折って連絡いたします!~紙と狐と魔法の放課後~

 鳩が一羽、茂みの中から飛び出してきて黄瀬先輩のすぐ近くを横切った。

「んぎゃ……っ! び、びっくりした……」

 ……大丈夫かな。

 木曜日の放課後。わたし達は再び鈍色屋敷に来ていた。相変わらず不気味な雰囲気で、奥の方から得体の知れないものが姿を現しそうだ。

 でも、もしも何かが出たら先輩とザクロがどうにかしてくれるんだよね。わたしも一応、強そうな生き物の折り方を調べてあるけど。

「おいミナト、しっかりしろよな。情けねえぞ。鳩じゃねえか」
「い、いきなりだったから」

 ちょっと、心配かも。

 もしもに備えて簡単ドラゴンの作り方を確認しておこう。最初は谷折りだったよね。……山折りだったかも。あれ? どうだったっけ?

「――さん。……藍野さん。藍野さんっ」
「うおっ! はい!」
「斥候を頼める?」
「りょ、了解です!」

 わたしはリュックから折り紙ケースを出す。

 わたしが動かせるのは、折った直後のものだけ。だから、その場で作り上げなければならない。必要な数が多ければ、一枚一枚に掛けられる時間は短くなる。急ごしらえで作った色とりどりのネズミと犬は、ちょっとずれている折り目を揺らしながら茂みに飛び込んで行った。

 斥候部隊に状況を確認してもらいながら、わたし達は鈍色屋敷の庭を進む。そうして、無事に玄関に辿り着いた。

 最後に開けた人がちゃんと閉めていなかったのか、ドアが少しだけ開いていて伸びまくる草が中にまで入り込んでいる。ドアが開いているってことは、中に何かいる可能性もあるんだよね。

「先輩、行きますか」
「うん。その前に……」

 先輩は鞄に提げていた狐のマスコットを外した。ザクロの依り代を両手で包んで、祈るように目を閉じる。

 風に揺れていた木々のざわめきが、どこまでも生い茂っているような草花が、全て消えた。

 そこにいる黄瀬湊以外の音が、景色が、わたしの感覚から消え去った。なぜだか分からなかったけれど、わたしは先輩に釘付けになっていた。

 まるで、今から神聖な儀式が始まるみたい。

(たの)んだよ、ザクロ」

 ふわり、とザクロが宙に浮かぶ。それと同時に炎のような光が先輩達を包み込んだ。

(あか)き獣、(ほむら)の化身よ、赫々(かくかく)たる力を此処(ここ)に示せ。急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)――北落師門(フォーマルハウト)!」

 袂、袴、下駄、羽織――。光の中から見えてきたのは、夜に出会ったコスプレの男の子が着ていたのと同じデザインの着物だ。ところどころに、炎を思わせる装飾がある。

 一瞬、光が大きな怪物の姿になる。それは狐のようだったし、別の犬の仲間のようでもあったし、鳥のような気もしたし、なんだか、魚にも見えた。

 そして、吹き消された誕生日ケーキのろうそくみたいに光がなくなると、三角形の耳と銀色の髪が姿を現した。存在を見せびらかすように、ふわふわの大きな尻尾が一回強く振られる。

 柘榴色の瞳がわたしを見た。つい先ほどまでわたしを見ていたはずの先輩の笑顔は消えていて、ちょっぴり不機嫌そうに、小さく舌打ち。

「じろじろ見てんじゃねえよ」
「せんぱ……。黄瀬、先輩……ですよね」
「おれじゃなきゃ誰なんだよ。おれはおまえの前から一歩も動いてねえよ」

 着物姿の男の子は地面に下ろしていた先輩の鞄を拾う。ちらりと見えた帯の辺りから、狐のマスコットがぶら下がっている。

 本当に、あのコスプレの男の子が先輩なんだ。

 ザクロが憑依……というか、ヒーローの変身みたいなことをしているのを見るのはこれが初めて。なんか嫌な感じのコスプレの男の子と、素敵な先輩という言葉が服を着て歩いているような黄瀬先輩が同一人物だということを見せ付けられた。本当に先輩なんだ、これ。本当に。

 先輩は開きかけているドアに手をかけた。ぎぃ、という音を立ててゆっくりドアが開く。

「おい、斥候を頼む」
「あっ、はい! みんな、お願いね」

 回収していた折り紙達を再び放つ。散り散りになるカラフルな斥候部隊に続いて、わたし達も鈍色屋敷の建物の中に踏み込んだ。

 足元から何かがぶわりと舞いあがった。それが降り積もったほこりだったことに気が付いたのは、思い切り咳をした後。

「口にハンカチでも当てておけ。……これだけほこりが溜まっているということは、しばらく人の出入りがないということか。何かが侵入していたとしても、地面を歩くタイプではないということ」
「浮かんでいる、とか? やっぱり幽霊ですか!?」

 三角形の耳とふわふわの尻尾が大きく激しく揺れた。少し前を歩いていた先輩が勢いよくわたしを振り返る。顔が青い。

「ま、ままままままさか! お、おま、おまえ、変なこと言うんじゃねえよ! 飛んでるタイプの妖怪かもしれねえだろ!」

 やっぱり先輩だ、これ。変身しても根っこは先輩のままなんだ。口調に対してのザクロの影響力が強すぎるよ。

 広々としたエントランスの真ん中で、先輩は鞄から懐中電灯を取り出した。不思議な力で手元に火でも灯すのかと思っていたけれど、文明の利器を使うんだ。わたしもスマホのライトを点けた。生い茂る木々に覆われた鈍色屋敷の中に日光はほとんど入らない。玄関のドアから遠くなればなるほど、視界は悪くなっていく。

