「俺は3年前、大きなスランプに陥った」
公園のベンチに並んで座ると、やがて大地がポツリと呟いた。
え?と花穂はその横顔を見つめる。
「仕事が楽しくて仕方ない時期だった。契約件数もトップでクライアントにも喜んでもらえて、社内での評価も良かった。そんな時、あるコンペでライバル会社に負けた。2歳年下の相手に俺のプランニングを『自己満足に過ぎない』と酷評され、完膚なきまでに打ちのめされた。今となってはそう言われても仕方ないと思える。確かに俺は当時、天狗になっていたし、相手のプランニングはクライアントの意向に添う完璧なものだった。その相手が、オンリーワンプランニングの笹本 充。織江のフィアンセだ」
花穂はハッと息を呑んだ。
「まさか、そんな……」
大地は自重気味に、ふっと笑みをこぼす。
「だからどうだってことはない。笹本は男の俺から見てもかっこいいし、仕事もできる。織江が惚れ込むのも無理はない。でもまあ、当時の俺はやさぐれてた。同期の俺との友情なんて、織江にとってはかすりもしなかったんだなって。仕事だけでなく、ひとりの人間としても失格の烙印を押された気がした」
「そんなこと! 織江さんは、そんなつもりじゃ……」
「ああ、もちろん分かってる。だけど冷静にそう思えないほど、当時の俺はどうかしてた。山の頂上で偉そうにふんぞり返ってた分、一度倒れたら奈落の底まで転がり落ちたって感じだった。誰かに弱みを見せるのが嫌で、誰にも相談できず、結果としてこれまでの自分を捨てるしかなかった。仕事に楽しさなんて求めてはいけない。己のアイデアなんて封じ込めて、ただクライアントが喜びそうなことだけをプランニングする。そういうスタンスに変わった。ついでに言うと、性格もな。俺が人に冷たく無愛想なのは、青山も知ってるだろ」
花穂はなにも言葉が出てこなかった。
再会した時に雰囲気が変わっていたのはそういうことだったのかと、改めて4年前を思い出す。
(あの時の浅倉さんは、明るくて優しい印象だった。だから私はこの人に憧れて、同じ会社に入りたいと思った。だけど……)
そっと視線を移して大地の横顔を見上げた。
「浅倉さんは性格まで変わった訳じゃないです。だって言葉は冷たくても、心の温かさは伝わってくるから」
大地は驚いたように花穂を振り返る。
「お前、なにを言って……」
「私には分かります。浅倉さんは私にバカって言っておきながら、そのあとギュッて抱きしめてくれました。『おやすみなさい』って声をかけたら、目も合わさないでそっぽ向いたまま、ボソッと『おやすみ』って返してくれました。私にタクシー代を払わせまいとして『さっさと降りろ!』って言ってくれました。浅倉さんは、それくらい優しい人です」
「……お前、ひょっとしてドMか?」
「そうです」
「そ、そうです!?」
仰け反る大地に、花穂はグッと顔を寄せた。
「浅倉さんの言葉とは裏腹な優しさが、私は大好きです」
「え……」
大地は目を見開いたあと、なにかを思い出したように考え込んでいる。
「好きって構文は、目的語じゃなくて主語なんだよな?」
「は? なにを訳の分からないこと言ってるんですか」
「いや、お前がそう言ったんだろ?」
「……変なの」
「いやいや、俺じゃないって!」
花穂は唇を尖らせてうつむく。
かなり勇気を出して言ってみたのに、まともに受け止めてもくれなかったことにしょんぽりした。
すると大地がボソッと呟く。
「……ありがとう」
え?と花穂は顔を上げた。
「なんか、今になってじわじわ嬉しくなった。ディスられてるのかと思ったけど、どうやら褒めてくれてたんだよな?」
「……褒めてはいないです」
「おい」
「素直に思ったことを口にしただけです。浅倉さんは、優しい人だって」
大地は一瞬固まったあと、ふいとそっぽを向く。
覗き込むと、頬が少し赤くなっていた。
「浅倉さん? ひょっとして照れてますか?」
「バカ! 大人をからかうな」
「バカじゃないです! それに私も大人です」
「どこがだ?」
「ムキになる浅倉さんの方が子どもです!」
「なんだと!?」
「あ、パワハラですか? 誰かー、うちの会社は……」
「こら!」
大地はガバッと花穂に覆いかぶさる。
大きな腕に包まれて、花穂は息を呑んだ。
「……青山、よく聞け。お前はどんな時もひとりじゃない。いつだって俺がそばにいる。なにかあれば俺を頼れ。いいな?」
耳元で響く低い声に、花穂は胸がドキドキしてなにも言えなくなる。
「それにお前は、優秀なデザイナーだ。俺も、大森も織江も、みんながお前を認めている。なにも気にせず、自分の心のままにデザインすればいい。お前の造り出す世界は、お前にしかないセンスで溢れている。明るくて優しくて温かい世界を、魔法をかけるように生み出している。いいか? 俺の言葉を信じろ。お前は唯一無二の素晴らしいデザイナーだ」
大地は身体を離すと「分かったか?」と花穂の顔を覗き込む。
「……はい」
「よし。ようやく日本語が通じたな」
そう言って笑う大地は、4年前と同じ笑顔を浮かべていた。
