じゃあ実際にお写真を見て決めていただきますか?」
もしかして、私が顔で選ぶようなタイプの女だと思っているんじゃないの? この男、顔もいいし、きっと女を顔で決めるタイプだわ。
実際私もあなたの顔面偏差値にやられたどうしようもない女ですけど。
「結婚のプロであるあなたが決めてよ」
結局出た言葉が、こんなぶっきらぼうな一言だなんて、私ってだめだわ。
一人で自己嫌悪に落ち入る。
「まずは、入会申込書にあなたの経歴や個人情報や趣味などをご記入くださいませ」
こんなイケメンな男性の前で、十分以上二人きりで会話するなんて、手が震えるわ。緊張を悟られないように、なんとか字を書かないと。震えないように……。
そうだ、この男、既婚者かもしれない。そうすれば、私の緊張も半減するわ。
「あなた結婚していないの?」
「あいにくしては結婚しておりませんが。こんな仕事をしているにもかかわらずなかなかご縁がなくて」
独身イケメン男性なんて、私のストライクゾーンに直球じゃない。せめて既婚者ならば、意識しないで済んだかもしれないのに。
きっと理想が高すぎて結婚できないって話でしょ。もしくは恋人はいるけど、結婚はしないでもう少し遊んでいたいとか。
「結婚してもいない人がアドバイザーになるなんて笑っちゃうわね」
私の馬鹿、ついこんなことを言ってしまったわ。緊張するから、せめてもう少し距離が欲しい。顔が赤くなるわ。
「申し訳ございません。独身の異性と話をしたり、模擬デートをすることで、練習していただくという弊社の考えでございますから」
こんなイケメンさんに謝らせてしまった。私の馬鹿馬鹿。デートしてくれるっていうありがたい話じゃない。
仕事だっていうことはわかっているけど、こんなチャンスはめったにないと思うの。
どこを見つめればいいの? 変に目をそらしたら、挙動不審とか男に慣れていないって思われそうよね。
微笑んだ本条の美しく整った澄んだ瞳をじっとみつめる。
あれ? 彼のほうが視線をそらしてしまった。まずい、見つめすぎてやばい女だと思われたのでは。
「では、来週の土曜日の午後はいかがですか? 駅前に十四時集合で」
これは、デートの約束みたいな感じね。正確に言えば模擬デートだけど。
「受けて立ちます、そのお約束。私、デートには不慣れなのでよろしくお願いします」
「そうなんですか。不慣れとは思いませんでした」
「私が様々な男性と遊んでいるような女性だと思ったんですか」
「そういうわけではないですよ。そのような美しい女性ならば男性が放っておかないだろうなって上級者コースを想定していました。では、初心者コースということでよろしいでしょうか」
今のはリップサービスってことなのかな。
お客様に対しての礼儀ってことよね。
きっと彼はどんな女性にも同じように優しく美しいと褒めているんだろう。
正直ひとめぼれだ。恋に落ちてしまった。
皮肉にも好きな人に男性を紹介されるなんて、ありえないんですけど。
「超初心者なので、よろしくお願いします」
彼から渡された名刺はお守りがわりとなっていた。
男性からの初めてのプレゼントみたい。
好きな人からのプレゼントみたい。
というか彼は仕事で何人もの人間にこの紙を渡していることはわかっているのに。
この名刺にぬくもりが残っているような気がしてならない。
帰ってからも部屋で名刺をじっと見つめる。
仕事柄名刺をもらうことはあまりなく、新鮮だった。
本条新さんかぁ。
名前もかっこいいなぁ。土曜日が楽しみで仕方がない。
どんな洋服を着ていこうか。どんなアクセサリーをつけようか。
どうせ交際相手が選び放題であろう男性相手に本気で少しでもかわいいと思われたいと考えた。
当日は早めに起きて、入念なメイクをして、髪を巻いて、かわいらしいワンピースで女性らしいコーデにした。
早く来すぎてしまった。一時間以上前だ。
本条が来たのは開始十分ほど前だった。
「約束の少し前に来ることがデートではちょうどいいとされています。今日は本番さながらで行います。よろしいですか」
本条は私服で来たのだが、とにかくかっこいい。惚れてしまうではないか。
黒いデニムがスタイルの良い彼に似合っており、ブルーのシャツはしわ一つなく清潔感があった。
