藤宮生花店は隣町にあって、車ならすぐ着く距離だ。
母さんが目配せすると、藤宮先輩が小さく頷いて、先頭に立って店へ入った。
「た……ただいま……」
「まったく、どこをほっつき歩いていたの? まだ仕事はたくさん――……須藤さん!?」
店の奥から出てきた痩せたおばさんは、桐子先輩を見るなり眉を吊り上げたが、母さんの姿に気づいた途端、その勢いがしぼんだ。
母さんはいつもの淡々とした調子で会釈するから、俺も後ろで真似をする。
「こんにちは、藤宮さん。今朝お会いして以来ですね。突然お邪魔して申し訳ありません」
「いえ、いえ……。あの、どういったご用件で……?」
「率直に申し上げますが、桐子さんを、我が家でお預かりしたいと考えております」
「桐子を……?」
直球を投げ込む母さんにおばさんは目を丸くして、先輩を見る。
先輩は肩をビクッと震わせた。
「桐子、どういうことなの?」
「……ゆ、百合に実家を継がせるから、私はもういらないって、出て行けって母さんに言われて……。それで、高校の進路相談室で就職の相談をしていたら、後輩の須藤くんが“うちで働かないか”って声をかけてくれたんです……」
先輩の目が俺を見る。
頷いて、母の後ろから顔を出した。
「はじめまして。須藤小春です。桐子さんが熱心に花の手入れをしてるのを知っていたので、母の手伝いをお願いしたくて、声をかけさせてもらいました。桐子さんが花をとても大事にしてるから、草花に携わる仕事から離れてほしくなかったんです」
「でも……そんな、不出来な娘、須藤さんには釣り合いませんわ」
「……っっ!」
声を上げるより早く、母さんのかかとが俺のつま先に乗った。
いってえ!!
涙が出そうなほどの痛みで、肩まで震えた。
……まあ、踏まれなかったら怒鳴ってたから、母さんの対応は正解なんだけど。
息子のこと理解しすぎだろ……。
「とんでもありません。桐子さんがよく働く方であることは、市場や地域の集まりでも存じ上げております。それに、妹さんを跡継ぎにされるご予定とのこと。でしたら、小春とも親しくしておりますし、桐子さんを須藤家の嫁として、ぜひお迎えしたく思います」
母さんがきっぱり言って、おばさんは口をぱくぱくさせている。
先輩はうつむいたままで、どんな表情をしているのか見えなかった。
「……桐子、あなたはどうしたいの。いきなり家を捨てるつもり?」
先に先輩を捨てたのはそっちだろうが!
そう言いたかったけど、今度はちゃんと自力で我慢した。
先輩の小さな手は固く握りしめられていて、細い指の骨が白く浮かび上がっていた。
見てられなくて、俺はつい、その手に触れた。先輩の顔がぱっと上がる。
順番に俺を見て、母さんを見て、おばさんを見る。
最後にもう一度俺を見たから、触れた手を今度は包むように握った。
「先輩。俺は、先輩が決めたことなら、どんな選択でも受け入れます。これは先輩自身の進路です。決めるのは、先輩ですから。……俺は、あなたが笑顔でいてくれるなら、それだけで嬉しいんです。だから、なんだって応援します」
「……須藤くん、ありがとう」
先輩の手から力が抜ける。
離そうとすると、今度はそっと握り返された。
「お母さん。私、須藤さんにお世話になります」
「なっ……」
「家のことは百合に任せるのでしょう? 私はいらないんだよね? ……今まで、お世話になりました」
俺の手を握ったまま、先輩は頭を下げた。
おばさんは震える唇で何かを言おうとしたが、母さんを見た瞬間に、言葉を飲み込んだ。
母さんが、どんな顔をしているのか俺には見えない。
「桐子さんはこちらでお預かりいたしますので、ご心配なく。お荷物は後日、主人と小春が伺って運びます。ただ、今必要なものだけ持ち帰りますので、ご用意いただけますか。……小春、手伝いなさい」
「は、はい。先輩、えっと、行きましょうか……?」
