何分か経ってから、お姉ちゃんの車が庭に入ってくる音がした。戻ってきたらしい。ほどなく扉が開き、薄手のベージュのジャケットと紺色のストライプのシャツ、同系色の膝丈スカートを着たお姉ちゃんが入ってくる。

 普段は割と明るいラフな服を着ているし髪も下ろしっぱなしだけれど、服もお仕事っぽい感じがすごくする。髪もちゃんと上にまとめている。仕事先から直行してきたせいだろうか。眼鏡もいつもと違うのをかけていた。

 お母さんが北マケドニアの人で金髪だから、お姉ちゃんも私も髪の色は明るい。私はライトブラウンくらいの色合いだけれど、お姉ちゃんはほぼ金髪だ。


「ただいまー。エレちゃん、冊子見つけておいてくれた?」

「うん。これのことだよね?」


 手に持っていた冊子を見せると、お姉ちゃんは笑顔でうなずいた。


「そうそうこれ。会社で要ることになって取りに来たの」

「えー、そういうのって仕事で使うの? 全然想像できないんだけど。何だかお姉ちゃんたこ焼き焼いてたし」

「わっ、見たんだ? 恥ずかしっ」

「QRコードついてたから見たよ。時間あったし」


 そう言うとお姉ちゃんは少し照れたように笑った。


「たこ焼きは本当は私が焼く予定じゃなかったんだけど、ちょうど撮影の途中でたこ焼き焼いてた子が生地を制服にこぼしちゃって洗いに行っちゃってさ、急遽私が焼くことになったんだよね」

「そうなんだ……」


 お姉ちゃんは高校の頃にフードコートでバイトしたことがあって、その頃に粉ものをいくつか焼けるようになっていた。それが役に立ったらしい。


「ねえ、高校の自主制作映画の冊子なんて仕事で使うものなの?」

「ああ、そのヒロイン役の人が今度ドラマに出るんだけど、少女時代の写真の参考にしたいから持ってきてって社長が言ったから。そのドラマ、うちの会社もドローン撮影の協力するんだよね」

「映画でもドローンっぽい感じのところいっぱいあったよね」

「そそ、あれ在学中の社長が担当したやつ。ドローンは私物」

「……へえ」


 何だか妙にドローンを飛ばして撮影してるようなシーンが多かったのはそのせいか。
 お姉ちゃんが就職したのが『お金持ちの先輩が大学時代に起業したドローン撮影の会社』だったことを思い出す。


「同じ部活だったの? 役者の人とかも」


 少し面映ゆい思いを隠してそう訊いてみた。


「ううん、半分くらいは部員以外にも出てもらってるよ。役者の人数足りないしね。文化祭のシーンとかは許可得られた子だけで撮らせてもらってた。あ、もうそろそろ戻らないと」

「あっ!」


 大きな声が出てしまって、自分でも焦った。


「どうしたの?」

「あ、あのね、引き出しの中に写真が入ってた封筒があって、冊子を出す時に引っかけて出てきちゃったから写真見ちゃったの。あれは持っていかなくていいの?」


 そう訊くと、お姉ちゃんは少し困ったような、悲しそうな表情を浮かべた。
 何か変なことを言ってしまったのだろうか。


「あの写真、小道具に使うから私が写したんだけどさ、キャストの子の一人が撮影の後に亡くなっちゃって、何となくそのまましまい込んじゃってたんだ」

「亡くなった、んだ?」


 お姉ちゃんは冊子を開いて、とん、と一人を指さしてみせた。


「この子。同じクラスだった。交通事故で亡くなっちゃって映画どうしようかってみんな悩んでたんだけど、結局最後まで編集して完成させたんだ。あ、ごめん。もう行くね」

「ごめんね……」

「また今度お礼持ってくるわ」


 お姉ちゃんは慌ただしく玄関まで向かい、それからすぐに外から車のエンジン音がした。

 仕事で使うものがあって戻ってきたのに引き止めてしまったのが申し訳なかったけれど、私はほとんど凍り付いたみたいに立ち尽くしていた。

 指で示されたのは、私が見ていたあの男の子だった。映画の中では楽しそうな時間が流れていたのに、映画が完成する前に彼はいなくなったのだ。

 素敵だなと思って見ていたはずが、とんでもない結末になってしまった。

 どう思ったらいいのか解らないまま突っ立っているしかできないのがすごく変な感じだった。

 写真を見てた時間を含めても正味三十分も知らない人だ。しかも名前をちゃんと確認するのすら忘れていた。そんな人のことが何故か抜けていかない。どうやってこの思いを解決したらいいのか解らなかった。

 もしお姉ちゃんがもっと時間に余裕のある状況だったら、もう少し詳しく説明してもらえたはずだ。そうしたら、あの男の子を見た時から消えない戸惑いみたいなものがなくなってくれるかもしれない。

 さすがに自分でもこんな気分のままでいるのはちょっと嫌なのだ。今のうちに解決しておかないと、この夏休みをもどかしい気分のまま過ごしてしまいそうだった。


(昼寝でもしたら少しは落ち着くかな)


 急ぎ足で自分の部屋に戻って、タオルケットをかぶってベッドに転がった。

 お姉ちゃんの部屋ではクーラーをかけていなかったこともあって、少し汗ばんでいたのか妙に肌寒く感じる。でも、温度を上げることに思い至らず、ぐるぐる巻きになってしばらくごろごろ転げ回っていた。

 全然、眠れない。

 数分くらい頑張ってみたものの、転がっている間にどんどん眠れそうな気配は消えて眼が冴えていった。

 体がむずむずした。寝転がっているだけの自分が、何かすごく間違ってる気がした。


「もう駄目。無理」


 タオルケットを蹴飛ばしてベッドから降り、出かける支度を始めた。