既に決まっていることがある。私は彼以外の男性を紹介されてここで結婚相手を選ぶことになる。
この恋は踏み台よ。
「今日は一般的な喫茶店でお茶をしながら会話を楽しむ模擬デートを実践します」
男の瞳は大きく澄んでいた。きっとたくさんの女性と経験があるのだろう。
スーツ以外のカジュアルな姿も髪の毛もすべてがいい。
この相談所に入ってよかったなと思う。
「映画館という手もありますが、会話が続かないという方にはお勧めしています。しかしながら、今回は会話の練習としてあえて喫茶店という場所で実践いたします」
初めてのデートだ。静かな喫茶店に入った。彼の髪はサラサラで、横髪をかき上げるしぐさはいい男を三割増しさせる。
香水の匂いなのか彼からはとても甘く優しい香りがした。
「飲み物何にします?」
「ホットコーヒーで」
「じゃあ私も同じものを。このような場合は、同じものを頼んだほうが、共通の話題を生みやすかったりするのです。味を共有することは結構大事だと弊社のマニュアルでは説明されています」
彼はデートのマニュアルを知り尽くした男。つまり、恋愛上級者なのね。
私はただ見つめるだけだ。余裕がなく、他にするすべがないのだ。
「以前、会員様でレモンティーを頼んだ方がいたのですが、レモンをお見合い中にしゃぶってそのままお皿に置いたのですが、それが相手の女性の印象を悪くしたらしく、破談となってしまいました。お見合いの席では、レモン一つが命取りになるのです」
何、その実話。
「私は、レモンごときで相手を計ったりしませんけど」
少し笑ってしまった。
「もしも、本条さんがレモンを舐めても、そんなことで嫌いにはなりませんよ」
「牧野さんは優しいなぁ。私も仕事以外でデートって経験があまりなくて。マニュアル頼みなので、どこまでアドバイスできるかはわかりませんが、全力であなたを楽しませたいと思っています。まだ新人社員なので」
その顔が真剣でまるで本当にデートをしているような錯覚に陥る。
「本条さんの誠意が伝われば、それでいいと思います」
「少し緊張しています。あなたのような美人が結婚相談所を利用するなんて珍しいので、直視できなくてすみません」
「私は美人ではありませんし、お世辞を言われる筋合いはございません」
ここは、毅然とした態度を取らないと。
きっとみんなに言っているマニュアルの台詞だろう。
「マニュアルのお話ですが、相手の話を上目使いでうなずきながら聞くという行為は、男性にとって聞いてくれる女性ということで好印象を持たれることが多いです」
メモを取らなきゃ。重要事項だわ。イケメンがじっとメモ帳を見つめている。
まずい。がめつい女と思われているのかも。
「何か? 不都合があるのなら、メモはとりません」
「いえ、そのようなわけではないのですが。会員様の中でもかなり熱心な方だなと」
ドン引きされているのかしら?
「話が途切れた時は、無難な季節や天気の話、共通の趣味があるか探るのも一つです。音楽や好きな本の話題を振ってみると案外気が合うかもしれません。例えば、最近どんな本を読みましたか? 休日はどのようにお過ごしですか? というように聞くことは有効な手段です」
メモ、取らないと。ここは重要よね。
「私があなたに質問してみますね。最近、どんな本を読みましたか?」
「……私、漫画を主に読んでいまして。少年漫画のバトル話が好きなのです」
まずい、本当のことを言ってしまった。イケメンがドン引きしているわ。オタク女なんて、いらないって。
「私も少年漫画は好きです。例えばどんな漫画ですか?」
きっと気を遣ってくれているのね。こうなったら本当に私のオタクぶりを発揮させてもらうわよ。
「私は、昔連載していたどんどん強敵が出てくるたびに主人公が戦いながら強くなるお話が今でも好きで……ドラゴンカードを集めています」
やっぱり漫画オタクって嫌なのかも。恥ずかしい……。
「私も実はその漫画を全巻持っていて……カードも集めています」
え? カードも集めているの? 私もたくさんのカードを集めているわよ。
「これ、あくまでセールストークですよね。リアルじゃなくて、例えばっていう話?」
きっとそうにきまっているわ。この人プロなのだから。
「マジです」
男は斜め上を見ながら真面目な顔で、少し照れていた。
嘘だよね? 本当に?
