作戦決行日前日の、水曜日の放課後。
わたしは生徒会室の前に来ていた。
軽くノックをすると返事があった。この声は、黄瀬先輩のものだっけ? 疑問に思ったけれど、引き戸に添えていた手は疑問符が消える前にドアを開けてしまった。
ええい、なるようになれ。
「こんにちは、先輩。一年二組藍野エルです」
「……藍野、エルさん?」
「あ……?」
生徒会室にいたのは生徒会長の藤崎先輩だった。周りより立派そうな席に着いて、突然現れたわたしのことをきょとんとした顔で見つめている。
大人気すぎる生徒会長、藤崎先輩。成績優秀で、噂によると小学生の頃から剣道を習っているらしい。文武両道で完璧な人のようにさえ見える先輩の、こんなに間の抜けた顔は初めて見た。
「うわ、ごめんなさい!」
「一年二組は、白石くんと同じクラスだな。あいつに何か頼まれでもしたのか」
「あ、いえ……。違います……!」
「じゃあ……キミが何か用があって来たわけか。ちょうどいいからオレが聞くよ」
きぃ、と藤崎先輩の座っている椅子が小さく音を立てた。きょとんとしていた顔は途端に凛々しくなり、切れ長の目がわたしを見る。
話を聞く態勢が一瞬で整えられた。敏腕生徒会長だ。とっても頼りになりそう。
「いえ、いえ、そういうわけでもなくて……。その、えっと、黄瀬先輩って今日学校来てます、よね……?」
「湊? 朝廊下で見かけたから来てるはずだけど。湊に用事なら、二年生の教室に行った方が早い。掃除当番かもしれないし」
「あー、いや、でも……」
教室や廊下だと、誰に聞かれてしまうか分からない。だから先輩は自分の自由にできる領域である生徒会室を指定したんだ。藤崎先輩が来ているかもしれないということは予想していなかったようだけれど。
わたしが答えに悩んでいると、藤崎先輩はこてんと首を傾げた。この人、意外とかわいい動作をするんだな。
「湊ならそのうち来ると思うから、適当なところに座って待っているといい」
「あ、でも……」
黄瀬先輩が到着したら、藤崎先輩を追い出すことになるのかな。
「何? やっぱりオレに何か?」
「いえ……」
「……なあ、オレってかっこいいと思う?」
「えっ!」
藤崎先輩は頬杖を突きながらわたしを見ていた。ほんの少し、だるそうな感じに見える。
「よく言われるんだけどさ、困っちゃうよな。学校中どこ行っても『きゃー』『きゃー』って。別にアイドルなんかじゃないのに。キミも、オレや湊の噂を聞いて近付いて来た口? それなら、正直迷惑なんだよな。もう今までに何人追い返したか思い出せない」
「違います、わたしは……。わたし、別に先輩に興味関心はなくて……」
「違うんだ。へぇ……」
にやり、と藤崎先輩の口が笑う。
「面白いこと言うな、キミは」
きぃ、と椅子が音を立てる。立ち上がった藤崎先輩はてくてくとわたしのところへやって来て、ぐっと距離を詰めて来た。
な、なに……。
「オレに興味関心がないなんて、興味が沸くね」
「え……」
「知りたいな、キミのこと」
分厚い辞書の中から目当ての言葉を探すように、わたしの端から端まで見るように藤崎先輩の視線が動く。
少しまつげの長い、切れ長の目。ちょっぴり大人びた、落ち着きのあるクールな雰囲気。冷たさと優しさのいいところを両方持って来たような声。
近くに来られると、少し、ドキッとしてしまう。確かにかっこいいのかもしれない。人気があるのもうなずける。
「藍野さん、だったっけ? 教えてよ」
「あ……いや……」
藤崎先輩の顔が、とても近くなる。
な、なにされちゃうの……!
「教えて、湊と何をこそこそやっているのか」
「……へ?」
わたしの口からとんでもなくまぬけな声が出た。
わたしは今、きっと顔もかなりまぬけになっている。人に見せない方がいいくらい、まぬけな顔に。
黄瀬先輩と、何をこそこそやっているのか? って、言われた?
