今まで気にもしていなかったのに、海水で濡れた足がある程度乾いてきていて、パンツの裾もあまりべたつかないことにも気付いた。こんなことにさえ今まで意識もしなかったのだ。相当ぼうっとしていたらしい。
だからこそ、今まであまり考えていなかったあることに思い至る。
十真君に案内されて金砂高校の中も見せてもらい、つぶれたゲームセンター跡も見た。そしてこの海までやってきた。あの作品は十五分くらいしかないのでそのくらいしか行くところがない。
(つまり、ここで終わり……ってことだよね)
ここで解散はないとしても、帰りの電車で虎塚まで来たら、そこでお別れの挨拶をして──さようなら。別にメッセンジャーアプリの連絡先も交換していないし電話番号も教え合っていないので、そうなったら連絡は難しい。
家は知っているので、訪ねていこうと思えば簡単にできる。でも一度逢ったきりの相手が特に用もなく押しかけていくのも不自然だ。
その事実に気が付いて途方に暮れた。
「海も見たし、これで聖地巡礼は終わったってことなのかな」
「十五分くらいしかないし、行ける場所はあんまりないからね」
「そうだよね……」
トラベルミステリの映画やドラマとまでいかなくても、もう少し一緒に行ける場所があったってよかったのに。どうしてもしょんぼりした気分が拭えず、うつむいてしまった。
もし『きらきらの空』が三十分くらいあって、一日で全部行くことができなかったら、次の約束をすることは割と簡単にできる。
でも、これで終わりだとしたら、また逢いたいと言い出すのはものすごく不自然だ。「何で?」と訊き返されたらどう言っていいのか解らない。
不用意なことを言えば、今あるこの穏やかで楽しい空気が消えてしまいそうだった。
「あのさ、エレナさん……言っておかなきゃいけないことがあるんだけど、いい?」
十真君が真面目な声で問いかける。
もしかしたら今までかけた迷惑について釘を刺しておこうということなんだろうか。そう思って身がすくんだ。
「ど、どうぞ」
「何か深刻なことを想像してそうだけど、そういうのじゃなくて……お礼を言いたくてさ」
「何の?」
見上げると、十真君が照れたように微笑んだ。
「今日、エレナさんと逢わなかったら、兄ちゃんの映画のことも知らなくて、兄ちゃんが死んだことで学校のみんなも悲しんでたなんて想像もしなかった。ちゃんと知れてよかったと思ってる。兄ちゃんがみんなにちゃんと愛されてたってことだから」
瞼を伏せた、あの綺麗なラインを近くで見ると、やっぱりとても幸せな気分になった。
「兄ちゃんが死んでからすぐはすごく悲しかったはずなのに、何ていうか……ちょっといなくなっただけみたいな気配で、家の中で、俺が兄ちゃんのことを悲しんでたらいけないんじゃないかっていう雰囲気だったんだ」
家族がそういう空気を作ってしまうのは解らなくもなかった。
少し歳の離れた弟は、兄の死についてピンときていないところもあったのだろう。それに十真君の家はご両親とおじいさん、おばあさんがいる。残されたのは大人ばかりの家族だ。小さな男の子にあまりショックを与えないように、やさしく穏やかな空気を作ってきたのだろう。
家で飼っていた犬のキナコが死んだ時、ものすごく泣いていた私の気持ちを楽にするために、お姉ちゃんも、お母さんもお父さんもみんな、なるべく明るい、当たり前の時間を作ろうとしてくれていた。
だからなるべくみんなの前でその死を悲しむ様子を見せないように、あまり話さないようにしていた。そうしているうちに少しずつ、キナコの死を悲しむ生々しい気持ちは薄れていったのだ。
今思えば私以外の家族が悲しくなかったはずもない。でも、小さな子供がすごく悲しんで泣いているのを見た時に、きっと、大人ももっとつらくなるのだ。その空気を読んでいるうちに、何となくその話題は少し口にしづらくなってくる。
同じことが伊泉家でも起こったんじゃないだろうか。
「だけどさ、エレナさんが来てくれたことで『この話をしてもいいんだ』って切り替わったんだ。兄ちゃんが自主制作映画に出てたなんて知らなくてびっくりしたけど、その話を聞きたいって言っていいんだって思って、すごく楽になった」
一瞬、気を遣ってくれているのかとも思ったけれど、十真君はちょっと楽しそうな声で続ける。
思ったことをそのまま伝えてくれている。そう信じられた。
「映画もさ、今見ると出来はそんなでもないんだけど、いい映画を撮ったとかより嬉しかった。割とみんな下手で、ドローンばっかり飛んでたけど、みんな楽しそうで……兄ちゃんは死ぬ直前くらいまで楽しく生きてたんだって。そういうことも考えないようにしてたんだって気が付いた。だからありがとうって言いたかったんだ」
