*
その日の視察を終えて屋敷に戻ると、父が私の部屋を訪れた。
「ユディット。王城から書状が届いている」
「私に?」
「ああ。お前と、テオドア君への連名だ」
王太子夫妻が主催するお茶会に、夫婦そろって出席せよ――という招待状だった。先月結婚したばかりの王太子夫妻が社交界に顔を広げる目的で開くもので、同世代の貴族が広く招かれるらしい。とくに王太子妃は他国から嫁いできた姫君なので、親しい友人がほとんどいないとか――人脈作りの意味合いが強いのだろう。
しかし私は正直、気が重かった。王都に出向くだけでも、往復で1週間以上かかってしまう。領内の仕事が滞ってしまうし、何より出費が大変だ。
「またドレス代が……」
こうした社交の場では、毎回ドレスを新調するのが暗黙のルールである。しかし我が家は、ドレスを一着作るだけでも痛手になるような貧乏貴族……。しかも夫婦宛ての招待状だから、テオドア様と同行しなければならない。
その日の夕方、珍しくテオドア様が屋敷に戻って来た。王太子夫妻からの招待状を見せると、案の定大喜びだった。きっと彼は大金をはたいてスーツを新調し、楽しいお茶会の時間を過ごすことだろう。テオドア様が貴婦人方にもてはやされて上機嫌になる姿を想像して、私は深い溜息をついた。
*
――そしてパーティ当日。
豪華絢爛な会場に踏み入れた私は、圧倒的な存在感を放つ美女に目を奪われた。私だけでなく、そこにいる者たちは皆彼女に釘付けになっている。
王太子妃・マリアンヌ。まさに大輪の薔薇のような、華やかに輝く美貌の持ち主である。『他国から来たワガママなお姫様』――などと世間では揶揄されているようだが、気の強そうな目元と豪奢な装いが、その評判を裏付けているようにも思える。
マリアンヌ妃とは対照的に、隣に並ぶ王太子ルイス殿下は存在感が希薄だった。無礼を承知で表現すると、非常に質素で地味なのである。帝王の風格よりも、むしろ裏方仕事に徹する文官気質の人物に見える。政略で結ばれたルイス殿下とマリアンヌ妃だが、『性格も容姿もまったく対照的だから上手く行かないのでは……?』というのが、社交界で囁かれている話だ。
(たしかにルイス殿下とマリアンヌ妃殿下が並んでいても、お似合いには見えないわね。……まあ、私達夫婦も不釣り合いなのは同じだけれど)
などと私が思っていた、そのとき。
マリアンヌ妃が、じっとこちらを見つめてきた。扇で口元を隠しているから、表情はよく分からない。しかし熱い視線でこちらを――おそらくは、私の隣のテオドア様を見つめている。
その視線に気づいたのだろう。テオドア様は私に一言、「君はここで待っていたまえ」と得意げに言い残すと、優雅な足取りでマリアンヌ妃のもとへ向かっていった。マリアンヌ妃との会話が終わった後には、見目麗しいご婦人方がテオドア様を取り囲む。テオドア様は、甘い笑顔を振りまいていた。
私はと言うと、ぽつんと一人取り残されて、気配を消すようにしてお茶会が終わるのを待っていた。
――こんなのは想定のうちだもの。私は、こんなことで傷つきはしないわ。
*
思いがけない出来事が起こったのは、お茶会を終えてバルデン伯爵領に戻ったあとのこと……。
王太子妃マリアンヌから、個人的な書状が届いたのである。しかも「もう一度、バルデン夫妻に王城に来てほしい」という内容だった。今度は大規模なお茶会ではなく、ごく個人的な対話をお望みだとも綴られている。
それを知ったテオドア様は、まるで子供のようなはしゃぎぶりだった。
「やった、ついに来たぞ! 愛人の打診だ!!」
浮かれきった夫の言葉に、私は言葉を失った。
この国には古くから、奇妙な習慣があると聞く……。王族が愛人を迎える際、ご所望の相手が既婚者だった場合には、ひとまず夫婦一緒に呼び出すのだ。そしてご所望の相手と深い関係を結び、配偶者に親密性をまざまざと見せつけて身を引かせる。――建国初期のとある王妃から始まった風習だと聞くが、正直言って悪趣味だ。
たしかに今回の書状には、私達夫婦の名前が連ねられている。しかしテオドア様は、
「おや、君も行くつもりなのかい? 無粋な真似はよしてくれ。目的が明らかな場合は、配偶者のほうから身を引くのが礼儀だよ。そんなことは、この国の貴族ならばみんな知っている」
などと言って、ひとりでさっさと王都に向かってしまった。
「本当に…………なんなの? あの人は」
私はなんて惨めな妻なんだろう。屈辱に、歯を食いしばるしかなかった。
けれど、それからほどなくして王城からの使者が屋敷に訪れた。その使者からの思いもよらない知らせに、私は声を裏返えさせた。
「……夫が、投獄された!?」
その日の視察を終えて屋敷に戻ると、父が私の部屋を訪れた。
「ユディット。王城から書状が届いている」
