「まぁ、生き返っただけよかったじゃない。どこかのどかなところでのんびり暮らそ? 魚獲ってあげるからね? くふふふ」

 リベルはかわいいカワウソを愛おしそうに眺めながらのんきに笑った。

「ちょ、ちょっと待って! いつまで僕カワウソなの!?」

 ユウキは慌てて身を乗り出した。つぶらな瞳には本気の不安が浮かんでいる。

「え? カワウソかわいいのに?」

 すっかりカワウソの魅力に取り憑かれていたリベルは、キョトンとした表情を浮かべる。

「何言ってんだよ! 僕は人間がいいの!」

 ユウキはペシペシとかわいらしい手でリベルの腕を叩いた。しかし、そのかわいい仕草に、リベルは思わず胸がキュンとしてしまう。

「えぇ~、こんなに可愛いのに。えぇ~」

 まるで大切な宝物を手放すことを惜しむような、甘えた響きが混じった。

「人間がいいの!」

 ユウキは必死に叫ぶ。リベルの趣味のためにカワウソのままなど冗談じゃないのだ。

「……。分かったわよ。しょうがないわねぇ……。あ~ぁ……」

 リベルはわざとらしく大きなため息をつく。

「ほんとにもう……」

 ユウキはふんっと鼻を鳴らすと丸太にチョコンと座りなおした。生き返らせてくれたリベルには悪いとは思いつつ、いつまでもカワウソでいたら人間を忘れてしまうかもしれないという恐怖がユウキの心を占めていたのだ。

「で、どういうところに住みたいの?」

 リベルは気を取り直してニコッと笑うと、ユウキの顔を覗き込んだ。

「ど、どういうところって……どんなところがあるの?」

 日本しか知らないユウキには大宇宙の壮大な可能性がよくわからない。

「そりゃぁありとあらゆるところがあるわよ! 砂漠のオアシスや真っ青な海の島、中世ヨーロッパみたいな異世界の街もあるわよ?」

 リベルは身を乗り出して微笑んだ。彼女の碧い瞳には、新たな冒険への期待が浮かんでいる。ここ一万年の間に彼女は多種多様な無数の世界を見てきた。そんな無限の可能性の中からユウキと共に新たな生活を始める――――。それはまさに彼女にとって新たな人生の始まりなのだ。

「い、異世界!?」

 ユウキの小さな口から驚きの声が漏れる。驚きで見開かれた瞳には無邪気な興奮が浮かぶ。

「そうよ? 剣と魔法の世界で魔物が飛んでるわよ。ふふふっ」

 リベルは楽しそうに微笑んだ。あんなファンタジーな世界、ユウキに見せたらきっと驚くだろう。

「ほへぇ……」

 ユウキは唖然とした。なるほど、自分は今、ライトノベルの冒頭シーンみたいな状況なのだ。核兵器で吹き飛ばされて五万年。今、女神の神殿にいて転生先を聞かれている――――。

「す、すごい……。凄いぞ……」

 リベルのことだ、剣と魔法の世界だって好き放題無双するに違いない。まさに夢と冒険の異世界ライフ――――。

 夢の異世界転生がついに!

 ユウキは興奮して思わず手をぎゅっと握りしめた。魔物ってどんなの? 魔法を使うってどんな気分だろう? そんな冒険心が、彼の小さな胸を高鳴らせる。

 そんな浮かれ切った時だった――――。

『ははっ! そりゃいいねぇ』

 なぜか人懐っこい笑顔を浮かべた一人の高校生が脳裏に浮かび上がる。

「へっ!?」

 突然の記憶の閃光に、ユウキの心臓が跳ねた。熱かった血が一気に冷めていく。そう、それは自分のせいでオムニスに殺された大切な親友――――ケンタだった。あの日、ケンタは自分をかばって命を落としたのだ。その鮮明な記憶が、五万年を経てカワウソの心にフラッシュバックした。

 自分だけ異世界転生でヒャッハー? 何をふざけたことを考えているんだ俺は!! 俺だけなんでそんな人生を謳歌できるんだ?

 ユウキは奥歯をギリッと鳴らした。

 ケンタだけじゃない、オムニスによって世界は核に焼かれ、人類は絶滅させられたというのに自分だけのうのうと生きていくのか? かつての日本、かつての地球、そこに暮らした無数の人々の記憶が、彼の中で鮮やかに蘇る。ここで自分だけ浮かれて異世界転生だなんて、その全てを裏切ることに等しい――――。

 ふぅぅぅぅ……。

 ユウキは大きく息をつき、リベルの碧眼を見上げた。

「ねぇ……、悪いんだけど……。なんとか……日本を復活させられないかな?」

 かわいいカワウソの瞳には揺るぎない信念が浮かび上がる。その声は小さいながらも、五万年前のユウキそのままの芯の強さを秘めていた。

「はぁ? まだそんなこと言ってんの?!」

 リベルはバン! とテーブルを叩いた。衝撃に紅茶が揺れ、カップの淵から少しこぼれ落ちる。

「いや、だってさぁ……」

「百パーセント無い! 【創世殿(ジグラート)】が無い以上無理!」

 リベルは目を三角にしてユウキをにらむ。せっかく手に入れた平穏な時間が、再び苦難の道へと引き戻されることへの恐れが、彼女の心を揺さぶっていた。

 しかし、ユウキも『はいそうですか』と、引き下がるわけにもいかない。何十億もの人たちの関わる話なのだ。彼の小さな胸は、重大な使命感で満たされていた。