胸の奥が、ぎゅっと締めつけられるように苦しくなった。

 そっと先輩の肩に手を置く。

 ゆっくりと俺を見上げた先輩の顔は、涙に濡れて悲しみに染まっている。

 大きく息を吐いて、静かに吸い込むと、先輩の足元に跪いた。


「須藤? お前何して……」

「藤宮桐子さん、俺と結婚してください」

「須藤!?」

「ちょ、須藤、マジか……ウケる……っ、あはは」


 うるさい美園先生と笑い出した由紀を無視して、先輩の、あかぎれだらけの手をそっと取った。


「桐子さん。俺、二年経っても、やっぱりあなたが好きです。きっと、これからもずっと、死ぬまで好きです。ずっとあなたを大事にします。絶対に泣かせたり、嫌な思いをさせたりしません。だから……俺と一緒に来てくれませんか?」

「へっ……?」


 やっと先輩の涙が止まった。ぽかんとした顔で俺を見下ろしている。

 その手を包むように握った。


「桐子さんが俺のことを好きじゃなくてもかまいません。生きるために俺を利用してくれてもいい。ただ、俺にあなたを守らせてください」

「須藤くん……」

「須藤? ここでプロポーズはちょっと……」

「進路の話じゃないですか」

「そういう問題じゃないんだよなあ……」



 机の向こうで呆れた声を出す美園先生を睨むと、苦笑いされた。

 これは間違いなく、俺と先輩の進路の話だ。



「えっと、前にも言ったと思いますけど、俺の実家は造園屋です。敷地の端で母が花屋もやってますが、あまり手が回ってなくて。だから、桐子さんに手伝ってもらえたら、本当に嬉しいんです」


 手を取ったまま立ち上がると、ぽかんとしたまま先輩も立ち上がった。


「由紀、今日は帰るわ」

「うん。また明日」

「坂木、美園、ゲーセンはまた今度な」

「いや、行かねえけどさ。俺の受験が終わったら行こう」

「ちょ、須藤?」


 進路指導の先生が慌てた顔で立ちはだかった。


「先生、俺の家、須藤ですよ」

「え、うん。そうだけどさ?」

「草花に詳しい人が造園屋で働くことに、何か問題ありますか? “須藤の嫁”って言って、藤宮生花店が口出しできますか?」

「……まあ……そうだけど」


 進路指導の先生が美園先生と顔を見合わせた。


「もちろん、ちゃんと親には話します。ていうか、これから帰って相談します。実家を継ぐのは俺で決まってるし、造園屋と花屋を一緒に切り盛りしてくれる嫁がいれば、口うるさい分家を黙らせることもできる」


 横でまた由紀が吹き出した。

 美園の分家筋にあたる美園先生は、なんとも言えない顔をしていた。

「先輩、来てもらえますか?」

 藤宮先輩は、まだ涙の跡が残る顔で、小さく頷いた。



 自転車の後ろに先輩を乗せて家に向かう。

 お腹に回る小さな手は、あかぎれだらけで、母さんよりひどくて、思わず泣きそうになった。

 信号待ちのときに、そっとその手に触れる。


「先輩、俺は先輩が花が好きなの知ってます。草木を丁寧に世話してたのも知ってます」

「……うん」

「だから、俺は同じ仕事をする人間としても、先輩のこと尊敬してます。……なんて、生意気ですね」


 先輩が答える前に信号が変わる。

 ペダルを踏み込むと、お腹に回った手に力が入って、背中が温かくなった。