まだ君は知らない、君の歌




 静寂の中、ギターの音だけが響いていた。

 片桐奏良の指が、迷いなく弦を弾く。黒いピックが、細く長い指のあいだから覗く。
 曲は、さっき教室で口ずさんだ流行りの歌。

 その音は柔らかくて、だけど力強くて。私の胸の奥を、何かが叩いた。


「大丈夫」


 小さく、奏良が呟く。


「声は、もう君の中にあるから」


 震えている私の手は、膝の上で握り締められていた。
 怖い。
 声を出すのが怖い。
 さっきは「俺のためだけに」って言っていたけれど、部員(ほか)の人もいる。誰かに聴かれるなんて、無理──

 でも。

(……この音……)

 ギターの音は、優しく寄り添ってくるみたいだった。
 私の恐怖や不安を包むように。
 逃げなくていいよ、と言ってくれるように。

 いつの間にか、私は小さく声を出していた。


「……あ……」


 自分でも情けなくなるほど小さな、震える声。
 でも奏良は、止めなかった。
 ギターは途切れず、ずっと私の隣で鳴っている。

 そして、奏良が目で合図をくれる。

 ──今だ。

 私は、喉を震わせた。


「──君がいない朝に、目覚めるたびに──」


 私は──声を重ねていった。
 音に導かれるように。

 それは確かに“歌”だった。でも、小さく縮こまって、震えたまま。

(……私……歌えてる……?)

 情けなかった。こんな声しか出せないなんて。
 でも、ギターの音は私を拒絶しなかった。
 受け止めてくれると分かった。

「──胸の奥が、痛くなるのはどうして──」

 気づけば、震えながらも音を重ね続けていた。
 それを奏良は──


「……いいね」


 柔らかく肯定した。


「そのまま……もっと、声を出して」

「──……っ」


 怖さが、少しだけ溶けた。
 私は、勇気を出して──声を強くした。

 次の瞬間。

「──会いたいと願って 君の名前を呼ぶの──!」

 声が、音と溶け合った。

(……え?)

 自分でも驚くほど、透き通った音が教室に響いた。

 思わず自分で、自分の声に戸惑う。
 喉が開く。お腹の底から音が湧き出す。

 こんな声、私、出したことない。
 出せるなんて思っていなかった。

 でも奏良は、口元に笑みを浮かべながら、迷わず弾き続けている。

 彼のギターの音が私の背中を押してくれる。
 もっと声を出していい。そう言ってくれる音だった。

(……怖くない)

 気づけば私は──全力で歌っていた。
 怖さも不安も忘れて。
 自分でも驚くほどの声量で。

(私……歌ってる……!)

 音が全身を駆け抜ける。
 まるで自分の体じゃないみたいだった。
 けれどそれは──確かに私の“声”だった。