先輩はちゃんと家庭科室の鍵をかけて、職員室に鍵を返したのかな。確認しないまま、わたしはザクロと共に帰宅した。玄関の前に立てかけてあるひいおばあちゃんの箒が「おかえり」の動きをする。
「あら、エル。おかえりなさい」
「うわっ!」
後ろから声をかけられた。
びっくりして飛び上がりそうになりながら振り返ると、おばあちゃんがにこにこの優しい笑顔で立っていた。買い物に行っていたのか、エコバッグを持っている。
「た、ただいま」
「また何か連れて帰って来たのね。それは、妖怪かしら。前にもそれを連れて来たことあったわよね」
「俺様のことを見破るとは、やるな。ババアそこそこ強そうじゃねえか」
「ちょっ……」
「あらあらあら。おほほ。生意気そうな口を利く子のようね」
おばあちゃんのエメラルドグリーンの目が細められる。これはおばあちゃんの怖い顔だ。久し振りに見た。
わたしとお父さんは折り紙を動かすことくらいしかできない。でも、おばあちゃんはイギリス生まれの生粋の魔法使いだ。子供の頃に日本に来たから魔法の勉強ができる学校には行けていなくて高度な魔法は使えないけれど、その体にはわたしとお父さんなんて絶対に敵わないくらいの強力な魔法の力が流れている。それは中途半端なものなどではなくて、はっきりと「魔法使いの持つ魔力」と称していいものだ。
この間は何も言っていなかったけれど、やっぱりザクロの存在には気が付いていたんだ。
「連れて帰って来るのは構わないけどね、あの子に食べられないようにするのよ」
「口がないから食べることはないと思うけど……」
おばあちゃんは庭の方を見遣る。
我が家の庭には、人の目に映らない動物が暮らしている。花々が咲き誇る花壇の傍らに、影そのものが形になったかのような馬が一頭。首はない。首はないけれど、体はわたし達の方を向いていてわたし達のことをしっかり認識していた。
首のない真っ黒な馬の、妖精。あのおどろおどろしい姿でいて妖精で、ひいおばあちゃんとひいおじいちゃんがイギリスから連れて来た子だ。基本的にはおとなしいけれど、藍野家に不届き物が侵入しようとすれば容赦なく蹴飛ばす。
「おいおい、嬢ちゃんの家にあんなヤツいたか? この間はいなかったよな?」
「この間は私と出かけていたからですよ。お帰りなさいお嬢様、エル様」
玄関先で話しているわたし達の声が聞こえていたんだろう。中からドアが開いて、クラシカルなドレス姿の女の人が顔を見せた。いや、顔はないの。このお姉さんには、顔がない。首なしのお姉さんである。
「おいおいおいおい、どうなってんだ嬢ちゃんの家は」
「お嬢様、アフタヌーンティーの用意ができています。エル様もよければご一緒に」
「あら、ありがとうね。時間ぴったりだわ」
「わたしは後でお菓子だけいただこうかな。余ったらでいいよ」
「かしこまりました」
アフタヌーンティーと聞いて上機嫌なおばあちゃんは、わたしのことを追い抜いて家に入って行った。
「末裔って言うから結構廃れた家なのかと思ったらかなり本格的じゃねえか。割と近い世代までガチの魔法使いだった口か?」
「おばあちゃんは魔法使いだよ。一応」
「エル様、お客様を連れているのならそんなところで立ち話をしていないでお入りください」
「あぁ、ごめんね。ただいま、チェスナットさん」
首のない上半身で軽くお辞儀をして、チェスナットさんはわたしを出迎える。ドアを抜けると、靴箱の上にお姉さんの生首が置かれているのが見えた。今日はここまで持って来たから、声がすぐ近くで聞こえたんだ。
「うお! 首!」
「チェスナットさんはひいおじいちゃんの家のお手伝いさんだったの。そのまま日本に付いて来て、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんが亡くなった今もいてくれてるんだよ。庭の首なし馬は彼女の愛馬シャンパンゴールド号。黒いけど」
