めぐり逢い 憧れてのち 恋となる【書籍化】

会社を出ると、花穂はひたすら大地の背中を追いかけて歩く。

5分ほどで小さなビルにたどり着いた。

大地がエレベーターのボタンを押して花穂を促し、7階で降りる。

「ここは?」

特に看板もない小さなドアに手をかける大地に尋ねた。

「俺の行きつけのダイニングバー。穴場だからSNSに上げるなよ」
「大丈夫です。私、SNSやってませんから」
「へえ、今どき珍し」

呟きながら大地がドアを開ける。

「素敵! 星空の中に迷い込んだみたい」

目の前に広がる空間に、花穂は感激する。

ダークブルーの照明と、シックな色合いの内装や家具。

そして大きな窓の外に広がる空。

無数の小さなシーリングライトが、まるで夜空に輝く星のようだった。

「なんて綺麗なの……」

両手を組んでうっとり見とれている花穂を見て、マスターが大地に声をかける。

「いらっしゃいませ。今夜は窓際のテーブル席になさいますか?」
「ええ、そうですね」
「ご案内いたします。どうぞ」
「ほら、行くぞ」

大地は、ぽーっと夢見心地の花穂を振り返った。

「そこ、段差あるから……って、おい!」
「わっ」

足を踏み外してよろめいた花穂を、大地が抱き寄せる。

「危ないな。ちゃんと下見て歩け」
「すみません。雲の上にいる気分になっちゃって。このお店の雰囲気、とっても素敵ですね」
「空間デザイナーの職業病はあとにして、ほら、メニュー選べ」

席に着くと大地は花穂にメニューを渡し、「俺はいつものでお願いします」とマスターにオーダーする。

「それなら私もそうします」

花穂がそう言うと、大地は露骨に顔をしかめた。

「おい、いつものってなんだ?」
「さあ? なにが来るのか、お楽しみにしようと思って」
「…………」

大地はもはやモアイ像のような顔で固まる。

「浅倉さん? どうしました?」
「俺、日本語が分からない」
「えっ、大丈夫ですか?」

すると黙って聞いていたマスターが、クスッと笑みをもらしてから口を開く。

「オーダー承りました。浅倉様のいつものお酒とお食事を、お二人分ご用意いたします。それでは」

うやうやしく頭を下げてからマスターが去って行くと、大地はようやくピンと来たように顔を上げた。

「あ、そういうことか」
「ん? 浅倉さん、一周回って日本語戻ってきました?」
「ああ」
「よかったですね」

花穂は、ふふっと大地に笑いかける。

グラスでお酒が運ばれてくると「今日もお疲れ様でした」と小さく乾杯した。

「んー、大人の味。これ、ウイスキーですか?」
「ああ。結構強いけど、大丈夫か?」
「どうでしょうね?」

大地は困り果てたような表情を浮かべる。

「なあ、現代の20代女子って何語しゃべってるんだ?」
「え? それはいつの時代も母国語じゃないですか?」
「そうじゃなくて! 日本語が進化したのか? ギャル語の法則とか?」
「……ちょっとなに言ってるか分からないです」
「こちらこそだよ!」

その時、苦笑いを浮かべながらマスターが料理を運んできた。

「お待たせいたしました。浅倉様のお気入りのお食事をお二人分お持ちしました。トマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ、スモークサーモンとブルーチーズのサラダ、梅しそ竜田揚げにアヒージョ、それからピンチョスの盛り合わせでございます。お嬢様、どうぞご賞味くださいませ」
「ありがとうございます。わあ、美味しそう。いただきます」

パクパクと頬張っては「美味しい!」と目を輝かせる花穂を、大地はひたすら怪訝そうに見つめていた。