「あいつスマホ持ってないから直接会わなきゃいけなくて面倒だよな」
わたしがまぬけな顔をさらしていると、藤崎先輩はわたしから一歩離れた。直後、わたしの背後で引き戸が開く。
「うわっ! あっ、藍野さん!?」
「ぅぎゃぁ、うぎ」
突如として背後に現れた黄瀬先輩に、わたしはまぬけな顔から汚い悲鳴を上げた。気持ち悪い足取りで距離を取って、黄瀬先輩に向き直る。
黄瀬先輩はわたしが先に来ていたことに驚き、そして、藤崎先輩までいることにさらに驚いているようだった。鞄からぶら下がっている狐のマスコットが揺れる。
「やあ、湊」
「来てたんすか、藤崎先輩」
「いけないな。部外者を生徒会室に連れ込んで何をしようとしていたんだ」
「え、えっと……」
黄瀬先輩は藤崎先輩からゆっくり目を逸らした。
祓い屋だということを知っている、信頼できる先輩。けれど、ほんのわずかに苦手意識がありそうだ。この人には逆らえないと、そう言っているように見えた。
「オマエが最近こそこそやってる相手、この子なんだろ。何者。大丈夫なのか、巻き込んで」
「あのぉ、えっと……。藍野さんは……」
「まあいいよ。オレはオマエの仕事に干渉するつもりはないし。でも、一般生徒を巻き込んで怪我させないようにな。オマエのことだから、大丈夫だから巻き込んでるんだろうけど」
「うす……」
「オレは資料の確認とかしてるけど、いない者だと思って話をするといい。何か聞こえても、何も聞かなかったことにするから」
そう言って、藤崎先輩は立派な生徒会長の席に着いた。
なんだか挙動不審になっていた黄瀬先輩が、藤崎先輩の視線が紙束に向かったところでようやくいつもの感じに戻る。圧力をかけられたりいじめられたりしているわけではないと思うけれど、たぶん強いんだろうな、藤崎先輩の方が。
「じゃ、じゃあ、藍野さん、適当なところに座ってよ」
「はい」
黄瀬先輩も副会長の席ではなく、空いている別の席に着いた。副会長の席だと会長の席のすぐ横だからかな。
「来てくれてありがとう、藍野さん。明日のことなんだけど……。明日の放課後、掃除当番だったりする?」
「いえ、掃除当番は昨日でした」
「そっか。それなら、放課後、真っ直ぐにまたここに来てもらっていいかな」
「分かりました」
「藤崎先輩、明日は生徒会の仕事ないですもんね」
「あぁ、明日はオレも用事ないから邪魔はしないよ」
何らかの資料から顔を上げずに、藤崎先輩は答えた。
「協力者を伴って何かをするのは初めてだから、正直、上手くできるか分からない。でも、絶対にきみを危険な目には遭わせないから。おれと、ザクロが必ずきみを守る」
「湊、藍野さん連れてどこ行くの」
「に、鈍色屋敷に」
「へぇ。それじゃあ、さっきの発言しっかり守りなよ。学校から近づくなと言われている廃墟に生徒会副会長が一般生徒を連れて忍び込んで、二人して問題を起こしたなんて、そんな話聞きたくないからな」
「わ……。わ、わ、あわ、分かってましゅ、ます!」
黄瀬先輩は藤崎先輩に何か弱みでも握られているんだろうか。祓い屋のことをバラされる、とか?