だからこそ、今まであまり考えていなかったあることに思い至る。
十真君に案内されて金砂高校の中も見せてもらい、つぶれたゲームセンター跡も見た。そしてこの海までやってきた。あの作品は十五分くらいしかないのでそのくらいしか行くところがない。
(つまり、ここで終わり……ってことだよね)
ここで解散はないとしても、帰りの電車で虎塚まで来たら、そこでお別れの挨拶をして──さようなら。別にメッセンジャーアプリの連絡先も交換していないし電話番号も教え合っていないので、そうなったら連絡は難しい。
家は知っているので、訪ねていこうと思えば簡単にできる。でも一度逢ったきりの相手が特に用もなく押しかけていくのも不自然だ。
その事実に気が付いて途方に暮れた。
「海も見たし、これで聖地巡礼は終わったってことなのかな」
「十五分くらいしかないし、行ける場所はあんまりないからね」
「そうだよね……」
トラベルミステリの映画やドラマとまでいかなくても、もう少し一緒に行ける場所があったってよかったのに。どうしてもしょんぼりした気分が拭えず、うつむいてしまった。
もし『きらきらの空』が三十分くらいあって、一日で全部行くことができなかったら、次の約束をすることは割と簡単にできる。
でも、これで終わりだとしたら、また逢いたいと言い出すのはものすごく不自然だ。「何で?」と訊き返されたらどう言っていいのか解らない。
不用意なことを言えば、今あるこの穏やかで楽しい空気が消えてしまいそうだった。
「あのさ、エレナさん……言っておかなきゃいけないことがあるんだけど、いい?」
十真君が真面目な声で問いかける。
もしかしたら今までかけた迷惑について釘を刺しておこうということなんだろうか。そう思って身がすくんだ。
「ど、どうぞ」
「何か深刻なことを想像してそうだけど、そういうのじゃなくて……お礼を言いたくてさ」
「何の?」
見上げると、十真君が照れたように微笑んだ。
「今日、エレナさんと逢わなかったら、兄ちゃんの映画のことも知らなくて、兄ちゃんが死んだことで学校のみんなも悲しんでたなんて想像もしなかった。ちゃんと知れてよかったと思ってる。兄ちゃんがみんなにちゃんと愛されてたってことだから」
瞼を伏せた、あの綺麗なラインを近くで見ると、やっぱりとても幸せな気分になった。
「兄ちゃんが死んでからすぐはすごく悲しかったはずなのに、何ていうか……ちょっといなくなっただけみたいな気配で、家の中で、俺が兄ちゃんのことを悲しんでたらいけないんじゃないかっていう雰囲気だったんだ」
家族がそういう空気を作ってしまうのは解らなくもなかった。
少し歳の離れた弟は、兄の死についてピンときていないところもあったのだろう。それに十真君の家はご両親とおじいさん、おばあさんがいる。残されたのは大人ばかりの家族だ。小さな男の子にあまりショックを与えないように、やさしく穏やかな空気を作ってきたのだろう。
家で飼っていた犬のキナコが死んだ時、ものすごく泣いていた私の気持ちを楽にするために、お姉ちゃんも、お母さんもお父さんもみんな、なるべく明るい、当たり前の時間を作ろうとしてくれていた。
だからなるべくみんなの前でその死を悲しむ様子を見せないように、あまり話さないようにしていた。そうしているうちに少しずつ、キナコの死を悲しむ生々しい気持ちは薄れていったのだ。
今思えば私以外の家族が悲しくなかったはずもない。でも、小さな子供がすごく悲しんで泣いているのを見た時に、きっと、大人ももっとつらくなるのだ。その空気を読んでいるうちに、何となくその話題は少し口にしづらくなってくる。
同じことが伊泉家でも起こったんじゃないだろうか。
「だけどさ、エレナさんが来てくれたことで『この話をしてもいいんだ』って切り替わったんだ。兄ちゃんが自主制作映画に出てたなんて知らなくてびっくりしたけど、その話を聞きたいって言っていいんだって思って、すごく楽になった」
一瞬、気を遣ってくれているのかとも思ったけれど、十真君はちょっと楽しそうな声で続ける。
思ったことをそのまま伝えてくれている。そう信じられた。
「映画もさ、今見ると出来はそんなでもないんだけど、いい映画を撮ったとかより嬉しかった。割とみんな下手で、ドローンばっかり飛んでたけど、みんな楽しそうで……兄ちゃんは死ぬ直前くらいまで楽しく生きてたんだって。そういうことも考えないようにしてたんだって気が付いた。だからありがとうって言いたかったんだ」
