〇アパートの部屋の前にて・朝
和也「おっ」
萌々子「あ」
同じタイミングで玄関を出た二人は、顔を見合わせて固まる。
和也「萌々、おはよ」
萌々子「……うん。おはよう、和也くん」
二人で笑い合い、そのまま流れで一緒に大学へ向かう。
萌々子(和也くんと、まさかのお隣さんだったということが分かった。これまではタイミングが合わなかったのか、全然顔を合わせることがなかったけど……あの夜から、こうしてばったり顔を合わせることも増えて。それからは、こうして一緒に大学に向かうことも多くなったんだ。……嬉しいな)
和也「今日の一限、音楽表現だろ? 何するか、萌々は聞いてる?」
萌々子「え? この前は全体の講義内容の説明を聞いてから、音楽室で発声練習をしたし……その続きとか?」
和也「その通り。でもさ、発声練習をする場所が意外な場所なんだよな」
面白そうに笑っている和也に、萌々子は小首を傾げる。
〇海にて・講義中
萌々子(見渡す限り、どこまでも続いているような青い海が、きらきらと光っている。――どうやら今日の講義は、海でおこなわれるみたいです)
教員「よし、皆集まったな。それでは今日はここで、発声練習をする」
教員の指示で横一列に並んだ生徒たちは、教員の真似をしながら一斉に声出しを行う。
亜紀「はぁ、最悪。海にくるなら、もっと念入りに日焼け止めを塗ってくるんだったわ」
萌々子の隣では、亜紀がボソリと文句を言っている。
教員「うん、いい感じに声が出てきたな。それじゃあ今から、皆で童謡の「海」を歌うぞ。海に向かって、腹から声を出して歌え」
教員の言葉に、生徒たちは
「えー、ウケる」
「海に向かって歌うとか、何か青春って感じしない?」
「海って、うーみーは、広いーな、ってやつだよね?」
「この前の講義でちょこっと歌ったじゃん。あれだよ」
などと、それぞれ話している。
教員「よし、それじゃあ歌うぞ。さん、はい!」
幼保生徒「「うーみーは、ひろいーな、おおきーいーなー」」
生徒三十人ほどの歌声が浜辺に響き渡る。
大きな声を出すことが得意ではない萌々子は、中々大きな通る歌声が出せない。
教師「――今日の授業はここまで! ここで解散とする」
講義が終わった後、萌々子は教員からアドバイスを受ける。
教員「花海は、もっと腹から声を出すんだぞ。へその下あたりの、丹田を意識してみろ。グッと力を入れながら声を出すといい」
萌々子「は、はい!」
大きな声を出すことができなかったという自覚がある萌々子は、少しだけ落ち込む。
亜紀「次の時間は空きコマだけど、萌々はこの後どうする?」
萌々子「亜紀ちゃんは、家に戻るんだっけ?」
亜紀「そう。ちょっと彼氏と会ってくるね」
萌々子(亜紀ちゃんには年上で社会人の彼氏がいるらしいんだけど、すごく可愛い人なんだって。見た目がっていうよりは、性格が。亜紀ちゃんのことを溺愛しているみたいだし、亜紀ちゃんも、そんな彼氏さんのことを大切に思っていることが伝わってくる。すごく素敵な関係だよね)
萌々子「私は、もう少しここに残るね。」
亜紀「それじゃあ私は先に戻ってるから。けっこう日差しが強いし、熱中症には気をつけるのよ」
萌々子「ふふ、はーい。また後でね」
亜紀に手を振って別れた萌々子は、ひと気の少なくなった海辺を意味もなくのんびり歩く。そこに和也がやってくる。
和也「萌々。もしかしてこの後、声出しの練習しようとしてた?」
萌々子「……どうして分かったの?」
和也「萌々、案外負けず嫌いなとこあるだろ。あと努力家。さっき先生にアドバイス受けてたから、発声練習しようとしてんのかと思って」
萌々子「……うん。ひと気がなくなるまで待ってようと思ったんだ。大きな声を出せる場所って限られてるから」
和也「それさ、俺も一緒にやってもいい?」
萌々子「え? 私は全然いいけど……でも、いつものお友達はいいの?」
和也「いいんだよ。別にいつも一緒にいるわけじゃないからさ」
遠くの方では、和也のもとに行こうとしている希美を、俊がなだめながら連れて行ってくれている。
(→俊は、和也はあの女の子のこと(萌々子)が好きなんだろうなぁと気づいていて、こっそりアシストしてくれている)
和也「そんじゃあさ、せっかくだし勝負しない?」
萌々子「勝負って、どんな?」
和也「そうだなぁ……大きい声を出せなかった方が、罰ゲームでアイスを奢るとか。近くに人気のアイスクリーム屋があるんだってさ」