「どのキャラクターが好きですか?」
つい、聞きたくなるのがオタクの性。
「俺は、変身した後に合体したキャラクターが好きで」
私ではなく、俺って言っている。素なのかな?
「どの技がお好きですか?」
「指一本で攻撃する技が一番推しですよね」
この人本当に好きなのかも。私も素でトークしてみようかな。
「私は親子で魂が一つになって攻撃した時が感動しました」
私は、動揺を悟られぬように冷静を装う。本当はもっともっと熱く語りたいのに!!
よくわからないけれど、盛り上がっている。趣味が合うオタク同士の会話だ。婚活レッスンってこんなものなの?
「次回、幻のレアカードをゲットしたので持ってきます」
嬉しい、思わず本音で会話してしまう。でも、ここの静かな店で大声は出せないから、小声でささやく。
「絶対持ってきてください」
この人も同じファンなのかしら? ならば、絶対見たいはずよね。
「次回絶対持ってきますね」
「期待しております」
そんなこんなで、模擬デートは終了したのだ。
イケメンとの初デート、なんだろう、このときめきは。
「模擬デートですが、回数を選ぶことができるんですが、どうしますか?」
「最大回数は?」
「五回となっております。しかし、実践としてお相手を紹介しながら補強するというイメージですね」
「五回お願いします。私今日の初のデート。とても楽しかったです。あなたが初めてでよかった」
「ありがとうございます。僕も最近、入社したばかりであまり経験がなくて」
そんなことを話していて、帰り際に具合が悪くなった。
緊張のしすぎだろうか。寝不足のせいだろうか。
「具合が悪くて」
すぐに本条が、冷たい飲み物を買ってきたり、ベンチまで案内したり甲斐甲斐しく世話をする。
彼はとても優しく、損得で動く人間ではなかった。
もうとっくに模擬デートの時間は過ぎていたが、私にずっと付き添ってくれた。
嫌な顔ひとつせずとても心配そうにしてくれた。
客だからなのだろうけど、勘違いするくらいに彼は優しい。
「持病とかお薬を飲んでいるならば、病院までお連れしますが」
「持病もありません。ただ、緊張しすぎて。少しきつめの服を着たせいか具合が悪くなってしまって。寝不足なのかもしれません」
「とりあえず、楽なTシャツを買ってきます」
「とんでもなく申し訳ないです。歩いてすぐ帰れます」
「でも、一人で返すわけにはいきません。家の前まで付き添います」
「業務外のことをさせるわけにはいきません」
私のせいで彼の貴重な時間が潰れてしまう。
「このまま放っておくことは俺の心に良くありません」
手を握られる。
男性の手に慣れていない私は顔が真っ赤になる。
純粋に心配してくれているのに、私ったら勝手に動揺してしまった。
「熱があるんでしょうかね」
彼の手のひらが額に触れる。
「ちょっと熱いかも。最近風邪も流行っているので、病院に行ったほうがいいかもしれませんね」
「土曜日は病院もやっていませんし、多分風邪ではないと思いますから。仕事の業務をこれ以上増やすわけにはいきません。追加料金が必要ですよね」
「人として心配しちゃだめですか」
「そんなことはありませんが」
本当に心配そうな彼の瞳。いい人なんだなと思う。
「俺、実は親が結婚相談所の社長なんです」
結婚相談所は大手の本条グループの氷山の一角だ。
大手がバックについているからっていう理由で決めたのもある。
だから本条だったのね。
「修行のために、結婚相談所で仕事をやっているんですけど、女性に免疫がないので全然アドバイザーとして機能してなくて。担当した女性が他の男性に興味が持てないというようなことが何度もあって退会されてばっかりで不甲斐ないです」
「それって、本条さんを好きになったから他の男性に興味が持てないだけでは?」
「そうなんでしょうか? 女性の気持ちは全然わかりません。特にあなたのような美人な女性には緊張ばっかりで。男子校育ちなので、交際経験もないくせにアドバイザーなんて笑っちゃいますよね。すみません。俺の愚痴です」
本当に困った顔をする本条。
素の本条の本音は自分を客観的に見ていない不器用で優しい男性だった。