あの林を抜けた先に、何があるんだろう。楽しみなわくわくと、怖く感じるドキドキが一緒にやって来る。
「わたし、祓い屋さんのことって全然知らないんですけど本当に大丈夫なんでしょうか」
「きみ、自分は妖怪に食べられないって言っていたよね」
「はい。攻撃は、されるかもしれないんですけど」
「食べられない自信があるのならたぶんある程度は大丈夫だとは思うけれど、きみは、何を持っているの。何の力を。ザクロも変わった感じの感覚だと言っていた。きみは……」
オレは何も聞いていませんよ、と言わんばかりに藤崎先輩は資料ばかりを見ている。
言ってしまって、いいだろうか。
構わない、よね。
向こうは自分のことを色々としゃべっているんだから。
「わたし……。わたしは、魔法使いの末裔です」
わたしは生徒会室の前に来ていた。
軽くノックをすると返事があった。この声は、黄瀬先輩のものだっけ? 疑問に思ったけれど、引き戸に添えていた手は疑問符が消える前にドアを開けてしまった。
ええい、なるようになれ。
「こんにちは、先輩。一年二組藍野エルです」
「……藍野、エルさん?」
「あ……?」
生徒会室にいたのは生徒会長の藤崎先輩だった。周りより立派そうな席に着いて、突然現れたわたしのことをきょとんとした顔で見つめている。
大人気すぎる生徒会長、藤崎先輩。成績優秀で、噂によると小学生の頃から剣道を習っているらしい。文武両道で完璧な人のようにさえ見える先輩の、こんなに間の抜けた顔は初めて見た。
「うわ、ごめんなさい!」
「一年二組は、白石くんと同じクラスだな。あいつに何か頼まれでもしたのか」
「あ、いえ……。違います……!」
「じゃあ……キミが何か用があって来たわけか。ちょうどいいからオレが聞くよ」
きぃ、と藤崎先輩の座っている椅子が小さく音を立てた。きょとんとしていた顔は途端に凛々しくなり、切れ長の目がわたしを見る。
話を聞く態勢が一瞬で整えられた。敏腕生徒会長だ。とっても頼りになりそう。
「いえ、いえ、そういうわけでもなくて……。その、えっと、黄瀬先輩って今日学校来てます、よね……?」
「湊? 朝廊下で見かけたから来てるはずだけど。湊に用事なら、二年生の教室に行った方が早い。掃除当番かもしれないし」
「あー、いや、でも……」
教室や廊下だと、誰に聞かれてしまうか分からない。だから先輩は自分の自由にできる領域である生徒会室を指定したんだ。藤崎先輩が来ているかもしれないということは予想していなかったようだけれど。
わたしが答えに悩んでいると、藤崎先輩はこてんと首を傾げた。この人、意外とかわいい動作をするんだな。
「湊ならそのうち来ると思うから、適当なところに座って待っているといい」
「あ、でも……」
黄瀬先輩が到着したら、藤崎先輩を追い出すことになるのかな。
「何? やっぱりオレに何か?」
「いえ……」
「……なあ、オレってかっこいいと思う?」
「えっ!」
藤崎先輩は頬杖を突きながらわたしを見ていた。ほんの少し、だるそうな感じに見える。
「よく言われるんだけどさ、困っちゃうよな。学校中どこ行っても『きゃー』『きゃー』って。別にアイドルなんかじゃないのに。キミも、オレや湊の噂を聞いて近付いて来た口? それなら、正直迷惑なんだよな。もう今までに何人追い返したか思い出せない」
「違います、わたしは……。わたし、別に先輩に興味関心はなくて……」
「違うんだ。へぇ……」
にやり、と藤崎先輩の口が笑う。
「面白いこと言うな、キミは」
きぃ、と椅子が音を立てる。立ち上がった藤崎先輩はてくてくとわたしのところへやって来て、ぐっと距離を詰めて来た。
な、なに……。
「オレに興味関心がないなんて、興味が沸くね」
「え……」
「知りたいな、キミのこと」
分厚い辞書の中から目当ての言葉を探すように、わたしの端から端まで見るように藤崎先輩の視線が動く。
少しまつげの長い、切れ長の目。ちょっぴり大人びた、落ち着きのあるクールな雰囲気。冷たさと優しさのいいところを両方持って来たような声。
近くに来られると、少し、ドキッとしてしまう。確かにかっこいいのかもしれない。人気があるのもうなずける。
「藍野さん、だったっけ? 教えてよ」
「あ……いや……」
藤崎先輩の顔が、とても近くなる。
な、なにされちゃうの……!
「教えて、湊と何をこそこそやっているのか」
「……へ?」
わたしの口からとんでもなくまぬけな声が出た。
わたしは今、きっと顔もかなりまぬけになっている。人に見せない方がいいくらい、まぬけな顔に。
黄瀬先輩と、何をこそこそやっているのか? って、言われた?