萌々子「それはいいけど……でも、それじゃあ罰ゲームにならないよ」
和也「何で?」
萌々子「だって、和也くんと一緒にアイスを食べに行けるなら、それだけで嬉しいから」
和也「……」
萌々子「……って、ちがくて、その……ごめんね! あのね、変な意味はないんだけど……!」
萌々子は思わず本音をこぼしてしまう。遅れて自分が何を言ったのか理解した萌々子は、顔を赤らめて慌てる。
しかし見上げた先にいた和也の顔を見て、言い訳しようとしていたのを止める。
和也「……うん、俺も。そんじゃあ発声練習したらさ、勝負は関係なしで、一緒にアイスでも食べに行きますか」
和也も薄っすら顔を赤らめながら、はにかんでいる。
萌々子「……うん、行きたい」
和也「よし、決まりな。それしゃあ、一緒にもう一回「海」でも歌いますか」
萌々子「うん。おへその下に力を入れて、お腹から声を出す……」
和也「頑張れ、萌々」
二人で「海」を歌ってから、そのまま並んでアイスクリーム屋に向かう。
和也との時間を独り占めできて、萌々子は嬉しいと感じている。
〇アイスクリーム屋にて
店内には同じ星明大学生らしき若者たちが座っていて満席なので、萌々子と和也は店前の長椅子に座る。
二人でジェラートを食べていれば、舗道の向こう側を、お散歩カートに乗せられた一歳くらいの園児たちが通りかかる。目が合った萌々子と和也が手を振れば、園児たちも嬉しそうに手を振り返してくれる。
萌々子「ふふ、可愛いねぇ」
和也「だな。あのお散歩カートに乗ってる子どもたちって、何であんなに可愛く見えるんだろうな」
萌々子「本当に。ただでさえ可愛すぎる生き物たちが、カートにぎゅって集められてる感じがね、こう……たまらないっていうか」
和也「いや、言いたいことはめちゃくちゃ分かる」
二人でしみじみと子どもの可愛さについて語る。
和也「俺たちも、来月にはキャンパス内の園での模擬実習が始まって、秋には外部の施設で本格的な実習が始まるんだもんな」
萌々子「本当にあっという間だよね。全然実感がわかないけど、頑張らないと」
萌々子はスマホを取り出してスケジュールを確認する。
和也「……それ」
和也が視線を向ける先は、萌々子のスマホにぶら下がっている桃の花のストラップ。幼少期に和也がプレゼントしたもの。
萌々子「これね、本当はカバンに付けてたんだけど、紐が弛んできちゃって。新しいのに替えるついでに、スマホに付けることにしたんだ」
和也「まだ、持っててくれたんだな」
萌々子「当たり前だよ。私の宝物だもん」
桃の花のストラップを見ながら幼少期のことを思いだした萌々子は、ずっと気になっていたことを和也に尋ねる。
萌々子「私ね、和也くんに、ずっと聞きたかったことがあるんだ」
和也「何?」
萌々子「……どうして、手紙の返事を返してくれなくなったの?」
萌々子(ずっと不安だった。私のことなんて、もう忘れちゃったのかなって。だから、会いに行くこともできなかった。連絡することすらできなかった。迷惑そうな顔をされたらどうしようって、怖かったから)
萌々子はうつむいて膝の上の手をぎゅっと握りしめる。
少しの間をおいて、和也が口を開く。
和也「……実はさ。俺、留学してたんだ」
萌々子「え、留学?」
和也「そう。それでバタバタしてて……手紙の返事を返せなくなったんだ。ごめんな」
(→本当は別の大きな理由があるが、それをここで萌々子に伝えることはしない)
和也は心底申し訳なさそうな顔をして謝罪する。
萌々子は慌てて首を横に振る。
萌々子「ううん、全然大丈夫だよ! ただね、和也くんに何かあったのかなって心配だったし、私のこと、もう忘れちゃったのかなって……少し、不安だったんだ」
和也「……前にも言ったけどさ、俺が萌々のことを忘れた日はなかったよ。俺にとって萌々は、大切な幼なじみで……本当の妹みたいに可愛い存在だからな」
萌々子「……うん。ありがとう、和也くん」
和也の「忘れたことはなかった」という言葉に萌々子は嬉しさを感じながらも、妹のような存在と言われて、胸が痛むのを感じる。
萌々子(妹、かぁ。……やっぱりそうだよね。和也くんにとったら、私はあの頃の泣き虫な存在のままで。だからこうして気にかけてくれて、優しくしてくれるんだ。それがすごく嬉しいのに……ちょっとだけ、苦しいな)
話している二人を、偶然通りかかった理生が、少し離れたところで見つめている。



