『先輩、あの後は大丈夫でしたか? あれはたぶんただの黒い犬だと思います。ザクロはこちらで預かっています』
夜。紙飛行機にそう書いて、わたしは窓から飛ばした。
鈍色屋敷から出て、その後黄瀬先輩は激しく動揺したままわたしをその場に放置して逃げ帰ってしまった。しかも、ザクロを投げ捨てて。
わたし達の前に飛び出してきたのは妖怪でも幽霊でもなかった。あれが妖怪なら、あそこまで近ければそれなりの気配があるはずだし、幽霊ならたぶんわたしも悲鳴をあげることになっていたはずだ。それに、連れて帰ってきたザクロが違うと言っているのだから違うのだ。
「あれ、犬だったよね」
「あぁ、普通の犬だな! 悪いな嬢ちゃん、ミナトのやつが情けなさすぎて」
「わたし、黄瀬先輩ってもっと頼もしくてたくましい人なんだと思ってた。学校では大人気だし、生徒会長の藤崎先輩からの信頼も厚そうだし」
「見損なったか?」
「ううん。普通の人なんだなって思った。正直最初の印象が良くなかったから、普通に思うのはいいことだよ」
「悪かったのか?」
机の上に転がっている狐のマスコットから声が聞こえている。ザクロは先輩のところから出発することはできないけれど、先輩のところに到着することはできる。それなのに、わたしに拾われてそのまま付いて来てしまった。
先輩を一人で落ち着かせてあげたい、ということなのかな。
「最初って、オマエの教室に生徒会のやつを探しに行った時?」
「ううん。夜に、変身してる姿に会った時。なんだこのコスプレ野郎! 感じ悪い! って思ったんだ。正体が先輩だって知って、あれと先輩が結び付かなくて。でも、あれの中身だと思うと先輩のこともなんだかなと思っちゃって」
「俺様の影響強く受けちまうからなぁ。まあ悪く思わないでやってくれよ。悪いのは俺の口と性格だから」
自覚あるんだ……。
「俺様程度の力をちゃんと支配できていないのは、アイツが未熟な証拠だ。あの夜だって、ぬっぺっぽうごときに振り回されて、嬢ちゃんに見付かるし」
ぬっぺっぽう。たぶん、あのよく分からない感じの妖怪の名前だよね。ザクロの口ぶりからすると、あれはそんなに凶悪なものではないんだろう。軽くあしらっておけばいいようなものに、手間取っていたんだ。
わたしは妖怪のことは詳しく知らない。だから先輩がどんなものを相手にしているのかも、見習いとしてどれくらいの力量なのかも全く分からない。
先輩は、かなり苦労しているのかもしれない。
「アイツは弱いぜ。アイツの力が弱すぎるから、俺様との契約もかなり弱い繋がりになってる。普通式神が逃げることなんてできねえんだけど、たぶん俺様が本気出せば俺様側から契約破棄できちまうぜ」
「でも、してないんでしょ。ザクロは先輩のこと信頼してるんだ」
狐のマスコットが勝手に動き出すことはない。でも、ちょっとだけ恥ずかしそうに揺れたような気がした。
「まぁ、あんなんでも俺様の大事な主だからな。だから、本当は……」
ザクロの言葉が途切れる。丁度紙飛行機が戻ってきたのだ。
本当は……。本当は、何なんだろう? 気になるけれど、きっと聞き返しても答えてくれないね。
わたしは飛んできた紙飛行機を捕まえて、開く。先輩の文字が並んでいる。
『よく考えたら犬だったかもしれない。今日は本当に申し訳ない。ザクロは明日学校に連れて来て。ごめんなさい』
ちょっぴり弱々しい文字でそう書かれている。文面を見せてあげると、ザクロはかなり大きな声で「だっせぇやつだなぁ!」と言った。
翌金曜日。
わたしはザクロをリュックからぶら下げて学校へ向かった。中に詰めてしまっても良かったんだけれど、潰れてしまったらかわいそうだから。
黙っているとただのマスコットで、中に妖怪が入っているなんて全く想像がつかない。中身だけだと妖怪が見えない人には姿も見えないし声も聞こえないんだけれど、入れ物があるから姿が見えているししゃべれば声も聞こえることがあるそうだ。
変身ヒロインもののお話だとこういう風にぬいぐるみに擬態した妖精が学校に付いて来て、それで勝手に行動して、目撃されたり騒動を起こしたりするものだ。けれどザクロはぬいぐるみのふりをしているわけではなくてマスコットの中に妖怪が入っているわけだから、擬態しているんじゃなくてそもそもぬいぐるみなんだよね。動くこともないし、おしゃべりさえしなければ何も起こることはない。
眠っているのか、おとなしくするのが上手なのか、ザクロは完全にただのマスコットになっていた。
あの人、黄瀬副会長と同じキーホルダー付けててるわ! ムキー! と、言われることはない。ゲームセンターに行けばこのシリーズのボールチェーンマスコットもぬいぐるみもビッグクッションもいくらでもある。先輩と同じものをぶら下げている人間など探せば探しただけ出てくる。この狐のキャラクターが広く知られているものでよかった。