藍野家、もとい、セルリアン家は元々小さな貴族の家だった。それが没落して、なんやかんやあって日本にやってきた。人間の使用人にも妖精や魔物の使用人にも暇を出したけれど、主人に従わずわがままを言って残ったのがチェスナットさんだ。デュラハンという妖精で、頭と体が離れている。本気を出すとかなり強いし怖いらしい。
可憐なヘッドドレスを被り美しい金色の髪と鮮やかな青い瞳を持つ首が、クラシカルなドレスから伸びる手に抱かれた。体と首が同時にわたしの方を向く。
「エル様。何か隠し事をしていませんか?」
「えっ」
「私はお嬢様よりも、亡き旦那様や奥様よりも、はるかに長い時を生きています。数多の人間を見て来ましたから、人の変化にはかなり敏感ですよ。何か、面白いことに出会いましたね」
抱かれている首が、薄く微笑む。
「その妖怪も、それに関連しているのでしょう? 私はエル様の行いに強く口を出すことはしませんが、何か困ったり、手に負えないことがあったりしたら教えてくださいね」
「ありがとう。一人じゃないから大丈夫。でも、もう無理! ってなったら助けてもらおうかな」
「あぁ、では、その時には私がその原因を消し去りましょう」
笑顔が怖いなぁ。
ひいおじいちゃんに恩があって我が家に仕えてくれているけれど、その本性はどちらかというと善よりも悪寄りで結構危険な妖精なんだよね。時折見せる表情が、本当に怖い。首を遠くに置いてきている時の方表情が見えない分いい人そうにさえ見える。
この恐ろしい妖精がわたしの安全を守るために目を光らせていることを伝えたら、先輩はひっくり返ってしまうだろうか。
おじいちゃんとお母さんにも「ただいま」を言ってから、わたしは自分の部屋に向かった。
「思ったよりも結構ガチで魔法使いなんだな。ミナトにも教えてやろう」
狐のマスコットを机に置くと、ザクロはそんなことを言った。だいぶホラーな見た目の妖精の話はしない方がいいんじゃないかな。
「じゃあ嬢ちゃんは、もしかしたら映画の魔法使いみたいなこともできんのか? 派手なビームとか出せたら、ミナトも助かるぜ」
「ううん。わたしは折り紙を動かすことしかできないよ。それしか教えてもらってないから」
「ババアにもっと強そうなの教えてもらえばいいんじゃねえか」
「わたしの力は魔力と呼べないくらいの貧弱なもので、魔法の力って濁して言うのがちょうどいいくらいなの。だから、そんな力で強力な魔法を使おうとしたらわたしが壊れちゃう。わたしには折り紙を動かすことしかできないけれど、だからこそ、それを極めて行きたいんだ」
「へえ、魔法使いってのも大変だな。俺様はみんなビーム出せるんだと思ってたぜ」
まあ、憧れるよね。憧れる。憧れるよなぁ。あれかっこいいもんね。
映画に登場する魔法使いみたいに、色んな魔法を使えたら楽しいだろうな。危険なものもありそうだけれど、魔法使いというものは危険を顧みないものなのできっとそういう呪文に手を伸ばしたがる。
「完璧じゃない者同士、ミナトと嬢ちゃんは結構相性いいのかもしれねえな」
「そうかな。わたしの力は頭打ちだけど、先輩はいつかもっと強くなるんでしょ。向上心があるのはいいことだよね」
「強くなれるといいんだけどなぁ。俺様はずっとアイツが心配だよ。でも、嬢ちゃんが現れて少しほっとしてるんだ。想太……藤崎の小僧な。想太は話を聞いてくれるけど、聞いてくれるだけだからさ。嬢ちゃんみたいに力を持っているヤツと話ができて、協力もできるのはきっとアイツのためになるんだ。ありがとよ」
「わたしは……。わたしはただ、己の魔法使いの末裔としての好奇心を満たそうとしているだけで、そして、先輩といることで自分の技の練習ができそうだと思ってるだけだよ」
「いいんだよ別に理由はそれでも。俺様、嬢ちゃんには感謝してるんだぜ」
ありがとうを言われて嫌な気分にはならないよね。本体に伝わるかどうかは分からないけれど、「どういたしまして」と、わたしはそっと狐のマスコットの頭を指先で撫でた。