この人、イケメンだということに気づいていないのは。顔面偏差値の高さに自覚がないから、女性が他の男性に興味がなくなってしまう理由がわからないんだ。でも、私を美人ってどういった経緯でそう思ったのだろうか。
確かに、ミスコンに出てくれと言われたり、知らない男性に告白されたり、芸能プロだという人にスカウトされたことはあるけど、きっと詐欺かからかいだと思っていた。少しばかり背が高くて太りにくい体質なだけの私に照れてるなんて。
「恋愛経験がないというのは本当なんですか?」
「出会いの場にいくのも億劫で。趣味がオタクですし、話の合う女性はいないと思っていたので、あなたが少年漫画好きだと聞いて不謹慎にもときめいてしまいました」
「ときめいたんですか?」
驚いてしまい、声が裏返ってしまった。
「すみません。何かするつもりはないので、安心してください。ただ、心臓がドキドキしてしまって、今日会えるのが楽しみで。アドバイザー失格ですよね。本当にすみません」
焦った様子の本条はただ平謝りだ。
私だって勝手にときめいていた。それを言うべきなのか迷ってしまった。
こんなにカッコいい御曹司が私にときめくなんて百億パーセントありえないと思ってしまう。
芸能プロダクションを名乗る人たちも嘘をついているんだと思っていたし、いつも確認はせず疑うことばかりの私だった。
知らない男性が告白してきたときも、きっと罰ゲームかもしれないと思って適当にあしらった。
でも、もし本当に好きだと思ってくれたならば、その相手を傷つけてしまったかもしれない。
良心が初めて傷んだ。本当にときめいてくれたのかどうかはちゃんと話してみて確認したい。
だって、一人の人が気になって、その人から適当にあしらわれたらきっと辛いと思えたから。
今ならわかる。
「私も昨日、あなたに会えるのがうれしくて緊張して眠れなかったんです。今、具合が悪いのは寝不足のせいです。そして、あなたの近くにいると自然と体温が上がってしまって微熱がある状態になってしまうんです。客失格ですよね」
不器用な美男美女が向かい合う。
「俺、全然だめだめですけど。アドバイザーとしてあなたが結婚できるように導きたいと思います」
予想外の答えだ。
ここは付き合いましょうとか両思いですねとかそういう答えだと思っていた。
「社員がお客様とどうこうっていうのはだめとなっていて。ここで、気持ちを押し通すわけにはいかないんです。お会いするだけで、勝手に意識してしまいますが、きっと一時の期の迷いです」
両思いからの失恋。
きっとこの人は素敵な人を紹介してくれるんだ。
運命の人はこれから紹介される人なのかもしれない。
「そうですね。私もあなたの顔立ちに少し惹かれただけなんだと思います。本来のマッチング相手を紹介していただければ、きっと一時の期の迷いはふっきれますよね」
つい微笑んでみる。
「俺、言われるほど顔がいいわけじゃないと思いますが」
「今まで絶対に学校の女子百人程度に告白されてますよね。街を歩けば芸能事務所からのスカウトとか、モデルにならないかとか言われてませんか?」
「たしかに、ありますが。それは誰しもがある経験だと思いますし。詐欺の一種かなと思ってました」
「私も同じような経験をしています。周囲は顔だけはいいけど、恋愛にもっと積極的にと言われており、私の中身を見てもらえる方を希望します。とはいっても、皆さんお世辞で顔だけはいいと言ってくれてるだけだと思うんですけど」
「俺も顔だけはいいと言われ、全然知らない人から好意を寄せられることも多かったんですけど、この程度の顔はそこら辺にいると思うので、お世辞だと思うんですけどね」
二人は目立っていた。芸能人がデートでもしているのではないかというふうに撮影なのかと周囲を見ている者もいた。
背が高く、足が長い。顔は小さく体全体が華奢な二人はとてもよく似合っていた。
当の本人たちは自覚が全くないので、自分たちが美形であるということにすら気づいていない。
「俺、一人前のアドバイザーになるべくちゃんとしたお相手をご紹介します」
「模擬デートは五回コースもあると書いてあるので、なるべく多くしていただけると助かります。こんな私でも恋愛ができるのか。好いてもらえるのかとても不安です」