「あっ、エルかわいいの付けてる」
「おはよう結愛」
「おは~。それゲーセンで見るやつだ。あたしもほら、見て見て」
教室に入ったわたしを出迎えた結愛が、自分のスクールバッグを見せ付けてきた。キラキラでふわふわの丸い鳥のキャラクターがぶら下がっている。
「あたしもこれゲーセンで取って来たんだ! ねえ、かわいいでしょ。これ読モの子が雑誌のインタビューでお気に入りだって紹介してて」
「へえ。キラキラだ」
「ね~」
かわいいなぁ、と結愛は狐を揉んでいる。ザクロは動じない。やっぱり入れ物がどう扱われても、中身の狐本体には影響がないんだ。
朝のホームルームが始まるまで、結愛とゲームセンターの話をして過ごした。わたしはあまり行くことがないけれど、結愛は結構行くみたい。お菓子が取れるゲームをやったり、プリクラを撮ったりするんだって。
休みの日も折り紙折ったり本読んだりして過ごしてるから、たまに外に遊びに行ってもいいかも。結愛と児童会館に行くことはあるけれど、それはちょっと違う気もする。
そうして、放課後。
わたしは生徒会室を訪れた。ノックをすると返事があった。この声は……。
「あれ、藍野じゃん。生徒会に用事?」
「大地くん」
「今日は墨谷と一緒じゃないの」
「結愛は部活だから。今日は大地くんがお留守番なの?」
「お留守番……。まあ、そうだな。おれが一番乗りみたい。先輩達たぶん掃除当番かも」
大地くんでもいいか。今日はザクロを届ける以外の予定はないから、先輩に会えなくても特に問題はないはずだよね。
わたしは狐のマスコットを差し出す。
「これは?」
「これ、廊下に落ちてて。前に黄瀬先輩が付けてるのを見たから、もしかしたらと思って」
「そうなんだ。じゃあ先輩が来たら聞いてみるよ」
「うん、よろしく」
またねと言って、わたしは大地くんと別れた。
後日、飼い主が必死に探していた迷い犬が見付かったという話を風の噂に聞いた。黒くて大きくてふわふわした犬で、鈍色屋敷の近くで見付かったんだって。
やっぱり、あれは犬だったんだ。
無事に家に帰ることができたということは、先輩が気にしていたことも解決したってことだよね。わたし、力になれたのかなれなかったのか分からないけれど、不思議なものを一緒に調べに行ったのは魔法使いの末裔としてそれなりにいい経験になったような気もしなくもない。
おばけじゃなくてよかった。
めでたしめでたし、だね。
こうしてわたしは、今まで通りの日常に戻って行く。
夜。紙飛行機にそう書いて、わたしは窓から飛ばした。
鈍色屋敷から出て、その後黄瀬先輩は激しく動揺したままわたしをその場に放置して逃げ帰ってしまった。しかも、ザクロを投げ捨てて。
わたし達の前に飛び出してきたのは妖怪でも幽霊でもなかった。あれが妖怪なら、あそこまで近ければそれなりの気配があるはずだし、幽霊ならたぶんわたしも悲鳴をあげることになっていたはずだ。それに、連れて帰ってきたザクロが違うと言っているのだから違うのだ。
「あれ、犬だったよね」
「あぁ、普通の犬だな! 悪いな嬢ちゃん、ミナトのやつが情けなさすぎて」
「わたし、黄瀬先輩ってもっと頼もしくてたくましい人なんだと思ってた。学校では大人気だし、生徒会長の藤崎先輩からの信頼も厚そうだし」
「見損なったか?」
「ううん。普通の人なんだなって思った。正直最初の印象が良くなかったから、普通に思うのはいいことだよ」
「悪かったのか?」
机の上に転がっている狐のマスコットから声が聞こえている。ザクロは先輩のところから出発することはできないけれど、先輩のところに到着することはできる。それなのに、わたしに拾われてそのまま付いて来てしまった。
先輩を一人で落ち着かせてあげたい、ということなのかな。
「最初って、オマエの教室に生徒会のやつを探しに行った時?」
「ううん。夜に、変身してる姿に会った時。なんだこのコスプレ野郎! 感じ悪い! って思ったんだ。正体が先輩だって知って、あれと先輩が結び付かなくて。でも、あれの中身だと思うと先輩のこともなんだかなと思っちゃって」
「俺様の影響強く受けちまうからなぁ。まあ悪く思わないでやってくれよ。悪いのは俺の口と性格だから」
自覚あるんだ……。
「俺様程度の力をちゃんと支配できていないのは、アイツが未熟な証拠だ。あの夜だって、ぬっぺっぽうごときに振り回されて、嬢ちゃんに見付かるし」
ぬっぺっぽう。たぶん、あのよく分からない感じの妖怪の名前だよね。ザクロの口ぶりからすると、あれはそんなに凶悪なものではないんだろう。軽くあしらっておけばいいようなものに、手間取っていたんだ。
わたしは妖怪のことは詳しく知らない。だから先輩がどんなものを相手にしているのかも、見習いとしてどれくらいの力量なのかも全く分からない。
先輩は、かなり苦労しているのかもしれない。