日が暮れたら、先輩のところに小鳥を飛ばそう。
「あら、エル。おかえりなさい」
「うわっ!」
後ろから声をかけられた。
びっくりして飛び上がりそうになりながら振り返ると、おばあちゃんがにこにこの優しい笑顔で立っていた。買い物に行っていたのか、エコバッグを持っている。
「た、ただいま」
「また何か連れて帰って来たのね。それは、妖怪かしら。前にもそれを連れて来たことあったわよね」
「俺様のことを見破るとは、やるな。ババアそこそこ強そうじゃねえか」
「ちょっ……」
「あらあらあら。おほほ。生意気そうな口を利く子のようね」
おばあちゃんのエメラルドグリーンの目が細められる。これはおばあちゃんの怖い顔だ。久し振りに見た。
わたしとお父さんは折り紙を動かすことくらいしかできない。でも、おばあちゃんはイギリス生まれの生粋の魔法使いだ。子供の頃に日本に来たから魔法の勉強ができる学校には行けていなくて高度な魔法は使えないけれど、その体にはわたしとお父さんなんて絶対に敵わないくらいの強力な魔法の力が流れている。それは中途半端なものなどではなくて、はっきりと「魔法使いの持つ魔力」と称していいものだ。
この間は何も言っていなかったけれど、やっぱりザクロの存在には気が付いていたんだ。
「連れて帰って来るのは構わないけどね、あの子に食べられないようにするのよ」
「口がないから食べることはないと思うけど……」
おばあちゃんは庭の方を見遣る。
我が家の庭には、人の目に映らない動物が暮らしている。花々が咲き誇る花壇の傍らに、影そのものが形になったかのような馬が一頭。首はない。首はないけれど、体はわたし達の方を向いていてわたし達のことをしっかり認識していた。
首のない真っ黒な馬の、妖精。あのおどろおどろしい姿でいて妖精で、ひいおばあちゃんとひいおじいちゃんがイギリスから連れて来た子だ。基本的にはおとなしいけれど、藍野家に不届き物が侵入しようとすれば容赦なく蹴飛ばす。
「おいおい、嬢ちゃんの家にあんなヤツいたか? この間はいなかったよな?」
「この間は私と出かけていたからですよ。お帰りなさいお嬢様、エル様」
玄関先で話しているわたし達の声が聞こえていたんだろう。中からドアが開いて、クラシカルなドレス姿の女の人が顔を見せた。いや、顔はないの。このお姉さんには、顔がない。首なしのお姉さんである。
「おいおいおいおい、どうなってんだ嬢ちゃんの家は」
「お嬢様、アフタヌーンティーの用意ができています。エル様もよければご一緒に」
「あら、ありがとうね。時間ぴったりだわ」
「わたしは後でお菓子だけいただこうかな。余ったらでいいよ」
「かしこまりました」
アフタヌーンティーと聞いて上機嫌なおばあちゃんは、わたしのことを追い抜いて家に入って行った。
「末裔って言うから結構廃れた家なのかと思ったらかなり本格的じゃねえか。割と近い世代までガチの魔法使いだった口か?」
「おばあちゃんは魔法使いだよ。一応」
「エル様、お客様を連れているのならそんなところで立ち話をしていないでお入りください」
「あぁ、ごめんね。ただいま、チェスナットさん」
首のない上半身で軽くお辞儀をして、チェスナットさんはわたしを出迎える。ドアを抜けると、靴箱の上にお姉さんの生首が置かれているのが見えた。今日はここまで持って来たから、声がすぐ近くで聞こえたんだ。
「うお! 首!」
「チェスナットさんはひいおじいちゃんの家のお手伝いさんだったの。そのまま日本に付いて来て、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんが亡くなった今もいてくれてるんだよ。庭の首なし馬は彼女の愛馬シャンパンゴールド号。黒いけど」