公園のベンチに並んで座ると、やがて大地がポツリと呟いた。
え?と花穂はその横顔を見つめる。
「仕事が楽しくて仕方ない時期だった。契約件数もトップでクライアントにも喜んでもらえて、社内での評価も良かった。そんな時、あるコンペでライバル会社に負けた。2歳年下の相手に俺のプランニングを『自己満足に過ぎない』と酷評され、完膚なきまでに打ちのめされた。今となってはそう言われても仕方ないと思える。確かに俺は当時、天狗になっていたし、相手のプランニングはクライアントの意向に添う完璧なものだった。その相手が、オンリーワンプランニングの笹本 充。織江のフィアンセだ」
花穂はハッと息を呑んだ。
「まさか、そんな……」
大地は自重気味に、ふっと笑みをこぼす。
「だからどうだってことはない。笹本は男の俺から見てもかっこいいし、仕事もできる。織江が惚れ込むのも無理はない。でもまあ、当時の俺はやさぐれてた。同期の俺との友情なんて、織江にとってはかすりもしなかったんだなって。仕事だけでなく、ひとりの人間としても失格の烙印を押された気がした」
「そんなこと! 織江さんは、そんなつもりじゃ……」
「ああ、もちろん分かってる。だけど冷静にそう思えないほど、当時の俺はどうかしてた。山の頂上で偉そうにふんぞり返ってた分、一度倒れたら奈落の底まで転がり落ちたって感じだった。誰かに弱みを見せるのが嫌で、誰にも相談できず、結果としてこれまでの自分を捨てるしかなかった。仕事に楽しさなんて求めてはいけない。己のアイデアなんて封じ込めて、ただクライアントが喜びそうなことだけをプランニングする。そういうスタンスに変わった。ついでに言うと、性格もな。俺が人に冷たく無愛想なのは、青山も知ってるだろ」
花穂はなにも言葉が出てこなかった。
再会した時に雰囲気が変わっていたのはそういうことだったのかと、改めて4年前を思い出す。
(あの時の浅倉さんは、明るくて優しい印象だった。だから私はこの人に憧れて、同じ会社に入りたいと思った。だけど……)
そっと視線を移して大地の横顔を見上げた。
「浅倉さんは性格まで変わった訳じゃないです。だって言葉は冷たくても、心の温かさは伝わってくるから」
大地は驚いたように花穂を振り返る。
「お前、なにを言って……」
「私には分かります。浅倉さんは私にバカって言っておきながら、そのあとギュッて抱きしめてくれました。『おやすみなさい』って声をかけたら、目も合わさないでそっぽ向いたまま、ボソッと『おやすみ』って返してくれました。私にタクシー代を払わせまいとして『さっさと降りろ!』って言ってくれました。浅倉さんは、それくらい優しい人です」
「……お前、ひょっとしてドMか?」
「そうです」
「そ、そうです!?」
仰け反る大地に、花穂はグッと顔を寄せた。
「浅倉さんの言葉とは裏腹な優しさが、私は大好きです」
「え……」
大地は目を見開いたあと、なにかを思い出したように考え込んでいる。
「好きって構文は、目的語じゃなくて主語なんだよな?」
「は? なにを訳の分からないこと言ってるんですか」
「いや、お前がそう言ったんだろ?」
「……変なの」
「いやいや、俺じゃないって!」
花穂は唇を尖らせてうつむく。
かなり勇気を出して言ってみたのに、まともに受け止めてもくれなかったことにしょんぽりした。
すると大地がボソッと呟く。
「……ありがとう」
え?と花穂は顔を上げた。
「なんか、今になってじわじわ嬉しくなった。ディスられてるのかと思ったけど、どうやら褒めてくれてたんだよな?」
「……褒めてはいないです」
「おい」
「素直に思ったことを口にしただけです。浅倉さんは、優しい人だって」
大地は一瞬固まったあと、ふいとそっぽを向く。
覗き込むと、頬が少し赤くなっていた。
「浅倉さん? ひょっとして照れてますか?」
「バカ! 大人をからかうな」
「バカじゃないです! それに私も大人です」
「どこがだ?」
「ムキになる浅倉さんの方が子どもです!」
「なんだと!?」
「あ、パワハラですか? 誰かー、うちの会社は……」
「こら!」
大地はガバッと花穂に覆いかぶさる。
大きな腕に包まれて、花穂は息を呑んだ。
「……青山、よく聞け。お前はどんな時もひとりじゃない。いつだって俺がそばにいる。なにかあれば俺を頼れ。いいな?」
耳元で響く低い声に、花穂は胸がドキドキしてなにも言えなくなる。
「それにお前は、優秀なデザイナーだ。俺も、大森も織江も、みんながお前を認めている。なにも気にせず、自分の心のままにデザインすればいい。お前の造り出す世界は、お前にしかないセンスで溢れている。明るくて優しくて温かい世界を、魔法をかけるように生み出している。いいか? 俺の言葉を信じろ。お前は唯一無二の素晴らしいデザイナーだ」
大地は身体を離すと「分かったか?」と花穂の顔を覗き込む。
「……はい」
「よし。ようやく日本語が通じたな」
そう言って笑う大地は、4年前と同じ笑顔を浮かべていた。