「アイツは弱いぜ。アイツの力が弱すぎるから、俺様との契約もかなり弱い繋がりになってる。普通式神が逃げることなんてできねえんだけど、たぶん俺様が本気出せば俺様側から契約破棄できちまうぜ」
「でも、してないんでしょ。ザクロは先輩のこと信頼してるんだ」
狐のマスコットが勝手に動き出すことはない。でも、ちょっとだけ恥ずかしそうに揺れたような気がした。
「まぁ、あんなんでも俺様の大事な主だからな。だから、本当は……」
ザクロの言葉が途切れる。丁度紙飛行機が戻ってきたのだ。
本当は……。本当は、何なんだろう? 気になるけれど、きっと聞き返しても答えてくれないね。
わたしは飛んできた紙飛行機を捕まえて、開く。先輩の文字が並んでいる。
『よく考えたら犬だったかもしれない。今日は本当に申し訳ない。ザクロは明日学校に連れて来て。ごめんなさい』
ちょっぴり弱々しい文字でそう書かれている。文面を見せてあげると、ザクロはかなり大きな声で「だっせぇやつだなぁ!」と言った。
翌金曜日。
わたしはザクロをリュックからぶら下げて学校へ向かった。中に詰めてしまっても良かったんだけれど、潰れてしまったらかわいそうだから。
黙っているとただのマスコットで、中に妖怪が入っているなんて全く想像がつかない。中身だけだと妖怪が見えない人には姿も見えないし声も聞こえないんだけれど、入れ物があるから姿が見えているししゃべれば声も聞こえることがあるそうだ。
変身ヒロインもののお話だとこういう風にぬいぐるみに擬態した妖精が学校に付いて来て、それで勝手に行動して、目撃されたり騒動を起こしたりするものだ。けれどザクロはぬいぐるみのふりをしているわけではなくてマスコットの中に妖怪が入っているわけだから、擬態しているんじゃなくてそもそもぬいぐるみなんだよね。動くこともないし、おしゃべりさえしなければ何も起こることはない。
眠っているのか、おとなしくするのが上手なのか、ザクロは完全にただのマスコットになっていた。
あの人、黄瀬副会長と同じキーホルダー付けててるわ! ムキー! と、言われることはない。ゲームセンターに行けばこのシリーズのボールチェーンマスコットもぬいぐるみもビッグクッションもいくらでもある。先輩と同じものをぶら下げている人間など探せば探しただけ出てくる。この狐のキャラクターが広く知られているものでよかった。
「あっ、エルかわいいの付けてる」
「おはよう結愛」
「おは~。それゲーセンで見るやつだ。あたしもほら、見て見て」
教室に入ったわたしを出迎えた結愛が、自分のスクールバッグを見せ付けてきた。キラキラでふわふわの丸い鳥のキャラクターがぶら下がっている。
「あたしもこれゲーセンで取って来たんだ! ねえ、かわいいでしょ。これ読モの子が雑誌のインタビューでお気に入りだって紹介してて」
「へえ。キラキラだ」
「ね~」
かわいいなぁ、と結愛は狐を揉んでいる。ザクロは動じない。やっぱり入れ物がどう扱われても、中身の狐本体には影響がないんだ。
朝のホームルームが始まるまで、結愛とゲームセンターの話をして過ごした。わたしはあまり行くことがないけれど、結愛は結構行くみたい。お菓子が取れるゲームをやったり、プリクラを撮ったりするんだって。
休みの日も折り紙折ったり本読んだりして過ごしてるから、たまに外に遊びに行ってもいいかも。結愛と児童会館に行くことはあるけれど、それはちょっと違う気もする。
そうして、放課後。
わたしは生徒会室を訪れた。ノックをすると返事があった。この声は……。
「あれ、藍野じゃん。生徒会に用事?」
「大地くん」
「今日は墨谷と一緒じゃないの」
「結愛は部活だから。今日は大地くんがお留守番なの?」
「お留守番……。まあ、そうだな。おれが一番乗りみたい。先輩達たぶん掃除当番かも」
大地くんでもいいか。今日はザクロを届ける以外の予定はないから、先輩に会えなくても特に問題はないはずだよね。
わたしは狐のマスコットを差し出す。
「これは?」
「これ、廊下に落ちてて。前に黄瀬先輩が付けてるのを見たから、もしかしたらと思って」
「そうなんだ。じゃあ先輩が来たら聞いてみるよ」
「うん、よろしく」
またねと言って、わたしは大地くんと別れた。
後日、飼い主が必死に探していた迷い犬が見付かったという話を風の噂に聞いた。黒くて大きくてふわふわした犬で、鈍色屋敷の近くで見付かったんだって。
やっぱり、あれは犬だったんだ。
無事に家に帰ることができたということは、先輩が気にしていたことも解決したってことだよね。わたし、力になれたのかなれなかったのか分からないけれど、不思議なものを一緒に調べに行ったのは魔法使いの末裔としてそれなりにいい経験になったような気もしなくもない。
おばけじゃなくてよかった。
めでたしめでたし、だね。
こうしてわたしは、今まで通りの日常に戻って行く。
