Blue Moon〜小さな夜の奇跡〜

「小夜、おはよう!」
「おはようございます、店長」

一週間が経ち、手首の具合も元通りになった小夜は職場に復帰した。
まずは朝、楽器店に出勤する。
カウンターで開店準備をしていると、四十代の女性店長がやって来た。
小夜はすぐさま、店長に頭を下げる。

「お休みさせていただいて、ありがとうございました」
「ううん、いいのよ。それよりもう大丈夫?」
「はい。すっかりよくなりました」
「そう。ピアノも弾けるの?」
「ええ。今夜からバーでの演奏も再開します」
「それならよかった。じゃあ、早速これ店頭に並べてもらえる? 入荷したポップスのピアノ曲集。今日が発売日なの」
「わかりました。すぐにやりますね」

ダンボールに入っていたピアノの楽譜本を数冊手に取り、ポップスの棚に並べていく。
目につきやすいように、平積みでも何冊か重ねた。

開店時間になると、続々と入ってくるお客様に「いらっしゃいませ」と笑顔で挨拶する。

(あれ? いつもより多いな)

開店直後にしては珍しく、ドッと若い女性が詰めかけてきた。

「あるかな。あ、あった!」

お目当ての楽譜が見つかったらしく、嬉しそうに手に取りレジに並ぶ。

「ありがとうございます。お預かりいたします」

受け取った楽譜本は、今しがた小夜が並べたばかりのピアノ曲集だった。
次も、そのまた次も、同じ楽譜本が飛ぶように売れていく。

(ええ!? いったい、誰の曲なの?)

ブルーの表紙には『So Cool』と書かれ、アーティスト名は『想』とある。
ポップスには疎く常に勉強しようとしている小夜だったが、聞いたことがなかった。

(So Cool? どういう感じの曲なんだろう)

そんなことを考えつつ、とにかく手際よく会計作業を進める。
ようやく列が途切れると、ホッと息をついた。

「さすがねー、まさかここまでの勢いで売れるとは」

隣のレジから店長が声をかけてくる。

「店長、このアーティストご存知なんですか?」

そう聞くと、店長は目を見開いて仰け反った。

「当たり前でしょー! 知らない方がびっくりよ」
「そうなんですね。すみません、勉強不足で」
「勉強しなくても、嫌でも耳に入ってくるわよ。今一番注目されてる新進気鋭のシンガーソングライター。それについ最近、初めてアリーナコンサートも開いて話題だったのよ? ずっとベールに包まれてた謎のアーティストが、ようやくメディアにお披露目されてね。しかも、てっきり見た目がイマイチだから顔出しNGなんだと思ってたのに、これがびっくり! イケメンだったのよー」

店長は両手で頬を押さえて身悶える。

「珍しいですね、店長もポップスよりクラシック派なのに」
「もうね、そういうジャンルも飛び越えちゃうのよ。いいものはどうやってもいい! イケメンはどうやってもイケメン!」
「そ、そうですか」

勢いに負けそうになり、小夜は乾いた笑いでごまかした。

「まあ、まだ知名度も抜群とは言えないし、若い女性だけが盛り上がってる感じはするけどね。でも必ずもっと人気が出るわよ、彼は」
「そうなんですね。私もあとで聴いてみます」
「うん、ぜひ!」

その時、またしてもその本を手にしたお客様が列を作り、小夜たちは会計に追われた。