母さんが目配せすると、藤宮先輩が小さく頷いて、先頭に立って店へ入った。
「た……ただいま……」
「まったく、どこをほっつき歩いていたの? まだ仕事はたくさん――……須藤さん!?」
店の奥から出てきた痩せたおばさんは、桐子先輩を見るなり眉を吊り上げたが、母さんの姿に気づいた途端、その勢いがしぼんだ。
母さんはいつもの淡々とした調子で会釈するから、俺も後ろで真似をする。
「こんにちは、藤宮さん。今朝お会いして以来ですね。突然お邪魔して申し訳ありません」
「いえ、いえ……。あの、どういったご用件で……?」
「率直に申し上げますが、桐子さんを、我が家でお預かりしたいと考えております」
「桐子を……?」
直球を投げ込む母さんにおばさんは目を丸くして、先輩を見る。
先輩は肩をビクッと震わせた。
「桐子、どういうことなの?」
「……ゆ、百合に実家を継がせるから、私はもういらないって、出て行けって母さんに言われて……。それで、高校の進路相談室で就職の相談をしていたら、後輩の須藤くんが“うちで働かないか”って声をかけてくれたんです……」
先輩の目が俺を見る。
頷いて、母の後ろから顔を出した。
「はじめまして。須藤小春です。桐子さんが熱心に花の手入れをしてるのを知っていたので、母の手伝いをお願いしたくて、声をかけさせてもらいました。桐子さんが花をとても大事にしてるから、草花に携わる仕事から離れてほしくなかったんです」
「でも……そんな、不出来な娘、須藤さんには釣り合いませんわ」
「……っっ!」
声を上げるより早く、母さんのかかとが俺のつま先に乗った。
いってえ!!
涙が出そうなほどの痛みで、肩まで震えた。
……まあ、踏まれなかったら怒鳴ってたから、母さんの対応は正解なんだけど。
息子のこと理解しすぎだろ……。
「とんでもありません。桐子さんがよく働く方であることは、市場や地域の集まりでも存じ上げております。それに、妹さんを跡継ぎにされるご予定とのこと。でしたら、小春とも親しくしておりますし、桐子さんを須藤家の嫁として、ぜひお迎えしたく思います」
母さんがきっぱり言って、おばさんは口をぱくぱくさせている。
先輩はうつむいたままで、どんな表情をしているのか見えなかった。
「……桐子、あなたはどうしたいの。いきなり家を捨てるつもり?」
先に先輩を捨てたのはそっちだろうが!
そう言いたかったけど、今度はちゃんと自力で我慢した。
先輩の小さな手は固く握りしめられていて、細い指の骨が白く浮かび上がっていた。
見てられなくて、俺はつい、その手に触れた。先輩の顔がぱっと上がる。
順番に俺を見て、母さんを見て、おばさんを見る。
最後にもう一度俺を見たから、触れた手を今度は包むように握った。
「先輩。俺は、先輩が決めたことなら、どんな選択でも受け入れます。これは先輩自身の進路です。決めるのは、先輩ですから。……俺は、あなたが笑顔でいてくれるなら、それだけで嬉しいんです。だから、なんだって応援します」
「……須藤くん、ありがとう」
先輩の手から力が抜ける。
離そうとすると、今度はそっと握り返された。
「お母さん。私、須藤さんにお世話になります」
「なっ……」
「家のことは百合に任せるのでしょう? 私はいらないんだよね? ……今まで、お世話になりました」
俺の手を握ったまま、先輩は頭を下げた。
おばさんは震える唇で何かを言おうとしたが、母さんを見た瞬間に、言葉を飲み込んだ。
母さんが、どんな顔をしているのか俺には見えない。
「桐子さんはこちらでお預かりいたしますので、ご心配なく。お荷物は後日、主人と小春が伺って運びます。ただ、今必要なものだけ持ち帰りますので、ご用意いただけますか。……小春、手伝いなさい」
「は、はい。先輩、えっと、行きましょうか……?」