「あなたなら、絶対に好きだという男性が現れます。すでに、申し込みが殺到しているのは事実です」
「写真だけで申し込みが殺到ですか。私は、普通程度の年収ですし、皆さん訳ありなのかもしれませんね」
「俺が会員なら絶対に申し込みますが。って余計なことを言ってしまいました」
咳払いをしながらも取り繕う本条。
「正直に申し上げます。あなたは容姿が美しい。容姿だけで申し込んでくる人間は多いと思います。本当に相手がいい人なのかを見き極めるのは本人次第です。俺は応援するしかできません。恋愛経験は豊富じゃないですから」
真面目に語る本条。
「少し良くなりましたか? 一応自宅の近くまで送ります」
「少しでも長く一緒にいられるのは嬉しいですね」
本音を言ってしまった。
すると、本条は本当に赤面して、「俺も嬉しいです」と言った。
「素敵な男性を紹介してください」
そう言われ、本条は困った顔をする。
素敵という言葉は非常にあいまいで、人によって基準が違う。
素敵な人を紹介したら、彼女はすぐに結婚してしまうかもしれない。
これは仕事だ。煩悩を捨てるんだ。
本条は戸惑っていた。
「後日、ピックアップしますので相談所へお越しいただけますか?」
「はい。いつでもメールしてください」
メアドは最初の日に書いてもらった。
あれは仕事としての連絡用。
でも、あれで少しだけでも会話できたらいいなとは思う。
『今日はありがとうございました』
たったこれだけの文章を送るのも業務を増やしてしまうのではないかと私は考えながらなかなか送信ボタンを押せなかった。
業務用のアドレスだし、仕事以外の時間は見ていないだろう。
迷惑にはならないはずだ。
でも、本条さんはああ見えて気を使いそうな性格だし、迷惑になるかな。
相談所のホームページのスタッフ一覧の彼の写真を眺める。
やっぱりカッコいい。
容姿だけで好きっていうのは邪道だよね。
結婚は中身が重要だし、ちゃんと会員さんと成婚しないと。
つい、送信ボタンを押してしまった。
まぁ、見てないだろう。
すると、すぐに返信が来た。
『数ある中の会社の中から弊社を選んでいただき大変光栄に思っています。またお会いできる日を楽しみにしております』
これは定型文なんだろうな。やたらレスが早いし。
本条の本気の速度で打ったメールだとは気づくことはないだろう。
一週間後にマッチング相手があまりにも多いということで、本条は困った顔でアイパットで一覧表を見せてくれた。
学歴は一流大学から高卒まで様々だった。
では、牧野さんは大卒なので、大卒以外を削除します。
すると、少しばかり減ったが、意外に大卒は多い。
知らない名前の大学も結構ある。
「県内でよろしいでしょうか? それともどの地域まで限定しますか? 転勤族もいますのでそれも考慮しないといけませんが」
「私、できれば県内の方で転勤をしない方を希望しています。今の仕事を続けたいのと親のこともありますし」
「あと、親と同居希望という方はどうしますか? あまり同居を希望しない女性は多いのは事実です」
「同居は希望しません」
それでも、かなりの数の男性がいる。
「年齢でいくと二十代から三十代くらいでしょうか? 年齢はどうしますか?」
「私と同じくらいの年齢から上は十歳上くらいならいいかな」
「だいぶ絞れましたね。あとは年収ですよね」
「正直そんなに高くなくていいんです。大学名もこだわりません。高卒でもいいのですが、親が大卒を希望していて」
「あとは、居住地域や大学名と会社名と写真が一覧となっています。この中で気に入った方を何人か選んでください」
「こんなにいると悩みますね」
「会ってみないとわからない部分もあり、婚活は戦です」
「たしかに、会ってみないとわかりませんね。じゃあおすすめを教えてください」
「本日のおすすめはというような勧め方はできませんが、個人的にはこういった好青年な印象の男性は結婚してから幸せになりそうだと思っています」
好青年が何人かピックアップされる。
年収もそこそこ悪くない人たち。
「ここで選んで、私の恋愛ははじまるのでしょうか。結婚って恋愛からはじまるものですよね。自信がないんです」