 照らし出される内装は、どれも元は綺麗だったんだろうなと感じさせるものだった。ほこりの向こうに薄っすらと見えるのは丁寧に施された細かな装飾達だ。今はもう壊れている部分もあるけれど、かつては大切にされていたに違いない。

「その状態だと、ザクロはどうなってるんですか? マスコットはそこにあるけど、ずっと黙ってますよね。夜に会った時も……」
「今、これは空っぽだ。おれに憑りついている状態だから。それに、おれにこの姿を維持させることに集中しているから、話は聞こえていても基本的に返事はしねえな」

 普段より爪の長い先輩の指が、そっと狐のマスコットを撫でた。

「敵の攻撃とかは察知して教えてくれるけど、おれ以外にはその声は聞こえないみたいだ。……折り紙が戻ってきたな」

 二階の様子を見に行っていた犬が帰還する。ほこりを被っているけれど、破れていたり折れ曲がっていたりした様子はない。行った先には何もいなかったんだ。もっと先に行っているネズミはどうしているだろう。

 わたしは犬を拾い上げて、階段を昇り始めた先輩の後を追った。

 昔、祓い屋が妖怪を退治したという二階の奥の部屋。ドアは閉まっていて、折り紙のネズミ達が右往左往していた。

 ここに、何かいるのかな。物音とかはしていないけれど。

「おい、今のうちに戦えるやつを折っておけ。何かあるんだろ」
「な、なんか気配とかしますか?」
「分からない。でも、何かが飛び出してきてからじゃ遅ぇだろ」

 先輩は屈んで三角形の右耳をドアに押し当てる。

「分かりました。あの、覚えきれていないので本を確認したいんです。懐中電灯こっちに向けていただいても? スマホ持ちながらじゃ折れないので」
「ほら」
「ありがとうございます。なるべく速く折ります」

 折り紙ケースから一枚取り出し、折り紙の折り方の本も開く。

 今から折るのは、ドラゴン。立派な羽で空を飛び回り、大きな爪で敵を引き裂き、口から真っ赤な炎を吐く強力なドラゴンだ。

 折り目が多ければ強いというわけではない。使う枚数が多ければよく動くというわけでもない。大事なのは、一つ一つの折り目にしっかりと気持ちを込めること。己の魔法の力を塗り込めるように、なるべく丁寧に。難易度が高い折り方ほど強力な使い魔になるのは、紙に触れる時間が自然と長くなるからだ。

 例え簡易なものでも、しっかり念じることができれば――。

「これは、全てを喰らい全てを破壊せんとする邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の邪竜の王」

 ――それは、見かけ以上に力強い。

「ナイトメアフレイムドラゴン・ロード・インフェルノのできあがり」
「けったいな名前だな。ナイトメア……何?」
「恥ずかしくなるので復唱しないでください!」

 名前を付けることもそれなりに強い魔法の効果を発揮する。でもちょっと張り切り過ぎたかも!

 赤と黒の両面折り紙で作られたドラゴンは、わたしの手の上で大きなおたけびを上げているようなポーズをとっている。おばあちゃんなら、きっと本物の鱗みたいな強度を持たせて、口から炎を吐かせることだってできるのだ。わたしの力で、どれだけこの子を動かせるだろう。

「ドア、開けるぞ」
「はい」

 先輩と頷き合う。

 ゆっくりとドアを開け……。

「何も……何もいねえな……」
「何かの姿は見えないし、気配とかもないですね」

 そこはがらんどうだった。閉め切られたカーテンの僅かな隙間から薄っすら日差しが入ってほこりを光らせているだけで、他には何もない。机や引き出しもない。

 先輩が懐中電灯で照らした壁には、数か所壁紙が剥がれている部分がある。これはとある祓い屋が妖怪と戦った形跡かもしれないね。怪しげな呪符も数枚貼られている。

 舞い上がるほこりの中を数歩進んで、部屋のあっちやそっちを確認する。何も、ない。

 不機嫌そうに尻尾が揺れて、先輩は舌打ちをした。

「外れか。次、行くぞ」
「次が当たりだといいですね」
「あぁ」

 あっ。

 ナイトメアフレイムドラゴン・ロード・インフェルノがわたしの手から滑り落ちてしまった。

「先輩、ちょっと待っ――」

 床に手を伸ばして屈んだわたしの背後で、バタンという大きな音がした。ドラゴンを拾って振り返ると、ドアが閉まっている。

「えっ! えぇっ! 先輩!」
「おい、なんだ。開かないぞ」

 ドアの向こうから先輩の声が聞こえた。

 わたしもドアノブを捻ってみたけれど、ドアはうんともすんとも言わなかった。随分古いお屋敷だから、建付けが悪いのかな。

「ぶち破るしかねえか。ドアから離れてろ」
「分かりまし……」

 焦っていたのかもしれない。慌てていたのかもしれない。何か、嫌な予感がしていたのかもしれない。足がもつれてしまって、わたしはほこりの積もった絨毯の上に倒れた。

 手元から飛んで行ったのはスマホと折り紙のドラゴン。わたしの手から光源は消えてしまって、あっちで光っているスマホの位置はわかるけれどドラゴンがどこにあるのか分からない。

「なんだ、どうした、大丈夫なのか」
「あっ、はい! 大丈夫……」

 付近を探ろうとしたわたしの手に、何かが触れた。それはほこりの山でもなくて、折り紙でもなくて、もちろんあっちで光っているスマホでもない。

「っ……!」

 ぬちゃり、とか、ぐちゃ、とか、ぬめぬめ、とか、そういう表現がいいと思う。わたしの指は、暗闇の中で湿り気を帯びた柔らかいものをひしと掴んでいる。

 ……あ。

 あぁっ!?

 う、動いた!?

 直後、わたしの口からは大きな大きな叫び声が飛び出した。