あの日と今日の空は重なる

 この金砂からだと天香海岸の最寄り駅、天香駅はかなり遠い。千波駅を挟んで逆方向なのだ。往復の電車賃もそれなりにかかる。私に写真を送ってくれるためにそんな遠くまで出かけてもらうのは申し訳なかった。


「そんなの悪いよ。それだったら私が一人で行った方が無駄になるお金も少ないよ。うちは虎塚市だからもし天香海岸まで行っても千波より前で電車降りて帰れるんだし、私が見てくるから」

「だったら一緒に行く? もちろんエレナさんが海も見たいならだけど」


 あの猫のように細められた眼の可愛い笑顔を見て、しょうがないなという気分になってしまった。

 本当は私も行ってみたいに決まっている。

 学校を見られただけでも嬉しかったのは本当だけれど、いろいろ巡ってみて、他のシーンの場所も見たくなっていたのだ。まして海はラストのハイライトシーンだ。別にあの主役カップルがまとまるところを見てもそんなに盛り上がらないけれど、それはそれとしてあの海は見てみたい。

 それに──十真君と一緒だったら『きらきらの空』聖地巡礼もゆったりと締めくくれるような気がした。


『あのへんちょっと食べたり座ったりできるお店とか何にもないんだよね。確かコンビニとかもなかった気がする。会社休みだったら車で連れてってあげたんだけど、ちょっと今日は時間なくってさ。あの冊子関係で出先だし』

「大丈夫。ちゃんと行けるから」


 お金はぎりぎりかもしれないけど行って帰ってくるくらいはあるはずだ。何なら貯金をおろしてもいい。


『あっ、そうだ! 千波で乗り換えるんだし千波でお昼食べようよ。奢ってあげるからさ。あと今日のお礼にちょっとお小遣いあげるし!』


 お姉ちゃんの妙に力の入った声で、何を考えているのかそのまま伝わってきた。


「──あー、お姉ちゃん、十真君を見たいんでしょ……」

『だってエレちゃんが男の子と一緒にお出かけなんてお姉ちゃん見てみたーい。ねーえ、お願ーい。十真君いいでしょー?』


 オーバーに芝居がかった口調でお姉ちゃんがおねだりしてみせた。もう少し自然な言い方だったらまた違ったかもしれないけど、家にいた頃からお馴染みの口調につい笑いが込み上げてしまう。


「恥ずかしいよもう……」

「いいよ、エレナさんが嫌じゃなかったら俺行くよ。ご馳走になるのは申し訳ないですけど」

『大丈夫大丈夫。わざわざ呼びつけるんだし社会人だしね。あっ、でもファミレスとかにしといてくれれば助かるな。今月そんなにお金ないから』

「うん、解った。そのまま向かえばいい?」


 千波駅前のファミレスはお姉ちゃんとも一緒に何度か行ったことがある。


『うーん、どうしよ。公園前にしとこう』


 駅の側に待ち合わせに使いやすい公園があるのだ。


「はーい」

『あ、そうだ。よかったら十真君のこと見てみたいな。どんな子? エレちゃんと一緒に写真撮って?』

「わっ!」


 お姉ちゃんの妙に明るい声に思わず声が出た。

 今まで彼氏はいたこともなかったし、特別な意味で好きな男の子もできたことがなかった。だからこんな風に男の子の写真を見せてとねだられたこともなかったのだ。

 十真君の方に視線を投げる。


「写真大丈夫?」

「うん、可愛い妹が知らない男といるんだし、顔見ておきたいよね」


 いきなり『可愛い』なんていう言葉を混ぜてこないでほしかった。余計にうろたえてしまう。

 男の子と写真を撮ったことはなかったけど、女の友達や家族と写真を撮ったりはしたことはあるので、何とかスマホの位置を調整してみる。私よりちょっと背の高い十真君をうまく画面に入れるのに四苦八苦していると、十真君がスマホを持ってくれた。


「俺の方が上で持てるから」

「ありがとう」


 スマホのシャッター音が一回、二回鳴る。

 もしかしたら十真君は女の子と写真を撮るのに馴れているんだろうか。そんなことを考えて少し胸が苦しかった。

 でも、数秒してお姉ちゃんのことを思い出し、慌てて写真を送る。


『うわっ、伊泉君にめちゃくちゃ似てる!』

「だよね……私も最初に見た時にびっくりした」


 もちろんお姉ちゃんは一真さんについては直接知っていて、十真君については声と写真しか見ていない。私は逆に一真さんは動画と写真しか知らなくて十真君しか直接見てはいないけれど、やっぱり同じことを思ったらしい。


「似てるとは言われるけど、俺にとっては六歳上の兄ちゃんだから、あんまりピンとこないかな。兄ちゃんの方がずっと大人だった気がするし」


 その気持ちも解る。

 十真君と一真さんの年齢差はうちと同じだから、一真さんが生きていれば私がお姉ちゃんに抱いているような距離感があるんだろう。上の兄や姉と較べて、自分が全然追いつけていないような気がする。そういう意味なのは伝わってくる。

 私も例えば高校生になったばかりのお姉ちゃんがフードコートでバイトを始めた時に、すごく大人だと感動していたけど、自分が高校生になってもあの時のお姉ちゃんより成長してるような気がしなかった。

 一真さんは高校二年生で亡くなっている。もう一年で追いつくんだとしても、十真君もそういう感じなのかもしれない。


『ありがとうね。写真送ってくれて。どんな子なのか見て一応安心したよ。じゃまた千波駅で。千波行きに乗り換えた時にメッセージ入れて』


 そう言うと通話は切れた。

 今までの騒々しかった雰囲気が一気に消えた後、気恥ずかしさにのたうち回りたくなった。


「ごめんね十真君……何だかお姉ちゃんすごくはしゃいでて恥ずかしい……」

「お姉さん、エレナさんのことをすごく可愛がってるんだね。何かこういうのちょっと面白いな」


 兄弟と姉妹だと雰囲気も違うんだろう。


「お昼に間に合うように千波行きの電車に乗るなら、ちょっと急いだ方がいいかもしれない。着替えるからバスに間に合うように戻ろう」


 時刻表をぼんやり思い出す。バスはそんなになかったから逃したら歩くしかないのだ。急いで伊泉家に戻り、私は家に入らず玄関前で待った。十真君はものすごく早く着替えて戻ってくる。淡い水色のTシャツとオリーブグリーンのカーゴパンツ。元の服だ。多分三分もかかっていないだろう。


「行こう」


 無駄に急がせてしまって申し訳ない気分になりながらも、私は十真君と一緒に早足で歩き出した。