「藍野っ!」
大きな音がして、わたしに光が向けられる。黄瀬先輩がドアを思い切り蹴破って、懐中電灯で照らしてくれたのだ。
「おい、大丈夫か」
「せ、先輩ぃ……なんかぬめぬめしたものが……。あれ?」
先輩の照らすわたしの手元には何もない。空気を掴んでいるわたしの手があるだけだ。
「さっき、確かに手が何かに触れて」
「何も……」
三角形の耳がぴんと跳ねるように動いた。と思ったら、先輩は人間離れした動きでわたしに飛び掛かって来た。覆い被さって、抱き締める。
え!
えぇ!
えぇっ!?
「わ、わぁ……っ!」
自分の鼓動が速くなったような気がした。びっくりしているんだ、突然のことに。緊張しているんだ、何かがいるかもしれないから。そうだ。そうに違いない。
それにしても近いな。
全ての距離が、近いっ……!
「せ、せんぱ……」
わたしの言葉は部屋中に響き渡る奇妙な音に打ち消された。耳をつんざくようなその音は恐ろしい化け物の吠え声のようでもあったし、小さな子供の鳴き声のようでもあった。先輩の腕の中で、思わず耳を塞ぐ。
視界の端で何かが動いた。おそらく、それが音の発生源。部屋のあっちからそっちへ、飛ぶ。変な音を出しながら。放り投げられた懐中電灯とスマホが照らしている範囲でしか姿を確認できないため、いまいち正体が分からない。
わたしを守るようにしている先輩は普段より性能が上がっていると思われる耳を塞ぐことができなくて、結構辛そうだ。
あの音は、何? 飛んでいるのは……。
「妖怪か? それにしては気配が」
違う。これは……。
「妖精か、魔物の類だと思います」
人間ではないもの。普通の動物とは違うもの。それらが纏う気配は、それぞれ微妙に異なる。わたしの中に流れる魔法使いの血が、あれは西洋の怪異だと告げている。
先輩はわたしから少し離れると、大きく腕を振った。
「吠えろザクロ! 急急如律令――大角・五月雨星!」
暗い部屋に一瞬、明かりが灯った。
得体の知れない妖精か魔物がいるというのに、わたしはその光に見惚れてしまった。先輩が手を振るった残像が、炎となってきらきら舞う。
かっこいい、な……。
突然空中に炎が現れて、驚いたんだろう。飛び回っていた何かは静かになる。その隙に先輩は懐中電灯を拾い、わたしのスマホも拾ってくれた。
最後に音が聞こえていた方を照らす。
「なんだ、これは。カエル?」
「コウモリじゃないですか?」
動物にも、おそらく表情はある。驚いた顔をしてわたし達を見ているのは、膜の張った羽で宙に浮かんでいる両生類のような爬虫類のような風貌の生き物だった。暗闇でわたしが掴んでしまったのは、おそらくこれだ。見るからに水辺の生き物っぽい体の表面をしている。
これが、鈍色屋敷の怪異なのかな。
「ぎゃっ!」
わたし達のことを交互に見ていた不思議な生き物は、わたしの方を改めて見て一声鳴いた。
そして……。
「ぎぃぎゃぎゃ!」
わたし目がけて飛んでくる!!
顔面に着地しようとしたそれを、直前で先輩が払ってくれた。弾き飛ばされたぬめぬめが、ほこりを巻き込んで絨毯に転がる。
「ぼーっとするな。相手は正体不明の人外だぞ」
「ごめんなさい!」
「敵意があるのなら手加減無用。ザクロ!」
パチン、と指が鳴った。
「紅き獣、焔の化身よ、赫々たる力を此処に解き放て。天網恢恢、灰燼に帰せ! 急急如律令――天狼!」
明かりは懐中電灯とスマホだけ。カーテンは閉まったまま。けれど、今、この部屋は眩い光に満ちていた。目の間に剝き出しの照明があるのではないかというくらい、明るくて眩しい。
先輩の手元に真っ赤な火の玉が浮かんでいた。手元から、天井に着いてしまいそうなくらい大きく燃え上がっている。
きっと、必殺技だ。
「くらえ!」
これが直撃すれば、きっとあの生き物はひとたまりもないだろう。
でも、先輩の攻撃は当たらなかった。違う。当てられなかった。
ぽん。と、火が消えてしまったのだ。それと同時に先輩の体も光に包まれて、変身が解除された。ザクロはころんと絨毯に転がって、先輩は膝を着く。
「こ、ここまでか。あともう少しだったのに。ザクロ、もう一度」
「馬鹿野郎! もう一度なんてできるか! 鏡見た方がいいぜ!」
先輩は汗びっしょりだった。息も上がっていて、苦しそう。そして、ザクロを拾おうとしてそのまま倒れてしまった。
「先輩っ」
「ザクロ、もう一度だ。あれはなぜか藍野さんを狙っている。もう、一度だけ」
「駄目に決まってんだろ! おい、嬢ちゃんは何か襲われる心当たりねえのか」
「分からない。でも……。もしかしたら、魔法の力に反応してるのかも」