藍野家、もとい、セルリアン家は元々小さな貴族の家だった。それが没落して、なんやかんやあって日本にやってきた。人間の使用人にも妖精や魔物の使用人にも暇を出したけれど、主人に従わずわがままを言って残ったのがチェスナットさんだ。デュラハンという妖精で、頭と体が離れている。本気を出すとかなり強いし怖いらしい。
可憐なヘッドドレスを被り美しい金色の髪と鮮やかな青い瞳を持つ首が、クラシカルなドレスから伸びる手に抱かれた。体と首が同時にわたしの方を向く。
「エル様。何か隠し事をしていませんか?」
「えっ」
「私はお嬢様よりも、亡き旦那様や奥様よりも、はるかに長い時を生きています。数多の人間を見て来ましたから、人の変化にはかなり敏感ですよ。何か、面白いことに出会いましたね」
抱かれている首が、薄く微笑む。
「その妖怪も、それに関連しているのでしょう? 私はエル様の行いに強く口を出すことはしませんが、何か困ったり、手に負えないことがあったりしたら教えてくださいね」
「ありがとう。一人じゃないから大丈夫。でも、もう無理! ってなったら助けてもらおうかな」
「あぁ、では、その時には私がその原因を消し去りましょう」
笑顔が怖いなぁ。
ひいおじいちゃんに恩があって我が家に仕えてくれているけれど、その本性はどちらかというと善よりも悪寄りで結構危険な妖精なんだよね。時折見せる表情が、本当に怖い。首を遠くに置いてきている時の方表情が見えない分いい人そうにさえ見える。
この恐ろしい妖精がわたしの安全を守るために目を光らせていることを伝えたら、先輩はひっくり返ってしまうだろうか。
おじいちゃんとお母さんにも「ただいま」を言ってから、わたしは自分の部屋に向かった。
「思ったよりも結構ガチで魔法使いなんだな。ミナトにも教えてやろう」
狐のマスコットを机に置くと、ザクロはそんなことを言った。だいぶホラーな見た目の妖精の話はしない方がいいんじゃないかな。
「じゃあ嬢ちゃんは、もしかしたら映画の魔法使いみたいなこともできんのか? 派手なビームとか出せたら、ミナトも助かるぜ」
「ううん。わたしは折り紙を動かすことしかできないよ。それしか教えてもらってないから」
「ババアにもっと強そうなの教えてもらえばいいんじゃねえか」
「わたしの力は魔力と呼べないくらいの貧弱なもので、魔法の力って濁して言うのがちょうどいいくらいなの。だから、そんな力で強力な魔法を使おうとしたらわたしが壊れちゃう。わたしには折り紙を動かすことしかできないけれど、だからこそ、それを極めて行きたいんだ」
「へえ、魔法使いってのも大変だな。俺様はみんなビーム出せるんだと思ってたぜ」
まあ、憧れるよね。憧れる。憧れるよなぁ。あれかっこいいもんね。
映画に登場する魔法使いみたいに、色んな魔法を使えたら楽しいだろうな。危険なものもありそうだけれど、魔法使いというものは危険を顧みないものなのできっとそういう呪文に手を伸ばしたがる。
「完璧じゃない者同士、ミナトと嬢ちゃんは結構相性いいのかもしれねえな」
「そうかな。わたしの力は頭打ちだけど、先輩はいつかもっと強くなるんでしょ。向上心があるのはいいことだよね」
「強くなれるといいんだけどなぁ。俺様はずっとアイツが心配だよ。でも、嬢ちゃんが現れて少しほっとしてるんだ。想太……藤崎の小僧な。想太は話を聞いてくれるけど、聞いてくれるだけだからさ。嬢ちゃんみたいに力を持っているヤツと話ができて、協力もできるのはきっとアイツのためになるんだ。ありがとよ」
「わたしは……。わたしはただ、己の魔法使いの末裔としての好奇心を満たそうとしているだけで、そして、先輩といることで自分の技の練習ができそうだと思ってるだけだよ」
「いいんだよ別に理由はそれでも。俺様、嬢ちゃんには感謝してるんだぜ」
ありがとうを言われて嫌な気分にはならないよね。本体に伝わるかどうかは分からないけれど、「どういたしまして」と、わたしはそっと狐のマスコットの頭を指先で撫でた。
日が暮れたら、先輩のところに小鳥を飛ばそう。
