「拾おうか?」

 後ろから誰かの声がした。男性らしい。

「すみません」


 自分の前に散らばる写真を拾いつつ、中腰になり、体をひねる。


「──え」


 しばらく体が動かなかった。

 高校生くらいの男の子が、写真を拾うのをぽかんと眺めていることになってしまった。

 その彼は手早く残りの写真を拾ってくれ、笑顔で私に差し出す。

 一瞬、ちょっと猫みたいに細められた眼。


「はい、これ──」


 そこまで言った後、彼も同じように言葉を途切れさせる。どうやら一番上になった写真を見ているようだ。『あの人』が作中のガールフレンド役の子と笑顔で並んでいる写真を見て、その彼は戸惑ったような表情を浮かべていた。

 そして私も彼に負けないくらい戸惑っていたはずだ。

 さらさらの黒髪、少し陽に灼けた肌、少し切れ長の眼は、笑うと線になる。ちょっと痩せた少年。

 彼は写真の『あの人』とそっくりだった。

 髪型が同じだったら同一人物と言っても一瞬信じてしまうだろう。何も知らなかったら私も別人だと言いきれなかった。


(あ、どうしよう。これってまずくない?)


 同一人物じゃないのは数秒すればさすがに解る。でも、面識のない女が自分とすごくよく似た人物の写真を持っているのだ。あまりにも不審すぎる。でも、どう説明すればいいのか解らない。

 彼がやっと私の顔を見る。

 ストーカーや変質者だと思われたらどうしよう。『あの人』と同じ顔の男の子にそんな扱いを受けたら絶対立ち直れない。必死で表情を窺うしかできなかった。

 彼は少し厳しい表情を浮かべて、口を開く。

 怒っているのかもしれない。

「この写真のことだけど──」

「は、はいっ!」


 声は少し似てはいるものの映画の中の『あの人』と違う。もう少し強い感じの声だ。


「この写真、どこにあったのか訊いてもいい? 多分それ……兄の写真だと思うんだ」

「お兄さん? あの人の?」

「あの人?」

 彼の声が鋭いものになった。『あの人』にそっくりな顔で厳しい声を出されると、精神的にかなりダメージがくる。ものすごくいたたまれない気分になった。

『あの人』は六年前に亡くなっている。もちろん別人なのだ。しかも彼はどうも身内らしい。変なことを話したら不愉快に思われてしまうかもしれない。

 うまくごまかしてしまった方がいいんだろうか。そう思ったけど『あの人』そっくりのこの人に対して変な嘘をつけるような気がしなかった。

 勇気を出すために深呼吸する。


「えーと、いろいろ変なこと言うかもしれないけど、いいですか」

「うん?」

「その写真がどこにあったかの質問にまず答えますね。その封筒ごとお姉ちゃん……私の姉の部屋にありました。姉はそこの学校の卒業生で、映画部で自主制作映画を作っていたメンバーだったんです」

「……ああ」


 自主制作映画という言葉に少し心当たりがあったらしい。彼は少し警戒をゆるめたように見えた。


「その写真は映画の中で小道具として使うために姉が撮ったんだそうです。今日、映画のスクリーンショットとかをまとめた冊子をお姉ちゃんが使うから出してくれって言われて引き出しを探して、それで見つけました」


 彼はしばらく何か考えていたようだったけど、やがてうなずいてみせる。


「映画の話は昔、兄ちゃんから少しだけ聞いたような気がする。ちゃんと完成したっていうのは知らなかったんだけど」


 少し不思議だったけれど、学校での活動について家族に細かく話しているかは家によって違うだろう。私だって全部言っている訳でもない。


「ここに来たのは、その時にお姉ちゃんから映画の話を聞いて見てみて……何だか……お姉ちゃんも映画に出てたりともあって、学校を見てみたくなって、つい来ちゃったんです……」


 一番大きな理由はお姉ちゃんじゃないけど、ついそう言ってしまった。

 嘘をついているような気分になって居心地が悪かったけど、どう言ったらちょうどいい説明になるのかは自分でも解らなかったのだ。

 彼はしばらく写真を見ながら黙っていた。顔はそっくりなのに、伏せた瞼がシャープな印象で少し怖い。でも、私に視線を合わせた時の眼は、怖いというよりは惹き込まれるような感じだった。


「その映画のこととか少し聞いたりしたいんだけど、名前も聞いていい? 俺は伊泉(いいずみ)十真(とおま)。そこの金砂(かなさ)高校の一年生──名前を教えてほしい」

「同い年なんですね。すっ、鈴峰エレナです。お姉ちゃんは鈴峰アニカ」

「お姉さんの名前まで聞いたつもりはなかったけど、じゃ、その写真の俺の兄の名前も言っておくよ。伊泉一真(かずま)っていうんだ。あ、あと同学年なのに敬語で喋らなくていいよ」

「……うん、解った。普通に喋るね……頑張る……」


 自己紹介の時に自分の姉や兄の名前まで名乗っているのはかなり間抜けな光景かもしれない。それでも私達の自己紹介にはそれが必要だったと思う。


「えーと、伊泉君……でいいのかな」

「多分兄ちゃんの話がちょこちょこ出ると紛らわしいだろうから、名前で呼んでくれていいよ。俺もお姉さんの名前と区別できる気がしないから名前で呼びたいんだけど」

「うん……よく間違われる。それどころか、たまにどっちでもない名前と間違われたりするよ。エリザベスとかエミリーとか言われたことある」

「その間違われ方はえぐいな。『エ』しか合ってない……あっ、映画の話に戻るけど、どこか見られるところがあるんだ?」

「動画サイトに映画がアップされてるから、私はそこで見たの。大体十五分くらいの作品だよ」

「ちょっとそれ確認したいな。よかったら家で見てもいい? 麦茶くらいは出すし。あ、アイスとかまだ残ってたかも。あるといいな。あったら出す」


 そう言うと彼──十真君は後ろにある平屋の和風建築を親指で示してみせた。

 生け垣の横にある門には『伊泉』という表札が出ている。

 十真君がいきなり現れたように感じたのは、私が彼の家の前で写真をばら撒いてしまったからだったのだ。


「男の家に入るのに抵抗あるんだったら、縁側で麦茶とか出すし、俺が映画見るまで待っててくれてもいいよ。部屋の方が涼しいからそっちの方が楽だと思うけど」


 初めて逢った男の子の家に入るのはまずいんじゃないかと思うけれど、この十真君という男の子と、映画に出ていた『あの人』──一真さんがどんな場所で暮らしているのか、やっぱり興味があった。


「よかったら中で待たせてくれるかな」

「うん、こっち」

 十真君が眼を細めて笑うと、庭の向こうにある玄関の方へ向かった。