「私に?」
「ああ。お前と、テオドア君への連名だ」
王太子夫妻が主催するお茶会に、夫婦そろって出席せよ――という招待状だった。先月結婚したばかりの王太子夫妻が社交界に顔を広げる目的で開くもので、同世代の貴族が広く招かれるらしい。とくに王太子妃は他国から嫁いできた姫君なので、親しい友人がほとんどいないとか――人脈作りの意味合いが強いのだろう。
しかし私は正直、気が重かった。王都に出向くだけでも、往復で1週間以上かかってしまう。領内の仕事が滞ってしまうし、何より出費が大変だ。
「またドレス代が……」
こうした社交の場では、毎回ドレスを新調するのが暗黙のルールである。しかし我が家は、ドレスを一着作るだけでも痛手になるような貧乏貴族……。しかも夫婦宛ての招待状だから、テオドア様と同行しなければならない。
その日の夕方、珍しくテオドア様が屋敷に戻って来た。王太子夫妻からの招待状を見せると、案の定大喜びだった。きっと彼は大金をはたいてスーツを新調し、楽しいお茶会の時間を過ごすことだろう。テオドア様が貴婦人方にもてはやされて上機嫌になる姿を想像して、私は深い溜息をついた。
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――そしてパーティ当日。
豪華絢爛な会場に踏み入れた私は、圧倒的な存在感を放つ美女に目を奪われた。私だけでなく、そこにいる者たちは皆彼女に釘付けになっている。
王太子妃・マリアンヌ。まさに大輪の薔薇のような、華やかに輝く美貌の持ち主である。『他国から来たワガママなお姫様』――などと世間では揶揄されているようだが、気の強そうな目元と豪奢な装いが、その評判を裏付けているようにも思える。
マリアンヌ妃とは対照的に、隣に並ぶ王太子ルイス殿下は存在感が希薄だった。無礼を承知で表現すると、非常に質素で地味なのである。帝王の風格よりも、むしろ裏方仕事に徹する文官気質の人物に見える。政略で結ばれたルイス殿下とマリアンヌ妃だが、『性格も容姿もまったく対照的だから上手く行かないのでは……?』というのが、社交界で囁かれている話だ。
(たしかにルイス殿下とマリアンヌ妃殿下が並んでいても、お似合いには見えないわね。……まあ、私達夫婦も不釣り合いなのは同じだけれど)
などと私が思っていた、そのとき。
マリアンヌ妃が、じっとこちらを見つめてきた。扇で口元を隠しているから、表情はよく分からない。しかし熱い視線でこちらを――おそらくは、私の隣のテオドア様を見つめている。
その視線に気づいたのだろう。テオドア様は私に一言、「君はここで待っていたまえ」と得意げに言い残すと、優雅な足取りでマリアンヌ妃のもとへ向かっていった。マリアンヌ妃との会話が終わった後には、見目麗しいご婦人方がテオドア様を取り囲む。テオドア様は、甘い笑顔を振りまいていた。
私はと言うと、ぽつんと一人取り残されて、気配を消すようにしてお茶会が終わるのを待っていた。
――こんなのは想定のうちだもの。私は、こんなことで傷つきはしないわ。
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思いがけない出来事が起こったのは、お茶会を終えてバルデン伯爵領に戻ったあとのこと……。
王太子妃マリアンヌから、個人的な書状が届いたのである。しかも「もう一度、バルデン夫妻に王城に来てほしい」という内容だった。今度は大規模なお茶会ではなく、ごく個人的な対話をお望みだとも綴られている。
それを知ったテオドア様は、まるで子供のようなはしゃぎぶりだった。
「やった、ついに来たぞ! 愛人の打診だ!!」
浮かれきった夫の言葉に、私は言葉を失った。
この国には古くから、奇妙な習慣があると聞く……。王族が愛人を迎える際、ご所望の相手が既婚者だった場合には、ひとまず夫婦一緒に呼び出すのだ。そしてご所望の相手と深い関係を結び、配偶者に親密性をまざまざと見せつけて身を引かせる。――建国初期のとある王妃から始まった風習だと聞くが、正直言って悪趣味だ。
たしかに今回の書状には、私達夫婦の名前が連ねられている。しかしテオドア様は、
「おや、君も行くつもりなのかい? 無粋な真似はよしてくれ。目的が明らかな場合は、配偶者のほうから身を引くのが礼儀だよ。そんなことは、この国の貴族ならばみんな知っている」
などと言って、ひとりでさっさと王都に向かってしまった。
「本当に…………なんなの? あの人は」
私はなんて惨めな妻なんだろう。屈辱に、歯を食いしばるしかなかった。
けれど、それからほどなくして王城からの使者が屋敷に訪れた。その使者からの思いもよらない知らせに、私は声を裏返えさせた。
「……夫が、投獄された!?」