先輩に打ち払われて転がっていたカエルのようなコウモリのような生き物が、体勢を立て直して飛び上がった。また、わたし目がけて飛んでくるつもりだ。
疲れ果てている様子の先輩はきっともう戦えない。わたしがなんとかしないといけないけれど、ナイトメアフレイムドラゴン・ロード・インフェルノは普通の折り紙に戻ってしまっているらしく応えてくれない。新しい何かを折らないと。
「……先輩、呪符って折っても効果は発動しますか」
「千切らなければ。……まさか」
「少しだけ、少しだけ時間稼ぎできますか。呪符を数枚貸してください。折って、ぶつけます。相手は妖怪じゃないから効くかどうか分かりませんが、驚かすことくらいはできるはず」
ほんの少し考えてから、先輩はふくさを手に取って呪符を数枚取り出した。
「時間稼ぎはあまり期待しないでね」
「急いで折ります」
「ザクロ」
「ちょっとだけだからな。俺様の判断で強制解除するぞ」
「分かった。行こう……北落師門!」
詠唱は短縮できるんだ。二回目だからかな。
姿が変わった瞬間、先輩の体は大きく傾いた。なんとか耐えて、人間離れした動きで相手を翻弄し始める。炎を出す力は残っていないみたいだね。
先輩が渡してくれた呪符は三枚。形は長方形。切ってしまうと効果が発動しないから……。
これは、よく飛ぶ。速く飛ぶ。最新鋭のジェット機だ。意味の分からない妖精のような魔物のようなやつを戸惑わせて、隙ができたら接触して呪符を発動させる。
祓い屋の呪符製紙飛行機のできあがり。
途中でどさくさに紛れて先輩がカーテンを開けてくれたから、二つ目以降は一つ目よりも正確に折ることができた。
「先輩!」
呼び掛けた直後、先輩の変身が解除される。タイミングはぎりぎりだった。
「お願い、藍野さん!」
「よーし、飛んでけ!」
ふわり。わたしの手から浮かび上がった三機のジェット機は、それぞれ別のルートで対象に向かう。
妖怪達が魔法使いのことを得体の知れない奇妙なものだと思うのなら、逆も同じはず。呪符が完全に効かなかったとしても、得体の知れない変な力を浴びればなんか嫌な気分になるはずだよね。
「ぎゃぎゃ」
三方向から迫られ、動きが止まる。
「今!」
そこを、むぎゅっと包み込む!
やった! 捕まえ――。
「んぎゃ!」
三機の紙飛行機でむぎゅっと包んだら、カエルのようなコウモリのような妖精もしくは魔物は水飛沫と共に弾け飛んだ。
弾け飛んだんだけど!?
「え! えぇっ! つ、潰れ……!?」
や、やりすぎてしまった。そんな……。こんなことになるなんて……。
むぎゅっとした形になったままの濡れた紙飛行機が、ごとりと落ちた。
落下した衝撃でほどけた紙飛行機達の中に、キラキラしたものが包まれている。五センチ以上はありそうな綺麗な石だ。拾ってみると、手のひらにちょこんと載るくらい。宝石なのかな。
「先輩、これ何の石か分かり――」
振り返ったわたしの視線の先で、先輩は倒れ伏して動かなくなった。
「先輩っ……!」
「これはおそらく水妖……水の妖精の一種ですね」
窓から差す夕日に石をかざして、チェスナットさんは言う。
倒れてしまった先輩と石になってしまった妖精をどうすることもできず、わたしはチェスナットさんを電話で呼び出した。
鈍色屋敷の門前に停めた馬車の中。シャンパンゴールド号が曳くこの馬車は、普通の人の目には映らない。先輩は眠り続けていて、ザクロが心配そうに寄り添っている。
「あの部屋、東洋の魔術が施されていましたね。少し、嫌な感じがしました。この妖精も、あの場に長居して弱っているようです」
「石の体を持つ妖精なの?」
「いえ、この石に封印……縛り付けられているのかと」
「誰かがそうしたってことか。鈍色屋敷にいた理由も含めて、本人に話を聞ければいいんだけど」
チェスナットさんが石を差し出してきた。
「僅かですが、相手の魔力を吸収する性質があるようです。この量であれば体に影響もないと思いますから、エル様が持っていますか? 持ち歩いていればいずれ回復して意思の疎通も可能かと」
「……はい」
わたしがむぎゅってしちゃったんだから、わたしが持つべきだよね。
折り紙で袋を作って石を中に入れる。分かるといいな、この子のこと。
大きな音がして、わたしに光が向けられる。黄瀬先輩がドアを思い切り蹴破って、懐中電灯で照らしてくれたのだ。
「おい、大丈夫か」
「せ、先輩ぃ……なんかぬめぬめしたものが……。あれ?」
先輩の照らすわたしの手元には何もない。空気を掴んでいるわたしの手があるだけだ。
「さっき、確かに手が何かに触れて」
「何も……」
三角形の耳がぴんと跳ねるように動いた。と思ったら、先輩は人間離れした動きでわたしに飛び掛かって来た。覆い被さって、抱き締める。
え!
