Blue Moon〜小さな夜の奇跡〜

「今夜は満月なんですね」

呟く小夜に、想も窓の外に視線を移して答えた。

「ああ。ブルームーンだ」

すると小夜は驚いたように振り返る。

「えっ? それって、さっきお話ししてくださった?」
「そう。数年に一度しか見られない」
「すごい! なんて素敵なの。奇跡みたいな夜……」

再び窓の外に見とれる小夜の横顔を、想はじっと見つめた。

「……セレナーデ」
「え?」

思わず呟いてしまい、右手で口元を覆った。

「いや、その……。君の名前の由来。ひょっとして、セレナーデなのかと思って」
「そうです、小夜曲から来ています。よくわかりましたね」
「ああ、俺も似たような感じだから」
「来栖さんの名前も?」

下の名前を聞かれそうになり、想は慌てて話題を変えた。

「えっと、着替えてから帰るか? そのドレスのままって訳にはいかないだろ」
「いえ、タクシーですから大丈夫です」
「だけど、こんな深夜に……。タクシードライバーに狙われたらどうする? 車は密室だし危ない」
「ええ? そんなの考えたこともありません。あり得ないですよ」
「どうしてそう言い切れる? だいたい君は危機感がなさ過ぎる。男の部屋で呑気にコーヒーなんか飲んで」
「は? 来栖さんが誘ったんですよね?」
「だからって信用するな」

真顔できっぱり言うと、小夜はキョトンとしてから吹き出して笑う。

「来栖さんって、おかしい! 真面目に私を説教してるのかと思ったら、信用するな、なんて」

ひとしきり笑うと、目尻に浮かんだ涙を拭いながら、小夜は想に微笑みかけた。

「あのピアノを聴いたら、来栖さんがどんな人なのかすぐわかります。純粋で真っ直ぐで、想いがこもった演奏」
「……想いが、こもった?」
「はい。あなたは心が綺麗で優しい人です。でなければあんな音は出せません。ブルームーンの満月と、忘れられないあなたの演奏……。今夜は本当に、奇跡みたいな夜でした」

清らかな小夜の微笑みに、想はなにも考えられなくなる。
ずっと忘れていた誰かの温もりに触れた気がした。
もう何年も孤独で冷たかった心を、そっと包み込んで温めてくれる、そんな優しい微笑みだった。

「……俺にもくれないか? 奇跡みたいな夜を」
「え?」

小さく首をかしげる小夜に手を伸ばし、その頬をそっと手のひらで包む。

「たったひと晩だけでいい。小さな夜を、俺に……」

視線を上げた小夜を、想は真っ直ぐに見つめた。
息を呑んだ小夜の綺麗な瞳が、ほんの少し涙で潤んで揺れる。

想はゆっくりと小夜に顔を寄せていく。
互いの吐息が触れ合う距離まで来ると、小夜がそっと目を閉じた。
その唇に柔らかくキスをする。
その瞬間、二人の心と心も小さく重なった気がした。

想は両手で小夜を抱きしめながら、口づけを重ねる。
だんだん熱く、深く……。
何度も、何度も。
想の胸元をキュッと握りながらキスを受け止めていた小夜が、時折ふっと吐息をつき、その妖艶さに想はたちまち溺れていく。

(ブルームーンの奇跡の夜。たったひと晩、今夜だけは……)

心の中でそう自分に言い聞かせる。
腕の中からすり抜けてしまいそうな幸せを逃すまいと、想は強く小夜を抱きしめていた。