「何を言ってるんですか。あなたは超人気者、選び放題なんです。気に入らなければ次に行けばいい」
「そんな生産的な話なんでしょうか」
「正直、俺も結婚したことないですし、予定もないので何とも言えませんが。チャンスが多いのはいいことだと思います」
「優しそうな男性ですね。この方にお会いしてみようかな。でも、その前にもう一度模擬デートしていただけませんか。できればこれから時間とれませんか」
「それは構いませんが」
「もっとあなたの話を聞いてみたくて」
「会社の社長さんの息子さんってきっと苦労が多いと思うんです。社会勉強というか聞かせてください」
「あなたは珍しい人だ。苦労が多いだなんて。周囲からは社長の息子は苦労がないって言われます。就職もコネでしょって。実際親のおかげでここで働いているので、弁解の余地はありません」
「私、あなたのお話を聞いてみたいんです。趣味のオタク話でもいいんです」
純粋に言ったけど、迷惑だったかな。一瞬本条さんが固まったように感じた。
でも、お金も払うわけだしいいよね。
「牧野さん。あなたの仕事の話も聞かせてください。私には幼稚園教諭の仕事は無縁な話ですから」
「あれ? 今日は俺ではないんですね」
「すみません。前回、ついプライベートのような感じがして俺なんて言ってしまい大変失礼しました」
「いいんですよ。俺で。これからも」
「申し訳ないです」
「私がそのほうが嬉しいので」
そう言うと本条は急いで直帰の準備をしてそのまま模擬デートをすることとなった。
「仕事帰りの模擬デートですが、夕食を食べながらのよくあるデートという設定にしましょう」
設定かぁ。マニュアル本を読み込んでいるんだろう。
本当の本条さんはどんな性格なんだろう。
「今日はマニュアルではなく本条さんならこんなデートをしたいというプランでお願いします」
「お恥ずかしながらデートと言うものにはご縁がなく、マニュアル通りにしかできないと思われます」
このルックスにもかかわらず、だいぶ自信がないようだ。
「じゃあ、どこかレストランに行きましょうか」
「本当は予約が一番いいのですが、急な場合はとりあえず行ってみますか。俺の行きつけでよければ」
そこは高層ビルでも、夜景が見えるでもない個人経営の知る人ぞ知るという隠れ家的なレストランだった。
「昔からの友達が経営してるんです。さっきラインで確認したら空いてるっていうんで一応予約しました」
家庭的な雰囲気なレストラン。広くないけど、洋食で値段も普通だ。
「いらしゃいませ。本日のスペシャルディナーを用意しております」
これまたかわいらしい感じのお兄さんが接客してくれる。
「店長の穂積です。まさかこいつが彼女を連れてくるとはねぇ。俺、本条の同級生なんだよね」
「違う、この人はお客様で、模擬デートなんだって」
「お似合いだし、付き合えばいいだろ」
本条よりも少し砕けていて、接客業に慣れている感じだ。
「こいつ、こう見えてずっと彼女がいないんで、仲良くしてやってください」
本当にずっといないんだろうか。
もしかして口裏合わせているのかもしれない。
でも、目の前の本条はぎこちない様子で、メニュー表を差し出す。
「正解なのかわかりませんが、とりあえず俺なりに考えたデートプランなんで」
「大変嬉しいです。ありがとうございます。私の仕事って子供が好きなら務まるって思われているんですけど、そうでもないんですよ。保護者対応も大変だし、事務作業もあるし、へとへとです」
「でも、続けたいんですか?」
「そのために大学の教育学部の保育科卒業したので」
「俺は、男子校育ちの工学部の情報専攻だったんで、基本野郎の中で育ちました。もしかしたら、失礼があるかもしれませんが、ご了承ください」
「私も女子高育ちの教育学部の保育科卒業ですので、女の園で育ちました。もしかしたら、男性のことわかってないなと思われると思いますがご了承ください」
「もしかして、ですが。株式会社マキノの社長さんのお嬢様では?」
「バレましたか。本条さんの会社よりずっと小さな会社なので、お嬢様ではありませんよ」
「なんとなく、清廉女子幼稚園から大学となると経営者のお嬢様が多いと思いまして。これは推論です。すみません」