えぇ!
えぇっ!?
「わ、わぁ……っ!」
自分の鼓動が速くなったような気がした。びっくりしているんだ、突然のことに。緊張しているんだ、何かがいるかもしれないから。そうだ。そうに違いない。
それにしても近いな。
全ての距離が、近いっ……!
「せ、せんぱ……」
わたしの言葉は部屋中に響き渡る奇妙な音に打ち消された。耳をつんざくようなその音は恐ろしい化け物の吠え声のようでもあったし、小さな子供の鳴き声のようでもあった。先輩の腕の中で、思わず耳を塞ぐ。
視界の端で何かが動いた。おそらく、それが音の発生源。部屋のあっちからそっちへ、飛ぶ。変な音を出しながら。放り投げられた懐中電灯とスマホが照らしている範囲でしか姿を確認できないため、いまいち正体が分からない。
わたしを守るようにしている先輩は普段より性能が上がっていると思われる耳を塞ぐことができなくて、結構辛そうだ。
あの音は、何? 飛んでいるのは……。
「妖怪か? それにしては気配が」
違う。これは……。
「妖精か、魔物の類だと思います」
人間ではないもの。普通の動物とは違うもの。それらが纏う気配は、それぞれ微妙に異なる。わたしの中に流れる魔法使いの血が、あれは西洋の怪異だと告げている。
先輩はわたしから少し離れると、大きく腕を振った。
「吠えろザクロ! 急急如律令――大角・五月雨星!」
暗い部屋に一瞬、明かりが灯った。
得体の知れない妖精か魔物がいるというのに、わたしはその光に見惚れてしまった。先輩が手を振るった残像が、炎となってきらきら舞う。
かっこいい、な……。
突然空中に炎が現れて、驚いたんだろう。飛び回っていた何かは静かになる。その隙に先輩は懐中電灯を拾い、わたしのスマホも拾ってくれた。
最後に音が聞こえていた方を照らす。
「なんだ、これは。カエル?」
「コウモリじゃないですか?」
動物にも、おそらく表情はある。驚いた顔をしてわたし達を見ているのは、膜の張った羽で宙に浮かんでいる両生類のような爬虫類のような風貌の生き物だった。暗闇でわたしが掴んでしまったのは、おそらくこれだ。見るからに水辺の生き物っぽい体の表面をしている。
これが、鈍色屋敷の怪異なのかな。
「ぎゃっ!」
わたし達のことを交互に見ていた不思議な生き物は、わたしの方を改めて見て一声鳴いた。
そして……。
「ぎぃぎゃぎゃ!」
わたし目がけて飛んでくる!!
顔面に着地しようとしたそれを、直前で先輩が払ってくれた。弾き飛ばされたぬめぬめが、ほこりを巻き込んで絨毯に転がる。
「ぼーっとするな。相手は正体不明の人外だぞ」
「ごめんなさい!」
「敵意があるのなら手加減無用。ザクロ!」
パチン、と指が鳴った。
「紅き獣、焔の化身よ、赫々たる力を此処に解き放て。天網恢恢、灰燼に帰せ! 急急如律令――天狼!」
明かりは懐中電灯とスマホだけ。カーテンは閉まったまま。けれど、今、この部屋は眩い光に満ちていた。目の間に剝き出しの照明があるのではないかというくらい、明るくて眩しい。
先輩の手元に真っ赤な火の玉が浮かんでいた。手元から、天井に着いてしまいそうなくらい大きく燃え上がっている。
きっと、必殺技だ。
「くらえ!」
これが直撃すれば、きっとあの生き物はひとたまりもないだろう。
でも、先輩の攻撃は当たらなかった。違う。当てられなかった。
ぽん。と、火が消えてしまったのだ。それと同時に先輩の体も光に包まれて、変身が解除された。ザクロはころんと絨毯に転がって、先輩は膝を着く。
「こ、ここまでか。あともう少しだったのに。ザクロ、もう一度」
「馬鹿野郎! もう一度なんてできるか! 鏡見た方がいいぜ!」
先輩は汗びっしょりだった。息も上がっていて、苦しそう。そして、ザクロを拾おうとしてそのまま倒れてしまった。
「先輩っ」
「ザクロ、もう一度だ。あれはなぜか藍野さんを狙っている。もう、一度だけ」
「駄目に決まってんだろ! おい、嬢ちゃんは何か襲われる心当たりねえのか」
「分からない。でも……。もしかしたら、魔法の力に反応してるのかも」
先輩に打ち払われて転がっていたカエルのようなコウモリのような生き物が、体勢を立て直して飛び上がった。また、わたし目がけて飛んでくるつもりだ。
