まだ君は知らない、君の歌




 ──そして。

 曲が終わると同時に、部室は、しんと静まり返った。

 私は、はっと我に返る。
 手が震えていた。呼吸も荒くなっている。
 何をしたのか分からなかった。

 だけど──


「──最高」


 最初に口を開いたのは、奏良だった。
 瞳をまっすぐに輝かせて、はっきりと、強く言った。


「やっぱり、俺の耳は間違ってなかった」

「……すげぇな」


 低く、夏目隼人の声が響いた。
 目を見開いたままの彼は、信じられないものを見るように私を見ていた。


「今の……まじ?」


 朝倉真緒がぽつりと呟く。
 さっきまで甘えたような声だった彼までが、真剣な目をしていた。


「本物だな」


 黒瀬悠の短い言葉は、それ以上何も要らないくらいだった。

 そして──

 奏良は、私の正面で静かにギターを置いた。
 優しい目で、穏やかに笑う。


「やっぱり……君だったんだ」


 その声は、まるで恋人に囁くみたいで。
 私は思わず息を呑んだ。


「……俺の曲に命を吹き込めるのは、君だけだよ」


 逃げ出したいくらい恥ずかしくて。
 けれど、私は動けなかった。
 奏良の声が、心に刺さって動けなくしていた。


「──ようこそ、俺たちのバンドへ」


 その瞬間、私は──知らない世界に引きずり込まれた気がした。


「……わ、私……」


 自分の声がまだ震えていた。
 さっきまで確かに歌っていたのに。あんな大きな声が出たのに。今はもう怖くてたまらなかった。
 なのに──


「うん。……君は、俺の理想だ」


 奏良はまっすぐに私を見つめてそう言った。
 それがあまりにも真剣で、私は視線を逸らせなかった。


「ねぇ、一ノ瀬絃音さん」


 呼び捨てでもなく、“ちゃん”付けでもなく。
 丁寧に“さん”と呼ばれるその響きが、やけに心に残る。


「君の声を、俺の音楽に貸してくれない?」

「……でも……」

「お願い」


 拒否する間も与えず、穏やかに。でも真剣に。
 彼は音楽の話になると、遠慮なんてしない。
 そんな目をしていた。


「俺、君の声じゃなきゃ駄目なんだ」


 心臓が跳ねた。

 それは“音楽”の話。
 それだけは分かっている。
 だけど──それなのに。

 なぜだろう。奏良の言葉は恋みたいに響いた。


「でも……私……」


 涙が出そうだった。
 怖くて、不安で、何も分からなくて。

 そんな私の頭を、誰かがぽんと撫でた。
 驚いて見上げると、そこにいたのは夏目隼人だった。


「無理だと思うならやめりゃいい」

「……」

「けど、本気でやりたいなら──付き合ってやる」

「わぉ、隼人〜。急に何イイ奴ぶってんの〜?」


 真緒がニヤニヤと笑いながら彼を揶揄(からか)った。


「は? ぶってねぇし」


 隼人はぶっきらぼうに言い返した。
 でも、手はそのまま私の頭に乗せられていて──乱暴に撫でているだけなのに、温かかった。


「やってみたらいい。無理なら俺が先に止める」

「……うん……」

「声は──」


 無口だった黒瀬悠が、ぽつりと呟く。


「本物だった」


 たったそれだけ。
 けれど、その一言が──私の背中を押した。

 ──私なんかでも、歌っていいのかな。
 

「……ありがとう、ございます」


 気づけば、私はそう呟いていた。
 震えながら。でも、少しだけ前を向いて。

 その声に、奏良は嬉しそうに笑った。


「決まりだね」


 そう言って、手を差し伸べてきた。
 私は迷いながらも、その手を取った。

 運命の人みたいに──なんて、思うわけないのに。
 だけど、あの瞬間。私は確かにそう感じてしまった。


「じゃあ、改めて」


 奏良はギターを背負い直し、私の手を握ったまま言った。


「ようこそ。一ノ瀬絃音さん。君は、俺たち《Re:st》のボーカルだよ」


 その言葉に。
 私は、ようやく逃げるのを諦めた。