「親の会社を継ぐ予定はないんです。だから、保育の仕事をしています」
「俺は、継ぐ予定なんで、こちらでアドバイザーをやってみました。しかしながら、本当に様々なお客様の対応があって。特に男女の縁を創出する仕事ですから、とても重要な仕事なのに恋愛に疎くて早くも苦戦中です」
苦笑いの御曹司。
「ここで、成果を出さなくてもあなたはクビにはならないと思いますが」
「そうかもしれません。でも、ちゃんと皆様の期待に応えられる仕事をしたいんです。情報分析とかしてみたんですけど、実際お客様の好みはAIでわかるものではありませんし、会ってみないとどうなるかもわからない仕事なんですよね」
「応援しています」
「二人、いい感じじゃない? 二人には本日の特別メニュープラス特別サービスのデザートもつけちゃうんで食べてってください」
穂積はニヤけながら接してくる。
「穂積は既婚者だからな」
「若いのに奥様がいるんですか」
「この店で一緒に働いてるよ」
穂積さんはチャラそうな感じの女性ウケする顔立ちだ。
「嫁が俺に一目惚れしたって告白されて、付き合って、結婚して、子供が生まれる予定」
「ものすごく順調な人生ですね」
「穂積は顔がいいし、口もうまいから女性にはたくさん告白されてたよな」
「本条のほうが告白された数は多いだろ。断っていただけで」
「初めて会った人に好きって言われてもさ。たしかに一目惚れっていうのはあるのかもしれないけど」
ちらりと本条さんが私を見たような。私、顔で本条さんを気に入っている女性の一人だと思われているのかも。
たしかに、お顔立ちは素敵だけど、模擬デートの時のオタク話が面白かったっていうのが大きいかな。
「本条はぶっちゃけオタクだし。趣味合う女性じゃないと厳しいと思うけど」
「私は、本条さんと趣味がドストライクに合うんですよね」
「マジか。こりゃ運命だ。付き合っちゃえよ」
軽いノリで言われたけど、本条さんは修行中で、仕事として食事をしている。私はそういう立場じゃないのはわかっている。
「今度の日曜日に会員様を紹介する予定だったんですが、急遽変わりと言っちゃなんですが、俺と会っていただけないでしょうか?」
「無理しなくても、他の会員様でもいいですよ」
「俺が会いたいんです。一目惚れって信じてなかったんですけど、牧野さんを他の男性に紹介したくなくなっちゃって。俺のわがままですが、社員である自分を紹介してもいいですか?」
「でも、ずっと模擬デートでは結婚できないと思うんですけど」
「そこは、正式にお付き合いして、漫画の話とかもっとしたいなって思っていて」
「それってまずくないですか?」
「これは、社長の息子の特権を使います。ちゃんと説明してあなたと正式に付き合いたいと思っていて。独りよがりですみません。あなたの意見をきいていないのに」
「私は結婚したいのですが。お付き合いの先に結婚は考えていますか?」
「俺がもう少し一人前になったら、なるべく早く結婚してください」
「私でよければ、よろしくお願いします」
奥に戻ったと思った穂積が出てきて、奥さんと一緒に笑顔で祝福してくれる。
「今日は特別サービスでワインもつけちゃおう。おめでとう。俺はずっと独り身で奥手の本条がマジで心配だったんだからな」
「おめでとうございます。結婚式には呼んでください」
奥様のお腹は膨らんでいて、幸せがこぼれていた。
「俺、フラれるの覚悟で勢いで告白してしまいました。本当にありがとうございます」
「私も、相手にされていないと思っていたので。嬉しいです」
「美男美女が何謙遜してんだよ」
穂積はコルクを開けてワインを注いでくれた。
初彼となった本条さんは本当に優しくて不器用で一生懸命で。
その後、すぐに私の両親に挨拶に来た。ただ付き合うだけなのに、大切なお嬢さんを預かるんだからと礼儀正しいことこの上ない。
一見オタクには見えない隠れオタクな私たち。
オタク趣味も合うので、一緒にいて居心地がいい。
結婚したいのですが、と飛び込んだ結婚相談所。
彼が担当になったから、縁が結ばれた。
その気持ちがあったから、隣に彼がいる。
人にはご縁があるのかもしれない。見えない糸で結ばれているんだ。