「あいつスマホ持ってないから直接会わなきゃいけなくて面倒だよな」
わたしがまぬけな顔をさらしていると、藤崎先輩はわたしから一歩離れた。直後、わたしの背後で引き戸が開く。
「うわっ! あっ、藍野さん!?」
「ぅぎゃぁ、うぎ」
突如として背後に現れた黄瀬先輩に、わたしはまぬけな顔から汚い悲鳴を上げた。気持ち悪い足取りで距離を取って、黄瀬先輩に向き直る。
黄瀬先輩はわたしが先に来ていたことに驚き、そして、藤崎先輩までいることにさらに驚いているようだった。鞄からぶら下がっている狐のマスコットが揺れる。
「やあ、湊」
「来てたんすか、藤崎先輩」
「いけないな。部外者を生徒会室に連れ込んで何をしようとしていたんだ」
「え、えっと……」
黄瀬先輩は藤崎先輩からゆっくり目を逸らした。
祓い屋だということを知っている、信頼できる先輩。けれど、ほんのわずかに苦手意識がありそうだ。この人には逆らえないと、そう言っているように見えた。
「オマエが最近こそこそやってる相手、この子なんだろ。何者。大丈夫なのか、巻き込んで」
「あのぉ、えっと……。藍野さんは……」
「まあいいよ。オレはオマエの仕事に干渉するつもりはないし。でも、一般生徒を巻き込んで怪我させないようにな。オマエのことだから、大丈夫だから巻き込んでるんだろうけど」
「うす……」
「オレは資料の確認とかしてるけど、いない者だと思って話をするといい。何か聞こえても、何も聞かなかったことにするから」
そう言って、藤崎先輩は立派な生徒会長の席に着いた。
なんだか挙動不審になっていた黄瀬先輩が、藤崎先輩の視線が紙束に向かったところでようやくいつもの感じに戻る。圧力をかけられたりいじめられたりしているわけではないと思うけれど、たぶん強いんだろうな、藤崎先輩の方が。
「じゃ、じゃあ、藍野さん、適当なところに座ってよ」
「はい」
黄瀬先輩も副会長の席ではなく、空いている別の席に着いた。副会長の席だと会長の席のすぐ横だからかな。
「来てくれてありがとう、藍野さん。明日のことなんだけど……。明日の放課後、掃除当番だったりする?」
「いえ、掃除当番は昨日でした」
「そっか。それなら、放課後、真っ直ぐにまたここに来てもらっていいかな」
「分かりました」
「藤崎先輩、明日は生徒会の仕事ないですもんね」
「あぁ、明日はオレも用事ないから邪魔はしないよ」
何らかの資料から顔を上げずに、藤崎先輩は答えた。
「協力者を伴って何かをするのは初めてだから、正直、上手くできるか分からない。でも、絶対にきみを危険な目には遭わせないから。おれと、ザクロが必ずきみを守る」
「湊、藍野さん連れてどこ行くの」
「に、鈍色屋敷に」
「へぇ。それじゃあ、さっきの発言しっかり守りなよ。学校から近づくなと言われている廃墟に生徒会副会長が一般生徒を連れて忍び込んで、二人して問題を起こしたなんて、そんな話聞きたくないからな」
「わ……。わ、わ、あわ、分かってましゅ、ます!」
黄瀬先輩は藤崎先輩に何か弱みでも握られているんだろうか。祓い屋のことをバラされる、とか?
あの林を抜けた先に、何があるんだろう。楽しみなわくわくと、怖く感じるドキドキが一緒にやって来る。
「わたし、祓い屋さんのことって全然知らないんですけど本当に大丈夫なんでしょうか」
「きみ、自分は妖怪に食べられないって言っていたよね」
「はい。攻撃は、されるかもしれないんですけど」
「食べられない自信があるのならたぶんある程度は大丈夫だとは思うけれど、きみは、何を持っているの。何の力を。ザクロも変わった感じの感覚だと言っていた。きみは……」
オレは何も聞いていませんよ、と言わんばかりに藤崎先輩は資料ばかりを見ている。
言ってしまって、いいだろうか。
構わない、よね。
向こうは自分のことを色々としゃべっているんだから。
「わたし……。わたしは、魔法使いの末裔です」