疲れ果てている様子の先輩はきっともう戦えない。わたしがなんとかしないといけないけれど、ナイトメアフレイムドラゴン・ロード・インフェルノは普通の折り紙に戻ってしまっているらしく応えてくれない。新しい何かを折らないと。
「……先輩、呪符って折っても効果は発動しますか」
「千切らなければ。……まさか」
「少しだけ、少しだけ時間稼ぎできますか。呪符を数枚貸してください。折って、ぶつけます。相手は妖怪じゃないから効くかどうか分かりませんが、驚かすことくらいはできるはず」
ほんの少し考えてから、先輩はふくさを手に取って呪符を数枚取り出した。
「時間稼ぎはあまり期待しないでね」
「急いで折ります」
「ザクロ」
「ちょっとだけだからな。俺様の判断で強制解除するぞ」
「分かった。行こう……北落師門!」
詠唱は短縮できるんだ。二回目だからかな。
姿が変わった瞬間、先輩の体は大きく傾いた。なんとか耐えて、人間離れした動きで相手を翻弄し始める。炎を出す力は残っていないみたいだね。
先輩が渡してくれた呪符は三枚。形は長方形。切ってしまうと効果が発動しないから……。
これは、よく飛ぶ。速く飛ぶ。最新鋭のジェット機だ。意味の分からない妖精のような魔物のようなやつを戸惑わせて、隙ができたら接触して呪符を発動させる。
祓い屋の呪符製紙飛行機のできあがり。
途中でどさくさに紛れて先輩がカーテンを開けてくれたから、二つ目以降は一つ目よりも正確に折ることができた。
「先輩!」
呼び掛けた直後、先輩の変身が解除される。タイミングはぎりぎりだった。
「お願い、藍野さん!」
「よーし、飛んでけ!」
ふわり。わたしの手から浮かび上がった三機のジェット機は、それぞれ別のルートで対象に向かう。
妖怪達が魔法使いのことを得体の知れない奇妙なものだと思うのなら、逆も同じはず。呪符が完全に効かなかったとしても、得体の知れない変な力を浴びればなんか嫌な気分になるはずだよね。
「ぎゃぎゃ」
三方向から迫られ、動きが止まる。
「今!」
そこを、むぎゅっと包み込む!
やった! 捕まえ――。
「んぎゃ!」
三機の紙飛行機でむぎゅっと包んだら、カエルのようなコウモリのような妖精もしくは魔物は水飛沫と共に弾け飛んだ。
弾け飛んだんだけど!?
「え! えぇっ! つ、潰れ……!?」
や、やりすぎてしまった。そんな……。こんなことになるなんて……。
むぎゅっとした形になったままの濡れた紙飛行機が、ごとりと落ちた。
落下した衝撃でほどけた紙飛行機達の中に、キラキラしたものが包まれている。五センチ以上はありそうな綺麗な石だ。拾ってみると、手のひらにちょこんと載るくらい。宝石なのかな。
「先輩、これ何の石か分かり――」
振り返ったわたしの視線の先で、先輩は倒れ伏して動かなくなった。
「先輩っ……!」
「これはおそらく水妖……水の妖精の一種ですね」
窓から差す夕日に石をかざして、チェスナットさんは言う。
倒れてしまった先輩と石になってしまった妖精をどうすることもできず、わたしはチェスナットさんを電話で呼び出した。
鈍色屋敷の門前に停めた馬車の中。シャンパンゴールド号が曳くこの馬車は、普通の人の目には映らない。先輩は眠り続けていて、ザクロが心配そうに寄り添っている。
「あの部屋、東洋の魔術が施されていましたね。少し、嫌な感じがしました。この妖精も、あの場に長居して弱っているようです」
「石の体を持つ妖精なの?」
「いえ、この石に封印……縛り付けられているのかと」
「誰かがそうしたってことか。鈍色屋敷にいた理由も含めて、本人に話を聞ければいいんだけど」
チェスナットさんが石を差し出してきた。
「僅かですが、相手の魔力を吸収する性質があるようです。この量であれば体に影響もないと思いますから、エル様が持っていますか? 持ち歩いていればいずれ回復して意思の疎通も可能かと」
「……はい」
わたしがむぎゅってしちゃったんだから、わたしが持つべきだよね。
折り紙で袋を作って石を中に入れる。分かるといいな、この子のこと。
